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2007年09月 アーカイブ

2007年09月02日

人づくり連続講座 ~大人として何が出来ますか?~  開催お知らせ

第一回テーマ 「広がるHIV感染 ~性感染症蔓延の中で~」
・先進諸国の中で日本だけが唯一HIV感染者/エイズ患者数増加している実体!
 「HIV感染者/エイズ患者数 合わせて1万3000人を突破」
・それでもあなたは、他人事でいられますか・・・?
 「忍び寄るHIV感染の危機から子どもたちの今と未来を守るために!」
                      全ての大人で考えたいこの現実!

人づくり21世紀委員会は、京都市内の95団体が参画し、「子どもたちのため、大人として何をすべきか」を考え行動しています。今年度は、2月5日に制定された「子どもと共に育む京都市民憲章」の具体化と実施に向けて、「大人として出来ること」を市民の皆様と共に考え行動するため「人づくり連続講座~大人として何ができますか?」を実施します。
 第一回は、学校教育におけるHIV感染予防の重要性を訴えるとともに、感染症医療現場の最前線で活躍されている医師の方に、感染症、特にHIV感染症の恐ろしさと爆発的拡大の危険性についてお話しを聞かせていただき、私たち大人に何が出来るかを一緒に考えたいと思います。

日時 : 平成19年10月13日(土)
      午後2時~4時
会場 : 京都市生涯学習総合センター(京都アスニー) 4階ホール
      (丸田町通七本松西北角)
      ※保育(1歳以上就学前) ご希望の方は9月28日(金)までに、下記事務局へご連絡ください。
講演 : 「広がるHIV感染~性感染症蔓延の中で~」
      小児科(京都市学校医会) 林 鐘声 氏
      産婦人科医          保科 慎二 氏

人づくり21世紀委員会事務局 
  京都市教育委員会 生涯学習部
  ℡ 075-222-3590  Fax 075-222-2061
  http://www.hito21-kyoto.jp

人づくり連続講座第二回は
 「携帯電話・インターネットの弊害」 をテーマに11月開催予定

2007年09月03日

分析家の独り言 15 (人は変容しうる)

そのときそのとき、クライアントの表情、反応、声の調子、着てくる服の色など全てがサインとなり、それを読み取る。
あるときは、うつむいたまま、消え入るような声でしか話さない。涙がこぼれることも多々ある。暗い表情が、抱えているものの重さを物語る。少し心を開きだすと、聞いたことに長文で答えてくれる。小さい声ながらも、明るさが感じられたりする。時には笑いあって、その笑顔がよかったなあと、分析後印象に残ることがある。
こちらが質問しなくても、自らよく話す人。そうかと思えば、質問しなければ「何もありません」という人。答えもほぼ「はい」と「いいえ」だけ。うまく言葉に出来ないクライアントは、こちらが、例えばこういうことですかと、いくつかの答えを用意しなければならない。そうしながら、クライアントに関心を向け、丁寧に聴いていくと思わぬところから本音がポロリと出る。
クライアントは自分を理解して欲しいが、その一方で暴かれたくないと、無意識に巧妙に本音を隠す。自分を変えたいが、それは今までの自分の死を意味することになり、それを恐れる。だから、「変えて変えないでくれ」と言われる。この難しい要請に応えていかなければならない。また、クラインとは全身全霊で治りたいと願っているとも限らない。
人間の精神は複雑である。それを理論を基に解き明かしていく。それはクライアントとの共同作業である。
クライアントからの何よりの報酬は、「おかげで、楽になりました。」「楽しめるようになりました」などの言葉。前向きな姿勢。人は変容しうる。

2007年09月07日

分析家の独り言 16 (超自我について)

