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2007年11月 アーカイブ

2007年11月02日

分析家の独り言 31 (自己の尊厳に気付く)

我々は、育てってくるなかで様々な言葉のシャワーを浴びてきている。
プラスのことばもあれば、マイナスの言葉もある。
承認と賞賛が人を育てる、とここでもいってきた。
逆に、マイナスの言葉、例えば「あんたは何をやってもっ駄目ね」というような言葉をいわれてきたクライアントは多い。
自分ではそれほど駄目だとは思っていなくても、他者特に親からそういわれたなら、「ああそうか、自分は駄目なんだ」と子どもは思う。自我は他者のもとで構成される。
それを口癖のようにいわれたなら、その言葉は刻印される。もちろん一度言われた言葉が、強烈にその人に響くこともある。
親はその人の一面をみて、駄目というレッテルを貼り、その人はそのシナリオをもってその後の人生を歩むことになる。
いいところもいっぱいあるはずなのに、そこには目を向けられずに。
結果、自分は駄目だという自己規定をしてしまったために、それを証明するかのように、「自分は駄目」を現象化することになる。
本当にクライアントは駄目な人間なのか。いや違う。
多くは、親の価値観にあわなかったために、失敗を許されなかったために、駄目と見なされただけ。失敗は誰にでもある。親も全てが出来るわけではない。
すると当然、自分に自信がない、自分が好きになれない。生きにくさを感じる。
分析は、「自分は駄目」という言葉を消去し、書き換える。
そしてクライアントは、自己の尊厳に気付いていく。

2007年11月03日

第5回インテグレーター養成講座のお知らせ

第5回 『インテグレーター養成講座』 を下記の通り開きます。
日時 : 11月29日(木) AM10:00~PM1:30
場所 : ラカン精神科学研究所(伏見区深草フチ町)
料金 : 8000円
講座内容 : 自己愛論Ⅰ 自己愛人間の心理と生態 
自己愛には、健康な自己愛と病的な自己愛(ナルシシスト)がある。
ナルシシストは、本来の自己を受容せず、自分がイメージするあるべき自己像に固執する。
そのために身体と自己、自己と自己イメージが一致することがない。
それをあるクライアントは生きている実感が薄い、自分の肉体と心が離れているように感じるといった。
興味のある方は、小此木啓吾氏の 『自己愛人間』 (ちくま学術文庫) を読まれては。

お問い合わせはこちらへ
℡  050-1035-4401 または 076-644-8126   [e-mail] 

2007年11月05日

分析家の独り言 32 (抵抗と信頼)

分析を受けていくなかで、必ず抵抗というのがおきる。
ある意味、自分を知るために分析を受ける。しかしクライアントは知りたいが知りたくない。
それは意識すれば辛いから、無意識に押し込めたものを、もう一度意識にあげて見ましょうとするからである。
そうすると実際にいろんなことが起こる。
あるクライアントは、分析の日時を間違える。または分析時間に遅れる。
分析まで時間があるからとパチンコをして、それがまた大当たりして止められなくなり、分析に遅刻してきたという例もあった。
セラピールームに電車で来る人も少なくない。すると乗り慣れた電車なのに、違う方向へいってしまったり、乗り越してしまったりする。そうして結局は分析に遅れる。
どんな言い訳をしても、分析に来ない、遅れるという結果をみれば、無意識に来たくなったということ。
言葉はいくらでも嘘をついてごまかせるが、行動は正直である。
後からクライアントが、「そういえば、今日は分析に行きたくないなぁと思っていました」と言うことも多い。
自分のことを振り返っても、数日寝込んだことがあった。
高い熱が出て、風邪かと思い解熱剤をのんだ。すると熱は一気に平熱近くまで下がるが、相変わらず体のだるさがとれず、起き上がることが出来なかった。
結局、治りきらず分析に行くことができなかった。
後から思えば、本当の自分を見せられた分析に行くことに抵抗したのだ。
またこんなこともあった。自分で決めて学校も仕事も選んできたと思っていたが、夢分析からよくよく思い返せば、親の敷いたレールの上を歩かされいただけと気付いたときには、分析からの帰り道を、どう帰ってきたのか覚えてないくらい動揺していた。
『抵抗ありしところに分析有り』 その抵抗を排除するのが、インテグレーターとクライアントの信頼関係である。
辛いけれど、抵抗を示すそここそコンプレックスのありかであり、そこに立ち向かっていく強い自我を、長い付き合いのうちにつくっていく。

2007年11月09日

分析家の独り言 33 (福岡での教室にて)

