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京田辺市16歳二女、警察官の父殺害事件

16歳二女は、自分が魔女だという幻想を抱いていた。それは殺人を犯すとき、儀式化として黒いワンピースを着たことからもわかる。
魔女である彼女は、鎌の代わりに斧を持って、夫の女性関係に恨みを持ち、復讐するという母の欲望を達成した。うつ病になってしまっていた母の夫への殺意を、二女であり魔女である彼女は汲み取り、殺人を実行した。
それは、母の欲望ということだけではなく、もう一つには、彼女の象徴的去勢を、父に向かって成し遂げたのである。この父にはおそらく威厳も何もなかっただろう。だから彼女は自分の意味をつくりたかった。母が嫌う父を殺すことが、彼女の魔女狩り(異端分子と見なす人物に対して、権力者が不法の制裁を加える)であった。そうすることによって彼女は魔女として復活した。彼女は主体性を抹殺され人間でないものになっていたので、殺人を成就すれば魔女になりきれる、そのためには父を殺す必要があった。
このように自分の意味をつくることを去勢(=象徴化)するという。打つということは去勢である。だから父の首を斧を振り下ろして切った。「象徴的去勢は叩くという行為で表される」とフロイトは言っている。叩く=(斧を)振り下ろす⇒象徴的去勢を意味する。これを彼女は象徴界で出来ないために、現実界と想像界でやってしまった。彼女には象徴界がない。現実界と想像界しかないため、魔女という想像界と意味を使って、自分を魔女としてこの世に復活させた。想像界(自分は魔女であるという幻想)をさらに現実界で行為化してしまった。
これは典型的な病理である。
彼女は自分が魔女であるという幻想がなければ、殺人という行為は出来なかった。彼女がそう思う何かが、彼女の養育史上あったはずであるが、それは今の時点ではわからない。ただ、中学のとき劇で魔女役を演じている。
母は、夫に見棄てられ、うつ(1~2ヶ月ひきこもって外に出なかった)になっていた。その母の無念を晴らすというあだ討ちの意味も含まれているだろう。
いろんな意味を複合している。その中心にあるのは、魔女という概念である。
そこに、母は娘である16歳の二女に父親のことを相談していたとあるように、いろんなことを吹き込んだのだろう。魔女幻想を持った彼女にとっては、うってつけのストーリーだった。
魔女とは、自分の中に悪魔の力がある。それは成長する過程で自分の中に分けのわからない衝動(破壊衝動やエロスティックな衝動タナトス的な衝動など)がある。それらを意識化できないために、自分が奇妙な存在になる。それが彼女の場合には魔女という概念になった。

福島の母親殺人事件は、男子であったために、ファルスは1本化しており明解であったが、女性の場合いろんな要素(いろんな想いや価値観)が重なって複合してしまう。ここに一般的にも男性は単純、女性は複雑と言われる根拠がある。最終的に一本化するために使われたのが幻想であった。彼女には魔女というキャラクターがあったために一本化してしまった。それによって全てが現象化・結晶化してしまい、行為化できてしまう。この中心がなければ分散してしまい、どれも行為化できない。普通の人はそこに至らない。
中心に何を持つかで決まる。いいものを持てば、自己を成長発展させ、人にも喜ばれる。
彼女の場合は、魔女という想像界的ファルスが入ってしまった。人間特に女性には核となるある一つのイメージが入らないとまとまらない。

以上報道された情報からこの事件を分析してみた。

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2007年09月21日 11:19に投稿されたエントリーのページです。

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