インテグレーター養成講座をするおかげで、理論を説明できるように勉強しなおすことになる。
今回は0~3歳までの「超自我の発達」について解説した。

超自我は、もともと生まれながらに人間に備わっているものでも、自然発生的に出てくるものでもない。最初は、外界の存在である母から取り入れて学んだもの。後に父を取り入れる。つまり親の価値観が超自我となり、親の禁止を普通超自我と言っている。
しかし超自我も発達していき、自我理想に向かう。この段階になると超自我は禁止や抑圧するだけではなく、自分の理想のために、今何をしなければならないか、そのためには何を我慢しなければならないかを考え、その辛さに打ち勝ちながら突き進んでいく。これは自我理想に向かう超自我の働きである。
全ての人が精神内界に超自我の機能が入ったなら、警察も裁判所も要らない。人間の内側にないから、外側に作った。みんながルールや規則を守れるなら必要なかったが、守れないので代理機能として外側に警察や裁判所を置かざるを得なかった。
それだけ人間は超自我を内在化していない。我々はまだエスに近いところにいる。社会はエスに色取られ、エスのままに動いている。そのために犯罪や汚職が横行する。
社保庁職員による年金横領、ずさんな年金記録。政治と金の問題による相次ぐ農水相の交代等もその一つ。自我理想に基づいた超自我など、どこにも見当たらない。
また、国民から預かった年金を個人が着服するということは、自他未分化以外の何者でもない。自分と他人の分化が成されず、自分のものと他人のものの区別がついていないということ。精神の発達から言えば、生後数ヶ月の自我状態である。なんともお粗末というか、未熟。
しっかりしましょうよと、つい言いたくなる。
肉体の年齢と精神の年齢は必ずしも一致しないことがよくわかる。

2007年09月10日

分析家の独り言 17 (自分を知る)

娘と映画「HERO」を観てきた。木村拓也演じる久利生公平のセリフのなかに「真実を知りたい」とあった。
証拠を集め、矛盾を突いていき、最後に真実に至る。分析の手法に似たところがある。
クライアントの養育史をl聴き、話に耳を傾け続ける。理論という網目を張り、それに引っかかったクライアントの言葉を質問していく。フロイトが言うように「夢は無意識に至る王道である」から、夢分析からクライアントの無意識に迫ることももちろんある。いろんな方向からクライアントの心の構造に迫る。そうして証拠集めをしながら、仮設をたてつつある意味、警察の取調べのようにある事実に至る。その過程でクライアントは抵抗を示す。見たくないと逃げたり、認めなかったり。
分析は自分探しの旅である。親に自分の生きる道のレールをひかれ、そのレール以外は歩むことを許されなかった人。あからさまな暴力による虐待を受けた人。彼・彼女らは、「自分は何のために生きているのかわからない」という。自分とは何者か、そして生きる意味を問い続け、その人なりの生きる意味を見つけること。分析は病んでいる、病んでいないに関わらず、自分を知りたい人が受けるものなのではないかと思う。

2007年09月11日

分析家の独り言 18 (夜回り先生の講演を聴いて)

「ユース京都2007青少年育成大会・社団法人京都府青少年育成協会設立40周年記念大会」の記念講演で、夜回り先生こと水谷修氏の講演を聴いた。
テレビで夜回り先生のことは大体理解しているつもりだったが、やはりライブは違う。メディアを通してではなく、生に触れることだと実感した。水谷氏もいう、テレビは嘘つきだと。何百時間もカメラを回しても、放送されるのはそれをぶつ切りにしてつなげたものだから。
幾つかの例を挙げながら、今子ども達が置かれている現状の厳しさをあたらめて知った。私が分析を通して感じる世界と近い。
家庭での父母のあり方が大事。家庭に居場所のない子たちが、夜の世界へ流れる。そこは麻薬、暴力、金、性が氾濫する。
父親は会社でのストレスを家庭で妻である母親や、子どもに当たる。両親が不仲となり、母親は子どもに当たる。一番弱い立場の子どもが一番しんどい思いをすることになる。本来子どもは誉められて、自己肯定感を持てる。ところが「勉強しなさい」「ないやってんの」「だめね」と叱られることが多い。私たちも言う、承認と賞賛が人を育てると。いいところを見つけて、誉めること。美しく、優しい言葉で。反対に叱られた子ども達は、いじめ、非行、不登校・ひきこもり、こころの病へと向かう。そんな子ども達からの悲痛な叫びを毎日毎日水谷氏は聞き続け、対応している。そんな水谷氏も癌におかされ、転移が7つある。もう自分はながくないだろうが、このままでは死ねないという。
やり方は違うが、目指すところは共通する。この国を、子どもたちの将来を想う。

