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分析家の独り言 35 (ごっこ遊びにみる子どもの心と姿)

幼稚園に通う女の子のいるクライアントとの話でのこと。
近ごろの子どもたちは、ままごとをするが、お母さん役のなり手がないという。
昔子どものころ、ままごとをして、お母さん役、お父さん役、子どもの役などに分かれて遊んだ。
みんな、お母さんになりたくて、取り合いになった。
ところが最近の子は、赤ちゃん役になりたがるそうだ。
クライアントの子どもさんは、お母さん役になりたいので、いつもお母さん役になるという。
また、私の下の娘が、たまたまテレビで見たそうだが、「ねぇ、知ってる?」と言ってきたのが、最近の子は、お母さんごっこをすると、お母さん役のなり手がないらしいと。
思わず「そうそれ、私もクライアントから聞いた」と私。
そこでは、子どもたちがペット役になりたがるそうだ。幼稚園などでは、お母さん役のなり手がなくて、先生がお母さん役を子どもにお願いするんだとか。
これはどういうことか。
母親イメージが子どもの中にしっかりと描かれていない。それもプラスのイメージとして。
普通、女の子は自分の母親に愛着し、母のような女性に、そして母のような母親になりといと思い、母親に同一化し、母親の特性を取り入れていく。
見本となり、真似られる人のことをモデルというが、これでは母親が子どものモデルとなっていないということ。
口やかましくガミガミいわれたり、怒られることが多かったり、母親のいうことをきかされ、子どもの主体性が無視されることが多くないかなど、私は危惧する。
赤ちゃんやペットになりたいということは、無条件に可愛がられる存在でいたい、つまり子どもたちがそういう存在ではないということ。
だからせめてごっこ遊びの中でその役になりたいのだろう。
また、成長への期待や希望が持てないということではないか。
いつまでも自分の年齢より低い年齢でいたい、それは退行=赤ちゃんがえりであろう。
または、ペットという人間でないものにされてしまっていることの証しのように思えてならない。
それは、いみじくもソフトバンクのコマーシャルがやってくれたように、父親が犬であるという表現にもうかがえるのでは。
このことについては、また次項に譲ることとする。
いずれにしても、見逃せない、深刻な問題ととらえる。

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2007年11月11日 08:43に投稿されたエントリーのページです。

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