福岡出張から昨夜戻り、母親教室(生き方教室)を福岡でも開催してきた。
参加されたのは、30歳代既婚、二児のお母さんと、20歳代独身女性、とそのお父さん。
互いに質問をしあったり、我が家でのエピソードを話されたり、こちらからそれについてコメントしたり、症例を紹介したり、エディプス期の子どもの状態を少し説明したり…。
2時間、あっという間に過ぎた。
今後、この教室の進め方は、参加された方の希望に応じて、いろんな話しができればいいと思っている。
分析は生きること全てに関わるので、どなたでも気軽に、こんなことを聞いてみたい、話してみたいということで、人と人の関わり、人の輪ををつくっていけたらと思っている。
もちろん、子育てに悩むお母さんも参加いただきたい。
日本をいずれ背負っていく子どもたちが、健やかに育たれることを切に願う。
その子どもたちを育てる大人であり、親たち、そしてこれから親になる可能性のある人たちに知っていて欲しいことも多々ある。
クライアントのほとんどが言われる。こういうことをなぜ学校で教えてくれなかったのかと。
学校も、社会も、親も教えてくれなった。
私も同感である。
私の例で言えば、悩み苦しみ、自分でなんとか探し当てたが、とき遅く、既に二児の母であった。
出来ることなら、親となる前に、いや、配偶者選択をする前に知っておきたかったというのが本当のところ。
それでも知れば、そこから考え、軌道修正できる。
今回の出張で、そんなことをあらためて考えさせられた。

分析家の独り言 34 (非行)

子の「非行」に悩む親の会に参加した。
この会に参加して、かれこれ7~8年になるだろうか。その中で、子どもが非行に走り、親御さん特に母親の嘆きを聞いてきた。
よくあるパターンは、非行に走るまでは、塾にも行き、親のいうことをきくいい子だった。その子が、学校に行かなくなり荒れだす。
親は慌てる。まさかうちの子がと。
学校に行かず、昼間ごろごろしてバイトもせず、夜になると遊び歩く子どもの姿がどうしても受け入れられない。
その上にお金を要求される。
それでも、そんなわが子を受け入れられるかどうか。
どこまでも、親の思ういい子の枠にはめようとすれば、子どもはなお荒れる。
親が折れて、そんな子どもを理解しようと努め、親の考え・価値観を押し付けなくなると、子どもの態度も和らぐ。
ある非行に悩んだお母さんが言った。子どもは、親を打ち崩しに来る、と。世間体を気にし、常識や一般論をふりかざす親を。
子どもが望んでいることは、常識論ではない。どんな自分も受け入れて欲しい、認めて欲しいということ。
非行もひきこもりも根はお同じ。その子のパーソナリティーによって、出方、表現が違うだけである。

12月、子の「非行」に悩む親たちの会(京都)

毎月第二金曜日の夜に、非行の子どもさんの問題に悩む親御さんが話しをする親の会が開かれています。

日時 : 12月14日(金) 午後6:30~9:30
場所 : 親と子の教育センター(京都市左京区聖護院川原町4-13 京都教育分化センター内 1F)
会費 : 500円

お問い合わせは、
  電話 711-1150(勝見先生)または、ラカン精神科学研究所 天海まで

2007年11月11日

分析家の独り言 35 (ごっこ遊びにみる子どもの心と姿)

幼稚園に通う女の子のいるクライアントとの話でのこと。
近ごろの子どもたちは、ままごとをするが、お母さん役のなり手がないという。
昔子どものころ、ままごとをして、お母さん役、お父さん役、子どもの役などに分かれて遊んだ。
みんな、お母さんになりたくて、取り合いになった。
ところが最近の子は、赤ちゃん役になりたがるそうだ。
クライアントの子どもさんは、お母さん役になりたいので、いつもお母さん役になるという。
また、私の下の娘が、たまたまテレビで見たそうだが、「ねぇ、知ってる?」と言ってきたのが、最近の子は、お母さんごっこをすると、お母さん役のなり手がないらしいと。
思わず「そうそれ、私もクライアントから聞いた」と私。
そこでは、子どもたちがペット役になりたがるそうだ。幼稚園などでは、お母さん役のなり手がなくて、先生がお母さん役を子どもにお願いするんだとか。
これはどういうことか。
母親イメージが子どもの中にしっかりと描かれていない。それもプラスのイメージとして。
普通、女の子は自分の母親に愛着し、母のような女性に、そして母のような母親になりといと思い、母親に同一化し、母親の特性を取り入れていく。
見本となり、真似られる人のことをモデルというが、これでは母親が子どものモデルとなっていないということ。
口やかましくガミガミいわれたり、怒られることが多かったり、母親のいうことをきかされ、子どもの主体性が無視されることが多くないかなど、私は危惧する。
赤ちゃんやペットになりたいということは、無条件に可愛がられる存在でいたい、つまり子どもたちがそういう存在ではないということ。
だからせめてごっこ遊びの中でその役になりたいのだろう。
また、成長への期待や希望が持てないということではないか。
いつまでも自分の年齢より低い年齢でいたい、それは退行=赤ちゃんがえりであろう。
または、ペットという人間でないものにされてしまっていることの証しのように思えてならない。
それは、いみじくもソフトバンクのコマーシャルがやってくれたように、父親が犬であるという表現にもうかがえるのでは。
このことについては、また次項に譲ることとする。
いずれにしても、見逃せない、深刻な問題ととらえる。