2007年09月12日

9月母親教室の報告

9月の母親教室では、子どもへの対応「ALL OK」をしたいが、いざ子どもと向き合うと出来ないことが多いといわれるお母さん方。
その悩み、自分との葛藤は嫌というほどわかる。まさにそれが私の長年の課題でもあったからだ。頭では、子どもの話にしっかり耳を傾け、要求にはすぐに応えること。それがいいことだとはわかっている。ところが口から出る言葉は、反対に否定的・拒否の言葉。そのたびに「ああ、またやってしまった」と自己嫌悪に陥る。それでもやり続けること。演技でいいから、笑顔で「うん、いいよ」「わかった」ということ。昨日より今日、そして明日、一つずつでも出来ることが増えるように努力する。世間一般の人にこの「ALL OK」の対応法を話すと必ず言われる、「子どもをそんなわがままにしていいんですか」と。わがままにするのではない、子どもの主体性を大事にすることなんだと、いろいろな方向から説明する。それでも納得して実行される方は少ない。そんな中で私の話に耳を傾け、やろうとするお母さん方には、「とにかくやろうとするその努力が尊い」と励ます。
夜回り先生の言われるように、また子どもの非行に悩むお母さん方の話を聴いてきたように、夜の世界に染まった子ども達を取り返すのは大変なこと。非行や、不登校・ひきこもり、いじめ、心の病に子ども達が至らないためにも、小さい頃からの親子関係が大事である。親から愛情をかけられ、大事にされた子は、人を愛し、自分も人も大事にすることが出来る。

10月母親教室の日程お知らせ

10月15日(月)AM10:00~12:00
ラカン精神科学研究所(京都市伏見区深草フチ町)で母親教室を開催します。
 日々子育てするなかでの疑問、悩みなど話し合い、症例をまじえながらアドバイスします。
 今、子どもさんに何らかの問題があっても、なくても、安心して自信を持って、楽しく子育て出来るようにと願いつつ、この教室を毎月開いています。
 お子さんの年齢に制限はありません。もちろんお父さんの参加も歓迎です。
 参加費は500円です。
  お問い合わせはこちらまで
   ℡ 076-644-8126 または 050-1035-4401 [e-mail]

2007年09月15日

9月分析理論講座の報告

今回は新しい方の参加があり、理論とともに、子どもへの対応の仕方についていろいろな方向から解説した。
HPの症例でも紹介している子どもの非行に悩んでおられたお母さん。対応法を教えて、そのように実行してもらい、息子さんが見事に非行から抜け出された方の体験を話してもらうなど、わかりやすかったのではないかと思う。
最後に質問があり、「祖母が外で聞いてきた嫁姑の争いの話をすると、子ども(10代後半)がそれに腹を立てて、そんなのはぶっ殺したいい、という。一度機嫌をそこねると長いので、腫れ物に触るように、こう言ったら怒るだろうかと気を使い、祖母には子どもの前でそういう話はしないで欲しいうが、どうしたらいいでしょう」ということだった。
まず、子どもが「ぶっ殺す」とか」「死ね」という、過激な言葉を言うと親はビビッてしまい、「なんてことを言うのと」止めようとするが、その言葉を止めないこと。言葉で言っているうちは、殺さない。言わなくなったら危ないと思うこと。そして子どもの言葉をよく聴くこと。何のどういうところに腹を立てているのか。わからないところがあれば、「それはどういうこと」「教えてくれる」と聴く。そうして子どもの気持ちを理解するようにつとめる。よく聴いていると、ああそういうことかと共感するところもが出てくる。子どもの話す中に、子どもの本音がチラッと見えることがある。親の側の意見は言わず、聴き続ける。そうすると、子ども側から「どう思う」と聴いてくる。そのとき初めて、思うことを言ってもよい。
人は一人でも自分の言うことに耳を傾け、理解してくれる人が居れば生きられるのではないか。逆にそれがないと、孤立無縁感、孤独感の中で死にたくなることさえある。子どもの一番の理解者は親のはず。その親が子どもを恐がったり、逃げたり、否定し、拒否してどうするのか。
私も知らなかったために、たくさんの間違いをしてきた。だからこそ、知って欲しい。そして良い親子関係を築いて欲しいと願い、教室や講座を開いている。

10月、11月の分析理論講座日程のお知らせ

10月20日(土) PM1:30~4:00 
11月24日(土) PM1:30~4:00 分析理論講座をします。
テキストに沿いながら、質問に答えながら進めていきます。
次回、テキストは分離・個体化の過程からです。
理論講座の参加費は、1回 3,000円です。
興味・関心のある方は下記へお問い合わせください。
℡  050-1035-4401 または 076-644-8126   [e-mail] まで

2007年09月16日

分析家の独り言 19 (自分を活かす)