2007年11月12日

12月分析理論講座日程のお知らせ

12月15日(土) PM1:30~4:00
場所は、京都市伏見区深草にあるラカン精神科学研究所です。
参加費は3000円(テキスト代を含む)
講座内容は、分離・個体化の過程の続きをします。
興味・関心のある方は下記へお問い合わせください。
℡  050-1035-4401 または 075-644-8126  

今日も、分離・個体化の話、「母から独立していく過程が一生のドラマのように思える。分離・個体化の歴史そこ人の一生であり、ドラマではないか。」ということから、つい話しが発展し、症例や、参加している方の話になり、テキスト自体はほとんど進めませんでした。
ホームページで紹介いている、非行の息子さんに対応されたお母さん。
分析を受け理論を知るまで、自分は人が嫌いだったので、避けてきた。ところが息子に対応するとともに、今は人への関心が湧いてきて、人への見方が変わったと。
それが、二人の息子さんやそのお嫁さんへの接し方に生かされ、自分で「自分ほどいい姑はいない」と、冗談半分しかし本気で言われる。
また、人間は親子が分離することが真理である。だから先ほどの文章のように、一生かけても分離・個体化しいていくことが大事。それは子どもの立場では親との分離を、親の立場では子どもとの分離を成し遂げなければならない。
ところが、分離どころか、親が子どもを思い通りに動かそうとし、呑み込んでしまっている例が多い。
呑み込まれた子どもは、自分を持たないため、自分が好きなこと、やりたいことがわからなくなる。
そして、どこまでが自分で、どこまでが他者(母)なのかもわからない。
それら、0歳からの母の関わり方による。
笑い話のようだが、寒いと母親は一枚多く着ていきなさいという。ところが子どもは動き回るため、いらないと言う。それでも無理やり着せられる。
子どもはもうお腹いっぱいなのに、母親はまだ足りないからもっと食べなさいという。子どもは仕方なく食べる・・・
子どもがこけて膝をすりむいたとする。子どもは痛いと言って泣く。母はそんなの痛くないと言う・・・(それは痛いねと言うと、手当てをしたり、病院に連れていくなど手間がかかるため)
そして、その子は最終的にこう言う。「ねえ、お母さん、今日僕(私)寒い?」 暑いか寒いかさえも自分で感じられず、それさえも母にきかなければわからなくなる。
こういう状態を完全に呑み込まれたと表現する。
自分は自分、他者(母)は他者(母)という認識を持つことは、案外難しい。

2007年11月14日

11月母親教室(京都)にて

小学校2年の男の子が、2学期になって学校を休みがちで、月に8~10日休む。
朝機嫌が悪いが、学校へ行けばそれなりに友達とも遊んでいる様子。
子どもに聞くと、「面倒臭い」ということがある。お母さんはどうしてなんでしょうと言われる。
学校に行きにくいということは、何か心にしんどいもの、不安・不満などを抱えていると思われる。
しかし、それがどういうものかは、本人もはっきりわかっていない場合もあり、それを言葉で表現することも難しいこともある。
熱が出たり、怪我をしたりと、体の病気は目に見えてわかりやすいが、心の疲れ、不安、怒り、病などは、わかりにくいので、怠けていると思わることが多い。

例えば、私の娘の例をお話した。
娘が私に言ってきたが、残念ながら、ほとんど私には記憶がない。
娘がたぶんまだ保育園くらいのとき、本を買いに行った。娘は、イルカの親子の本を買った。
その本の内容は、お母さんイルカが病気で死んでしまい、子どものイルカが一人ぼっちになるというもの。
それを読み進んでいった娘は、悲しくなって途中で読むことが出来なくなったという。
私は、何日かして娘にきいたらしい。「あの本読んだ?」と。
娘は、「悲しいお話で途中までしか読んでいない」と答えた。
それに対し、私は「それじゃ、買った意味ないやん」と言ったらしい。
申し訳ないがそういうえば本を買ったことがあったかなぁ、としか記憶がなく、当時の私なら、そう言ったかもしれないとしか思えない。
娘も分析を受けていて、その事を分析の中で話したらしい。
分析者に、「そういうときには、お母さんを亡くした子どもイルカの気持ちになって、悲しい気持ちになったあなたは優しい子だねと言うのが、お母さんとしての言葉だね」といわれ、娘はホッとしたという。
言った方は過去言ったことを忘れている。言われた方は、その時傷付いたり、不信にお思ったりしたことをずっと引きずりながら覚えている。
知らず知らず、傷つけようとは思わずに、何気なく言ってしまった言葉で子どもは心に負担を抱えてきたことが、もしかするとたくさんあるかも知れない。私のこの例のように。
そういうことも、子どもの日常に少なからず影響を及ぼしている可能性はあると思うが、どうでしょうと問いかけてみた。
お母さん方は、うなずいておられた。