自分とは何者か、そして自分は何のために生まれてきて、何のために生きるのか。
男とは?女とは?の問いに、一生かかっても答えを出したい。
最近思うが、辛い子ども時代を過ごしてしまった自分。なんで私だけ・・・と嘆いてきた。
子どもの頃には、親から「子どもは親の言うことをきくものだ」と言われ、分析を知ってからは、「親は子どもの言うことをききましょう」と言われ、じゃあ一体私はいつ誰に自分の言うことをきいてもらえるのか。一番貧乏くじを引いたようで悔しかった。私のスーパーバイザーである大沢氏にそう泣き言をぶつけたこともあった。そのとき大沢氏は「それを受け入れるのもあなたのアイデンティです」と言った。そう、知ってしまった限りはやるしかない。親から受け継いでしまった悪しき性格構造は、自分の代で断ち切って、もう自分と同じ子どもは、人間はつくらない。それだけは譲れなかった。そうして分析による自己改革に乗り出してまる13年が過ぎた。
今になって、辛い過去があるお陰でクライアントの気持ちがわかり、どのクライアントの中にも過去の自分、または残りかすのような自分が見える。
私のスーパーバイザーである大沢氏は言った。「過去の経験が活きてくるときが来る。それを活かす生き方をすればいい」と。その意味がやっと身にしみてわかった。
自分を知れば、自分を活かす道を見つけられる。

2007年09月17日

分析家の独り言 20 (なおざりにされる授乳行為)

夕方見たニュースだった。看護士の手が足りないため、新生児のミルクを人の手で飲ませるのではなく、タオルなどで支え「ひとり飲み」させ、それによって事故が起きるケースがあると。10人近い新生児をひとりの看護士が見ることもあるとか。
40歳を過ぎてやっと生まれたわが子を、病院でうつ伏せに寝かされ、注意ミスで死亡に至った親御さんが、病院を相手に裁判をしているケースもあると聞いた。
まず根本的なことからずれている。
赤ちゃんにとって、ミルク・おっぱいは、我々でいう食事ということの意味の他に、人間の精神の基礎を作っていくために必要な大事な行為である。
本来なら、お母さんの暖かい胸に抱かれて、アイコンタクトを取りながら、微笑み合いながら、ゆったりと穏やかな中で授乳する。赤ちゃんはそのとき空いている手で、母の暖かく柔らかな乳房を触りながら、安心と満足の中に居る。メラニー・クラインは「・・・この乳房との最初の関係を充分に楽しむ能力は、後にさまざまの源泉から快感を体験するようになる、その基礎をなすものである」といっている。さらに「乳房での満足が体験され充分に受け入れられる機会が多ければ多いほど、楽しみや感謝、快感をふたたび手に入れたいという願望が感じられることも多くなる」という。つまりは、授乳行為による満足が、後にその子が人生を楽しめるかどうかを決めていく。こんなに大事なことだと知っていれば、ひとり飲みなどさせられないだろうと思う。手をかけ、側に居て見守り続ける。放っておいては育たない。それどころか抱かれない赤ちゃんは突然死してしまうことさえある。

2007年09月21日

京田辺市16歳二女、警察官の父殺害事件

16歳二女は、自分が魔女だという幻想を抱いていた。それは殺人を犯すとき、儀式化として黒いワンピースを着たことからもわかる。
魔女である彼女は、鎌の代わりに斧を持って、夫の女性関係に恨みを持ち、復讐するという母の欲望を達成した。うつ病になってしまっていた母の夫への殺意を、二女であり魔女である彼女は汲み取り、殺人を実行した。
それは、母の欲望ということだけではなく、もう一つには、彼女の象徴的去勢を、父に向かって成し遂げたのである。この父にはおそらく威厳も何もなかっただろう。だから彼女は自分の意味をつくりたかった。母が嫌う父を殺すことが、彼女の魔女狩り(異端分子と見なす人物に対して、権力者が不法の制裁を加える)であった。そうすることによって彼女は魔女として復活した。彼女は主体性を抹殺され人間でないものになっていたので、殺人を成就すれば魔女になりきれる、そのためには父を殺す必要があった。
このように自分の意味をつくることを去勢(=象徴化)するという。打つということは去勢である。だから父の首を斧を振り下ろして切った。「象徴的去勢は叩くという行為で表される」とフロイトは言っている。叩く=(斧を)振り下ろす⇒象徴的去勢を意味する。これを彼女は象徴界で出来ないために、現実界と想像界でやってしまった。彼女には象徴界がない。現実界と想像界しかないため、魔女という想像界と意味を使って、自分を魔女としてこの世に復活させた。想像界(自分は魔女であるという幻想)をさらに現実界で行為化してしまった。
これは典型的な病理である。
彼女は自分が魔女であるという幻想がなければ、殺人という行為は出来なかった。彼女がそう思う何かが、彼女の養育史上あったはずであるが、それは今の時点ではわからない。ただ、中学のとき劇で魔女役を演じている。
母は、夫に見棄てられ、うつ(1~2ヶ月ひきこもって外に出なかった)になっていた。その母の無念を晴らすというあだ討ちの意味も含まれているだろう。
いろんな意味を複合している。その中心にあるのは、魔女という概念である。
そこに、母は娘である16歳の二女に父親のことを相談していたとあるように、いろんなことを吹き込んだのだろう。魔女幻想を持った彼女にとっては、うってつけのストーリーだった。
魔女とは、自分の中に悪魔の力がある。それは成長する過程で自分の中に分けのわからない衝動(破壊衝動やエロスティックな衝動タナトス的な衝動など)がある。それらを意識化できないために、自分が奇妙な存在になる。それが彼女の場合には魔女という概念になった。