12月母親教室日程のお知らせ(京都)

12月7日(金)AM10:00~12:00
ラカン精神科学研究所(京都市伏見区深草フチ町)で母親教室を開催します。
 日々子育てするなかでの疑問、悩みなど話し合い、症例をまじえながらアドバイスします。
 今、子どもさんに何らかの問題があっても、なくても、安心して自信を持って、楽しく子育て出来るようにと願いつつ、この教室を毎月開いています。
 お子さんの年齢に制限はありません。もちろんお父さんの参加も歓迎です。
 参加費は500円です。
  お問い合わせはこちらまで
   ℡ 075-644-8126 または 050-1035-4401   [e-mail]

2007年11月15日

京都人づくり連続講座「ケータイ電話の落とし穴」を聞いて

NPO法人青少年メディア研究協会調査研究員 下田氏が、携帯電話の危険性、特に小・中・高校生に持たせるときの親の意識などについて講演された。
私も学校裏サイトという言葉を聞いたことはあったが、実際にどういうものかよく知らなかった。
携帯電話だけではなく、ゲーム機やPSP、DSもインターネットにつなげられる。
現代は情報過多の時代。情報があふれ、いらない情報まで入ってくる。
確かに、子ども達の周りには危険がいっぱいある。
プチ家出をすれば、それを応援するかのようなサイトもある。
「誰か泊めて」と携帯で文字をうてば、「泊めてあげるよ」と言うメールがくるという。
そこに犯罪の罠が隠れていることも多々あるだろう。
中学生がバイアグラを買っているとも。ネットで何でも買える時代。
日本だけだという、携帯電話からインターネットに簡単につながり、子ども達がその携帯電話を使っているのは。
経済至上主義のに走った弊害か。
あまりにも簡単に子ども達がインターネットにふれ、その危険性の中で暮らす社会の仕組みにも問題があるし、便利な道具ではある携帯電話やパソコンを使う人の心を育てることが大事だと思う。
ナイフでの殺傷事件が続発すれば、ナイフを店頭に置かないようにする。まるでナイフが悪いかのように。
ナイフを使う人の心一つで、ナイフは凶器にも、便利な道具にもなる。
その攻撃性(凶器として使い人を刺すなど)の制御・抑制を自我機能としてしっかり持つこと、育てること。

子ども達がインターネット、携帯電話利用で危険に会わないように注意しながら、良い使い方が出来るようにサポートするための情報交換の場:htttp://www.netizenv.org

2007年11月16日

12月福岡出張セラピー・教室の日程

毎月1回、福岡出張セラピーを行っています。
12月の福岡出張セラピーの日程は、4日(火)、5日(水)、6日(木)です。
福岡近郊で分析を希望される方、おられましたらご一報ください。遠方への出張であるため、福岡でのクライアントの方には分析料プラス2000円の交通費の負担をお願いしています。
ひきこもり等により、外出が困難な場合は、お宅へ伺うことも可能です。
母親教室を福岡でも開催しています。子育ての悩み・疑問に答え、安心して子育てできるようアドバイスします。今実際に子どもさんが不登校であったり、ひきこもり、非行などの問題がある方、特に問題はないが、自信がない、迷う、どう対応すればいいかわからない方。また、子育てに限らず、生きていくうえでの、悩み・迷い・疑問などの相談や質問を一緒に考え、分析の立場からアドバイスしていきます。年齢・性別等制限はありません。
12月は、4日(火)午後1時~3時と、5日(水)12時~2時の2回開催します。どちらも開始時間までに、福岡西鉄グランドホテル1階ロビーにおこしください。
教室の参加費は、500円です。
各講座(分析理論講座、インテグレーター養成講座)は、一人からでも開きます。
ご希望の方、興味・関心のある方、お問い合わせください。
電話 050-1035-4401
携帯 090-7357-4540
お問い合わせはこちらまで [e-mail]

三田圭子さんの次男覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕

高橋祐也容疑者(27)は三度目の逮捕。
薬物依存は、そう簡単には治らない。心の病であり、精神科に入院したから治るとも限らない。
覚せい剤に手をだしてはいけない、しかしそれが止められない。
それを止める強い自我が育っていない。
依存症は、甘えと依存そのもの。それはフロイトがいった、口唇期の欠損である。
0~1.5歳の頃を口唇期というが、その時期赤ちゃんは口と唇の刺激を求める。それはそれが快感で心地よいからである。
ちょうどこの時期と授乳時期が重なり、母の暖かい胸に抱かれ、おっぱいを飲む。このとき母親がどういう気持ちで、どのように世話したか。
アイコンタクトをとりながら、可愛い、愛しいと思って授乳できたか。
女優という仕事をもっていたら、おそらくゆっくりと子どもと向き合い、世話をすることは難しかったのでは。
そうすると、子どもの側は、不充分な授乳体験とともに、心に欠損をつくり、いつまでもそこに固着する。
そこで心の時計は止まり、心は満たされないまま、欲しい欲しいと子どもの自我のまま留まる。
母のおっぱいは後に、お酒、タバコ、薬物などに置き換えられ、その欠損の度合いによって、依存症へと移行していく。アルコール依存、ニコチン中毒、薬物依存というように。
ならばどうすれば高橋祐也容疑者は、薬物依存から抜け出し、その年齢に相応しい生活が出来るようになるのか。
三田さんは読み上げた文のなかで「女優の仕事をしていていいのだろうか。仕事をするより、子どもを監視するべきではないかと悩んでおりました」とあるが、子どもが覚せい剤に手を出さないか監視するのではない。
欠けた愛情を注ぎ、世話をし、見守るのである。それを育て直しという。
不登校でも、非行でも、育てなおしをしていくと、母親と一緒に寝たり、お風呂に入りたいと言い出す子がいる。そこまで退行できるということは、母親が母親として子どもに認識された証しでもある。
踏み外した階段は、踏み外したままでは上がれない。もう一度欠けたところまで戻って、やり直すこと。
母親が元気でいるのならそれが一番早い、近道。
「すべては私たち夫婦の養育、教育の失敗」といわれているが、その事の本当の意味をわかっておられるのか。
「どうすれば立ち直らせることができるのか方法がわからず、夕べも一晩泣いてしまいました」と。
私のところに聞きにきてくれれば、彼の行動を説明し、対応法も全てお教えするのだが。

2007年11月19日

分析家の独り言 36 (言葉と配慮)

子どもとは、母親との一体感を求める。
寸分の狂いもなく、鏡のように母親は自分に合わせるものと思っている。
娘達のその言動に今更ながら驚かされる。
そこまで求めるの!?と。
しかし、そういう時期がどやら子どもには必要らしい。
本来ならもっと小さい時代にだが。
それをその時代に私はしてやれなかったために、今取り返しているのだろうと思う。
不平・不満、文句を言い、親を批判してくる。
それを言える子は幸せ、健康。
ただし受け止める親は大変。
日々修行である。
でも頑張りましょうと、自分に言い聞かせる。
自分の言葉の足りなさ、思い込みの多さに気付く。
上の娘が、部屋の模様替えを手伝ってと言ってきた。
専門学校の課題に追われ、今週しか時間が取れないという。
そういうときに限って、私も忙しく時間が取れない。
来週なら少し余裕があるのに、娘は今週しかダメと言う。
「月曜はテストがあって早めに帰ってくるから月曜の午後は?」と言われ、「それならなんとかなる」と言った。
ところが、3限目がテストで、帰りは5時過ぎとか。午後と言うから、私はてっきり2時か3時ころと思いこんでいた。
「大阪から帰ってくるんやから、そんな早く帰れるわけないやん」という娘。
「それならそうと言ってよ」と私。
その後、娘の言い方ついカチンときて、いらないことまで言ってしまった。
言った後で、しまったと思ったが、一度吐いた言葉がなかったことにはならない。
娘は、今週は忙しくてダメと言った最初の言葉ですでに腹立たしさを感じていたらしい。
言葉は難しい。
柔らかい言い方、相手を気づかった言い方、配慮のなさ・・・あ~あ、足りなかった。
自分の忙しさ、仕事の片付かなさに焦りを感じていたなぁと反省。

2007年11月21日

分析家の独り言 37 (幸せに生きる)