福島の母親殺人事件は、男子であったために、ファルスは1本化しており明解であったが、女性の場合いろんな要素(いろんな想いや価値観)が重なって複合してしまう。ここに一般的にも男性は単純、女性は複雑と言われる根拠がある。最終的に一本化するために使われたのが幻想であった。彼女には魔女というキャラクターがあったために一本化してしまった。それによって全てが現象化・結晶化してしまい、行為化できてしまう。この中心がなければ分散してしまい、どれも行為化できない。普通の人はそこに至らない。
中心に何を持つかで決まる。いいものを持てば、自己を成長発展させ、人にも喜ばれる。
彼女の場合は、魔女という想像界的ファルスが入ってしまった。人間特に女性には核となるある一つのイメージが入らないとまとまらない。

以上報道された情報からこの事件を分析してみた。

10月福岡出張セラピー

毎月1回、福岡出張セラピーを行っています。
10月の福岡出張セラピーの日程は、10日(水)、11日(木)、12日(金)です。
ひきこもり等により、外出が困難な場合は、お宅へ伺うことも可能です。
遠方への出張であるため、福岡でのクライアントの方には分析料プラス2000円の交通費の負担をお願いしています。
2名以上のグループであれば、母親教室を福岡でも開催します。
各講座は、一人からでも開きます。
ご希望の方、興味・関心のある方、お問い合わせください。
電話 050-1035-4401
携帯 090-7357-4540
お問い合わせはこちらまで [e-mail]

2007年09月23日

「非行」と向き合う全国ネット学習会 子どもの“荒れ”と向き合う に参加して

今まさに子どもさんの非行に悩んでおられる親御さんはじめ、今は乗り越えた経験者の親や子ども、学校の先生、その他援助者などいろいろな立場の人が集まった。
私も毎月開催される京都の「子の非行に悩む親たちの会」に参加して、非行の問題の大変さを感じてきた。
仕事上、非行に限らず、不登校、ひきこもり、神経症やうつ等の精神的病理のあるお子さんや親御さんとも関わることが多々ある。
多くのケースが、中学の途中くらいから学校に行かなくなり、帰宅が夜遅くになり、そのうち朝帰りとなる。服装や言葉遣いが荒れてくる。男の子はバイクを乗り回したり、暴走族に入る子もいる。女の子は夜の商売をするようになることもある。
彼らは家に居場所がない。親も荒れ始めた子を何とか元に戻そうと、口うるさく言う。それが悪循環となり、ますます子どもは家に寄り付かなくなる。そうするうち、親の方がうるさくいわなくなると、子どもは家に居つきだす。家を居心地よくして待つこと。結局は親が知ってか知らずか、ALL OKの対応をしていくと、子どもも落ち着いてくる。
そこまで行くのに、大変な労力と時間とお金がかかることになる。
それでも、そうして親に態度で反抗できるのは健康的である。こんなことを言ったら、非行に悩んでいる親御さんには怒られるだろうが、10代半ばで表現してくれればまだいい方。思春期のこの時期、反抗期もなく大人しく過ごすことの方が、後のリスクは大きい。
参加された中に、医療少年院の先生がおられ、シンナーや薬物に手を出した子が言ったという。「シンナーではなく、人にいけたらいいけど」と。子どもは甘えたい、頼りたい。本当は親に。それが出来なくて、一時の快感や安らぎをもとめて、薬物やものに走る。それがたとえ一時的に気を紛らわすだけと知っていても。
また経験から、薬物に走ったり、心を病む子は田舎に住む子のほうが多い。それは都会の子は、歓楽街で一時的にでもストレスを発散できるからだろうと。同じことを夜回り先生も言われていた。
日本各地に非行に取り組む親の会がある。どうか親もひとりで悩まないで、話せるところを持たれた方がいいと思う。親がひとりで悩み煮詰まっていくと、ますます笑顔が消えていく。それに反応するかのように子どもはますます荒れる。
今日参加されたところでも、東京、神奈川、茨城、長野、京都、大阪、神戸、広島、岡山、福岡、佐賀、熊本、大分、宮崎(出来つつある)がある。
当研究所でも、相談、母親教室や、個人分析で対応している。
子どもが非行に走っている最中は、本当に親も大変だが、子どもも大変な想いをしてきた結果である。そしてピンチはチャンスである。大変なことが起こったとき、どうそのことと向き合うかで、その人の度量が試され、飛躍へのチャンスとなる。抜けないトンネルはない、明けない夜はない。ただ、漫然としていてはいけない。子どもはどこか歯車の狂った、夫婦関係や親子関係、親自身に「おかしいよ」「間違っている」といいに来る。それがある子は非行というかたちで。