女の子二人のお母さんである、クライアント。
下の子への対応と、上の子への対応が違うと言う。
下の子は、言いたいことを言い、自分を通す。それに応えないと後が大変ということもあり、応える。
ところが上の子には共感しにくい、関心が向けにくく、対応できない。
上の子は下の子ほど自己主張しない。我慢させていることが多いと思うと。
あまり自分を出さない、我慢しているその上の子こそ、子ども時代のクライアントそのものである。
かつての自分をそこに見てしまい、排除し、拒絶したくなる。
自分の良い部分を見るのならいいが、嫌な部分を見るのは誰しも避けたい。
それは自分で自分を拒否している、自分のキャラクターの一部分。それは当然拒絶したくなる。
結果、対応が上の子と下の子では違ってしまう。
嫌い、嫌だ、ひっかかるもの全て自分。
自分の一部を他者に投影して、嫌だ、嫌いだと言っている。
例えば、大人でも甘えたい、頼りたい気持ちはある。
しかし、その甘えを否定し、拒絶し、抑圧している人がいる。
すると甘えの反対で、人に頼らない、甘えない、しっかりしなければならない。
甘えたい気持ちは無意識下に追いやられる。そしてその人は、自分に甘えたい気持ちなどないと思っている。
そういう人は、甘えている人をみると腹が立つ。例えばそれは、人前でいちゃいちゃしているカップルを見たときに。
もっとダイレクトなのは、子どもが「お母さん」と甘えてきたいときに。
自分が抑圧し、諦めたことを、他人がしているのを見ると腹が立つ、嫌う。
こういう母親に育てられた子どもは、その母と同じように、甘えたいのに甘えられず、しっかりした子どもになって、結局かなえられない甘えを抑圧し、自分には甘える気持ちなどないと思って生きていくことになる。
しかし、相変わらず甘えたい気持ちは無意識下にあり、それは無意識であるがゆえに、本人には自覚されず、ただ漠然とした不満や不安として感じられたり、生きにくさと感じられるだろう。
こうして甘えを許されないで、甘えられない構造が親から子、子から孫へと世代連鎖されていく。
この甘えを抑圧している無意識に気付き、甘えられるようになること。
そうすれば、子どもの甘えも受け入れられるようになる。
分析の目指すところは、単に心の病を治す、症状をとるというだけではなく、人間解放。心と体の解放であり、自分らしく幸せに生きることである。

2007年11月22日

分析家の独り言 38 (自分で自分を意味づける)

父に呼ばれ、実家に足を運んだ。
父との用事を済ませ、午後の時間を久しぶりに母と話した。
実家は解脱会という宗教の支部をしている。
子どものころは、無理やり会に参加させられたが、私は今は脱会している。
母との話の中、母の苦労が垣間見られた。
子どものころは、何もわからず、ただ生きにくさを感じ家が嫌いだった。
すぐ切れる父に脅えていた。
その父と今、対等に話している。
母は長男である父と結婚して、大家族の嫁となった。
小学校の教師をしつつ、私たち二人の子どもを産んだ。
当然私たちは、昼間は祖母の手で育てられた。
私と兄の上にもう一人身ごもったが、おろしているとは聞いていた。
その理由が、結婚して環境が変わり、忙しさの中は母ずいぶんやせたらしい。
そんな中で身ごもり、とてもまともには産めないだろうと母の母が心配し、おろすように言い、母はその言葉に従ったという。
思わず私は聞いた。「その時夫婦では話さなかったの」と。
母はどうだったか覚えていないと言う。
おろした後、父の父に、後摂りとなったかもしれない子をおろして、と怒られたとか。
そんな大事なことをまず夫婦で話さなかったのか・・・
父は男ばかり5人兄弟の長男、当然母が嫁いだときには、4人の弟達がいた。
その中で、ご飯も食べたいだけ食べられなったという。
ご飯をおかわりしたくても出来なかったと。
子どもである私にはあれこれ指示してきたが、この母も自分をしっかり持たなかった人だった。
そんな中で、母はきっと自分のことで精一杯だっただろう。
娘である私に、関心を向け、世話をし、愛情を向けることは難しいことだったろう。
ALL OK などできるはずもない。
その母の対応の悪さに、私は自分を歓迎されない子、受け入れられない子、母に嫌われた、邪魔な子と、どんどんマイナスの意味と価値を付けていった。
それも当然のこと。どこをどう見ても、そうとしか思いようがない。
そういう自分であることも甘んじて受けとめ、自分で生まれたきた意味をつけ、何のために生きていくのかも自分で決める。
これが分析でいう、自己規定。
親の対応により、歓迎されなかった子としか思いようがないが、それを知った上で、今度は自分で自分の生き方と、その意味と価値を決める。
昔分析を受ける途中で、親に「私の人生を返して」と文句を言ったことがあった。
そのときは、その親への抗議も必要だった。
今となれば、もういい、自分で取り返している。
自分を磨き、成長していくと決めたのだから。

2007年11月27日

金谷氏今月のメッセージ 平成19年11月分

当研究所に相談に来られる人は、子供の不登校や引きこもり、本人ならば”うつ状態”や人間関係の悩み、子育て不安などと現実的に頭で考えても分からない。
何故こうなるのか? そこには見えない世界・自分自身も知らない世界に答えがある。
しかし、こちらが「この場所に問題があります」と提示しても、自分の思考する中になければ信じようとしない。
「でも先生こうじゃないのですか」「しかし、それが原因ですか」等と反論する。自分の考えで行動して来て行き詰まり、どうしていいのか分からず相談に来ているにもかかわらず、抵抗する。
これは、自分自身に自信が無く何も出来ない事を知っていて、なおかつ自己否定感を持っていて、自分はダメだと思っている。
それを明らかにされたくない。その反動で強がっているだけである。自分は何も知らない何も出来ない人間であると認める勇気がないのである。
元々親に厳しく育てられ、何もさせて貰っていない。承認と賞賛の無い環境で育っている為、自分のする事に自信が無い人になっている。
 精神分析は、それは他者(養育者/主に母)によって作られた者で、本当の自分ではない事を明らかにする。
何もやらせてもらえず、親の指示・命令で動いていた自分が ”自らの思いで自らが動き出す”やったことの無い行動をして行かなければならない所に難しさがある。
過去の自分と戦いながら未来に向って行く、非常に難関であり時間も年単位でやらなければならない。
しかし、あきらめずやり続ければ必ず光明は見え、いつしか変容するのである。
この前、ある本に出会った。宮本延春氏の「オール1の落ちこぼれ、教師になる」という本である。
 彼は中学生の時、成績が全科目1であった。卒業の時・わずか技術と音楽が2になっただけ。
学力といえば国語の漢字は自分の名前が書けるだけ・数学は九九が二の段までしか言えず、英語はbookしか書けないと言う状態であった。
しかし、不思議なことにテレビで見たアインシュタイン博士の「相対性理論」を解説したフィクションを見て、物理学を勉強したいと言う目的が出来た。これに向って奇跡と言うべき怒涛の進撃を開始するのである。
小学生3年生のドリルを独学でやり始め、24歳で定時制高校(私立豊川高校)に入学、この時先生をも動かし特別に補習をしてもらい、勤め先の渋山建設の社長と専務に多大なる協力と支援をしてもらい、大学に行くための勉強をした。
何故そこまでしなければならないのか?16歳で母をなくし18歳で父をなくし経済的には一人でやらなければいけない。
私立に行く資金は無いので国立を目指さなければならない。そして多くの人の支えと本人の努力で27歳の時名古屋大学・現役合格をしたのである。(後に36歳で豊川高校の教師になる。)
 分析は目的を明確に言語化し、それに向って何をすべきかと都度、言葉にし行動して行けば、思ったとおりの自分になれるといい続けている。
この宮本氏の結果を見た時に、我々が叫び続けてたことを証明されたと感動し、又意を強くして叫び続けるようと新たな決意が出来た。ちなみに彼は生徒に言っている事は「出来ないと諦めない!」
当研究所の信条「絶対あきらめない」と一致した事も感動であった。

金谷精神療法研究所

インテグレーター 諸法皆空(金谷章吉)

不登校・ひきこもりに関する講演会と相談会の知らせ

12月1日(土)午後1:30~4:30 京都文教大学にて 
斉藤環先生による、ひきこもり治療体験から、ひきこもる若者や不登校の子ども達が、何を想い、何を感じているのか、どの様に対応していけばよいのか、皆さんで考えませんか?
講演後は、当事者と家族えお支援するための相談機関や学校を紹介する親子相談会を開催します。

●講演『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』 斉藤 環 氏(ひきこもり研究者・精神科医) 午後1:30~3:00

●第二回 不登校とひきこもり親子相談会 午後3:30~4:30
  心理・医療・福祉・教育領域についての相談会を行います。また、不登校児童受け入れ校に関する資料を用意しております。ご家族の方のみのご参加でも結構です。この機会に、現在抱えておられる問題について、是非ご相談ください。

参加費 : 無料
主 催 : 不登校とひきこもり研究会
後 援 : 京都文教大学心理臨床センター

お問い合わせ先
〒611-0041 宇治市填島町千足80 京都文教大学心理臨床センター
℡ 0774-25-2518
http://www.kbu.ac.jp/center/index.htm

交通のご案内
電車 : 近鉄京都駅「向島駅」下車、タクシー5分。
      駅から北へすぐあるスクールバス乗り場からバスが出ています。
      本校ホームページにて、バス運行時間をご確認の上、ご利用ください・
車  :  国道24号線沿い。お車でえお越しの場合は、学内注射スペースをご利用ください。