2007年09月25日

分析家の独り言 21 (人生を楽しむ)

私事だが、中学から学校のクラブ活動でバスケットボールをしてきた。高校、大学、社会人まで約12年間に及んだ。
振り返ると、練習はきつかった。特に高校時代。時々何のためにやっているのか、わからなくなることがあった。よく捻挫をし、一度はひびが入り、1ヶ月間松葉杖で過ごした。
分析を受けてわかったことは、家に居たくなかったから。クラブ活動をして、帰宅時間を少しでも遅らせようとしていた。土曜の午後、日曜、祭日も、クラブ活動という大義名分のもと、堂々と出かけられた。
家が私にとって安住の場であったなら、あれほど身体を酷使してバスケをすることはなかっただろう。
父が恐かったため、非行に走る勇気もなかった。自分なりのギリギリの選択の中で、かろうじて自分を保っていた。
分析を受け始めた頃、スーパーバイザーに言われた、「よく生きていましたね」と。「病理(発症)と正常の境目を45度に傾きながら、どちらにも振れずによく来た」と。
バスケに救われたことが多々あったのだろう。攻撃性を練習や試合にぶつけ、勝った、負けたと一喜一憂していた。
一つ違えば、ひきこもりにもなっていた。親から「お前はダメだ、ダメだ」といわれ、自分に自信がなく、それほど積極的でもなかった。
身体は心のバロメーターという。捻挫など足の怪我は、自律性の無さを現していた。(足の機能を考えると分かる。足はまさに立って歩くため)
私は苦しくても、しんどくてもバスケが好きだからしてきたと思っていたが、そうではなかった。
二年前の2005年から、またバスケを始めた。身体を動かしたい、何かスポーツをしたいと思うようになった。どうせするなら、昔とった杵柄、やはりバスケがしたくなった。そんな頃、中学の同窓会に出て、たまたま7つ上の先輩の同窓会と会場・時間が重なり、中学を卒業して以来会ったその先輩に、滋賀県のチームを紹介してもらった。
“思考は物質化する”という理論がある。だから偶然はない。全ては必然。いいことも悪いことも、自分の無意識が呼び起こしたこと。ならば、自分の中にプラスの思考を持つこと。病んでいた頃の私は、マイナス思考だった。
お蔭様で今は、家に居たくないからするのではなく、楽しんでバスケをしている。やめようと思えばいつでもやめられる。もう決して若くは無いため、身体はしんどいこともある。だから昔のように無理はしない。
楽しめる自分になれたのだなと思う。同じことをしていても嫌々するのか、仕方なしにするのか、喜んでするのか、楽しめるのか、意味が違ってくる。

2007年09月26日

京都ひきこもり支援情報メールマガジン 掲載文より

京都府が毎月出している、ひきこもり支援情報メールマガジン「ほっ都マガジン」では、毎月第4火曜日、新着情報を中心に、ひきこもりの支援情報と、ひきこもりに悩んでおられる本人、ご家族への「安心」を届けしています。
当月、第7号に掲載した、当研究所の紹介文です。

☆☆☆ ラカン精神科学研究所 ☆☆☆

 ラカン精神科学研究所では、ひきこもり当事者やその親御さんの相談、
精神分析をしております。
 一口にひきこもりといっても、様々なケースがあり、社会的ひきこもりだけ
でなく、神経症やうつ等の症状を伴うものが多くみられます。
親御さんには、対応法や本人への理解を、当事者には精神分析により、
症状の原因を探りながら、自主性・主体性の回復を目指します。
来所することが難しい方は、交通費を負担していただき出張しています。
当事者が分析を受けない場合でも、親御さんが受けられ、自分を見つめ、
対応法を知り、それを実行していくことで、変わっていかれます。