京都文教大学ホームページ : http://www.kbu.ac.jp/kbu

上記のような講演・相談会が開催されます。
心理相談として、当研究所も参加します。


2007年11月29日

守屋前次官夫婦で逮捕

高級クラブでつけ回し、ブランド品のプレゼント…。前防衛事務次官、守屋武昌容疑者(63)の妻、幸子容疑者(56)が「身分なき共犯」として、夫とともに収賄容疑で逮捕された。妻が収賄罪の共犯として立件されるのは異例だが、山田洋行元専務、宮崎元伸容疑者(69)への“おねだり”は常軌を逸していた。
また、幸子容疑者は高級クラブに友人7、8人を連れてカラオケに興じ、請求書を山田洋行に送るようクラブオーナーに指示。公然とつけ回しをしていた、という。
日本は母性社会。母性社会とは、社会の中で生きる人間同士が、母子一体化のような未分化なまま馴れ合って暮らしていることをいう。
これはけじめがなく、汚職がはびこる袖の下社会である。
それを象徴するような事件である。
子どもが親にねだるように、企業におねだりした守屋武昌容疑者(63)と妻。
しかも妻は7歳年上の夫を、「坊や」と呼んでいたという。
ここにも夫婦でありながら、母子の関係がみえる。
自分たちの遊興費を山田洋行に払わせる。人のものと自分のものの区別がつかない。
そこに父性性など見えない。

2007年11月30日

分析家の独り言 39 (日本的自己愛人間と日本的マゾヒズム)

西洋においては「個」が尊重され、自己主張すること、自己価値が重んじられる。
ところが東洋においては、仏教の教えにあるように、「我に執着する」自己愛は煩悩の最たるものである。
日本人は、「我執」「うぬぼれ」というように、自分に愛着したり執着することを、いいこととはみなさず、それを迷いとみなし、そこから開放されることが課題とする。
文化論的にいえば、西洋人の場合は自己の権利を主張したり、自己を愛したりすることは当然であり、自尊心(プライド)はいい意味で使われる。
しかし日本人の場合、自分自身を誇りにしたり、愛したりすることをいいこととは考えない。
常に他者からどう評価されるかという受身的な自己愛である。
相手本位の日本人の場合、自己確信的・自己主張的に自分を独善的に主張し発揮することは「わがまま」であり、脱却すなければならないという考えが方が強くある。と小此木啓吾氏は著書『自己愛人間』 で書いている。

自分の自己愛を引っ込めて、他者を尊重するという配他的(他者に配慮する)態度が日本人の思いやりである。
文化人類学的にみると、日本人は農耕民族であったために、その土地に住み続け、周りの人と助け合い、協力し合って暮らしてきた。
飢餓になったときには、お互い助け合う必要があり、人の援助を期待せざるを得ない。
そのためどうしても、他者に配慮的になる。
それは他ならない自分が気を配ってもらいたいからである。
自分が相手にしておけば、相手も自分にして返してくれるだろうという思いのもとにする。
ここに見返りを期待する、恩を着せるということがある。
遊牧民のように移動するならば、たとえ嫌なことがあってもそのときだけのことで終わる。
草がなくなればその場を立ち去るので、同じ人と再び合うことはまずなく、してあげたことの恩、見返りなど期待しないため、自然にボランティア精神が育つ。
日本人はまず自分のことを犠牲にしても、他者に配慮しなければならないという民族的無意識がある。

自己愛で大事なのは、エロス的交流。(自分の快と満足が、相手の快と満足になるような交流)
このエロス的交流を、人はまず最初の対象である母親と体験し、母に愛されるよい対象自我を自己の中にイメージできる。
ところが、多くは自分の欲求の抹殺が相手を喜ばせる。
いってしまえば、自己主張しないこと、欲求を出さないこと、自己愛の抹殺が母を喜ばせる。
欲しがらないこと、自分を出さないこと。
そうして、母の欲求を読み取り、母に気に入られるように母に合わせて生きる。
そこに自分というものはない。
結果自分は何が好きなのか、何をしたのかわからなくなる。
だからクライアントには、「好きなことをしましょう」という。
すると、「好きなことしていいんですか?」「そんなこと学校でも家庭でも教えられませんでした」とか、
「好きなことしたいが、何をしたいのかがわからない」と言う。
分析を通して、自分を見つめ、自分を知り、主体性を取り戻し、好きなことができる自分になる。
そして自分らしく、いきいきと生きて欲しいと願う。
              (11/29 インテグレーター養成講座内容の一部より)

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