 本人には何らかの心の傷付きや、怒り、不満が隠されていることが多く、
それは人間として当然あるもので、恐れずコントロールできるようになること
です。あるクライアントは、友だちに言われた言葉に怒りを覚え、これ以上
学校に行ったら、攻撃し傷つけてしまうのではないかと恐れ、次の日から
登校することを止めたと言いました。他にも様々な要因があって、それを一
つ一つ解きほぐしていくことです。

 また、成長の過程で、ひきこもることも大事なことであり、どうせひきこもる
なら、充電期間とみて、未来につながるひきこもり方をしていただきたいと考
えます。思春期になると子どもは自分の部屋にこもり、自分はこれからどう
生きていこうかなど、いろいろなことを考えます。
そのとき、周りがうるさいとゆっくり考えることも出来ません。
静かに見守ることが大事です。思春期に誰でもが通る過程なのですが、
実際に長期にわたりひきこもるという状況に至った場合、親御さんに知って
いただきたいことがたくさんあります。

 分析の他に、母親教室や分析理論講座も開いていますので、興味・関心の
ある方はお問い合わせください。
 諦めないこと。閉ざされた心の扉は、適切にノックし続けることです。
ひきこもっている本人自らが、ドアを開けて外に出られるように。


ラカン精神科学研究所    天海有輝 
 住所: 京都市伏見区深草フチ町14-103
 電話: 075-644-8126 または 050-1035-4401
 メール: lacan_msl@yahoo.co.jp
 ホームページ: :http://lacan-msl.com/
 
 ラカン精神科学研究所の情報は、ひきこもり支援情報ポータルサイトでもご紹介しています。
 http://www.kyoto-hikikomori-net.jp/shien/detail/lacan.php

 京都府引きこもり支援情報ポータルサイト http://www.kyoto-hikikomori-net.jp/

2007年09月27日

分析家の独り言 22 (心とからだ)

からだは正直。心のありようがからだの症状として現れる。
例えば、あるクライアントは、子どもの話や要求を聞きたくない。自分は母に話を聞いてもらってないために、子どもの話を聞きたくない。また、聞けばそれにALL OK して応えなければならない。そうすると耳が痛くなる。何年か分析をしていると、クライアントも自己分析できるようになり、「耳が痛いんですが、これは子どもの言うことを聞きたくないということでしょうか」という。私は「その通りです。よくおわかりですね」という
また、見たくないと目がチカチカして、見にくくなるという。それは見たくないということ。例えば子どもへのまなざしを向けたくない。
分析中に解釈すると、「声が遠ざかっていき、聞こえなくなりました」ということがある。それは聞きたくないということ。解釈を受け入れたくない、言われたくない。
気付いて、受け入れれば一瞬のうちに症状は消える。
抑圧していることがあったり、怒りがたまっていたり、いろいろな理由で首、肩、背中が痛くなることもある。そうすると朝か前の日電話が入り、分析を入れて欲しいと言われる。話を聞き、クライアントが言葉で放出していくと、途中で「あれ、からだが楽になりました」と言われる。来たときは辛そうだったのが、帰りは軽快に自転車をこいで帰られる。その後姿を見送る。そういうことが何度かあると、「整骨院へ行くより、治りがいいので分析に来ました」と、クライアントが言う。
からだは心のバロメーター。心の重さはからだの重さ、だるさになる。

金谷氏今月のメッセージ 平成19年9月分

「HERO]が映画化された。
 主人公である検事役の久利生公平は、きっちりとまじめなイメージの検事を破天荒でザックバランな、どこにでもいそうな人間に作り上げている。
彼は若き時犯罪を犯し大検を受けて資格を取った。
決してエリートコースを歩んで検事になったのではない。
しかし、一旦仕事になれば通り一遍の捜査ではなく、徹底的に真実を追い求めていく。
相手がどんな人間であろうとも手心を加えない、平等に公平に判断し事実を正しく解明し起訴する。
そのすっきりとした英断の愾味好さに木村拓哉さんの演技力も加わり、見るものに感動を与え爽快感を覚える。
 今政界が揺れ動いている。突然の首相の辞任、原因は年金問題と閣僚の不祥事などの問題で心労が重なり体調を崩された為にと。
しかし、我々国民が選んだ国会議員がこんなにいい加減なことをしているのかと、憤懣やる方ない思いである。
自分自身がどういう立場にいて、何をする為に議員になっているのかという自覚が無い。
野党も不祥事を暴露して鬼の首を取ったがごとく、大きな顔をしているが我々国民には何も役に立っていない。
この国を国際社会の中でどう生きていくのか?どうしなければならないのか何も論じ合っていない。
われわれはこんな人達にしか国政を任せることが出来ないのか、と情けなく感じ不安を覚えるのは私だけだろうか?
「HERO]は人間、学歴や・名誉で価値が決まるのではない。自分の立場をわきまえ、自分の役割を自覚し何をすべきかを考え、どう生きて行くのかと言う事を「久利生公平」は教えている。
検事の胸にあるバッジは「秋霜烈日」を現している。
秋霜とは冷たく厳しい事、烈日は激しく照りつける太陽の事。
厳しい立場にあると自覚する意味のものである。
議員の方々に再度自覚をし、学んで欲しいものである。

平成19年9月25日

金谷精神療法研究所

インテグレーター 諸法皆空(金谷章吉)

2007年09月29日

第4回インテグレーター養成講座のお知らせ

第4回 『インテグレーター養成講座』 を下記の通り開きます。
日時 : 10月16日(火) AM10:00~PM1:30
場所 : ラカン精神科学研究所(伏見区深草フチ町)
料金 : 8000円
講座内容 : 自我論Ⅳ母性とは 
   本来の母性とはどういうことか、具体的にどう子どもに接することなのか。
   母性喪失・母性剥奪された人の精神はどうのようになっていくかなど解説していきます。

お問い合わせはこちらへ
℡  050-1035-4401 または 076-644-8126   [e-mail] 


「母性とは」の講座内容一部から
 当然受けるべき母性的世話を受けられなかった子どもを「母性喪失者」と呼ぶ。この子は自分の中に何かが欠け落ちていると感じる。この欠け落ちた部分を埋めたい、埋めようとする。それが欲しいという意識になり、そこに偏ってしまう。人間欠如があると気になり、そこを埋めたくなる心理が働く。それが一番置き換えられやすいのは、食べ物。胃袋をいつも埋めたい。ここから過食になり、肥満に至る。だから、太った人は愛情欠損性格の典型といえる。
 シュヴィングによる母なるものの定義とは、「積極的、献身的で思慮深く、かつ連綿とした優しさとでもいうべき風土のなかで、相手に向けられた配慮全体と称するべきもの」である。

分析家の独り言 23 (好きなことしましょ)

上の娘が話を聞いて欲しいと言ってきた。今年から服飾関係の専門学校に通い、デザインやパターン、縫製などを学んでいる。
課題に負われ毎日大変そう。同じクラスの子の中にも、学校に来なくなった子、やめてしまった子、精神科に通う子まで居るという。
そんな中で、自分のモチベーションを保つのが大変なんだと。自分では自信があった作品のスカートが、あまり評価されなかったと落ち込んでいる。
新しいデザインを考えて、先生に見せにいったが、何度もダメ出しをくらい、その上その先生の言うことに納得がいかず、迷ったり、不満があったり、自信がなくなったりしたと。
ファッションに関してほとんど知識のない私には、名前を聞いてもわからない有名なデザイナーのお店に、先生や友達と数人で行き、他の人たちは絶賛していたが、自分にはその良さがわからなかったと、また落ち込んでいる。
いろいろなマイナス要因が重なってしまったよう。
とにかく娘の言うことを聞いた。一通り話したところで、「どう思う」と聞かれたので、「世界中の誰もが、ひろ(娘のこと)のデザインした服はいやだといったとしても、自分はこれが好きだから作るっていうので今はいいんじゃないの」と私。「ひろが好きなデザインでつくる、それが個性でしょ」「人の評価も大事かもしれんけど、人から受けることだけに走ったらつまらなくなるんじゃないの」と私は言った。娘はポツリと「自分を見失いかけていた」と。
人が生きるのに価値あることは、自分の好きなことを見つけてそれをすること。まずその好きなことがわからなくて迷う。
悩みながらも、自信を失いながらも、それでも服をデザインし、作ることが楽しいという娘。
卒業後には、メジャーを首から下げて、仕事に忙しく走り回っている自分をいつもイメージしているという。そう、それでいい。こうなりたいというイメージをしっかり描いて、それに向かって努力すればきっと夢は叶う。頑張って!

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