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2007年12月 アーカイブ

2007年12月02日

分析家の独り言 40 (ひきこもり)

ここでもお知らせした、文京大学での斉藤環氏の講演会とひきこもりの相談会に行った。
相談会の方には京都府青少年の社会的ひきこもり支援ネットワークに加入している民間支援団体の名前があった。
斉藤氏の講演自体を私は聞くことができなったが、この催しをコーディネイトしたというフリースクール・寺子屋 みらいの会の野田氏の話によると、斉藤氏を招いてもひきこもりに悩む親たちは集まらないという。
実際講演に集まったのは、ひきこもりの問題に関心のある若い人たちであったようだ。
その後の相談会にも、当事者である親の姿はあまりみられなかった。
去年も同じような会が催されたが、去年はまだ相談会の方にこられる親御さんも多かった。これはどういうことか。
ひきこもりは、日本の社会の中で大きな問題の一つととらえる。
国としても、放っておけない問題として国家予算をあてて各自治体に対策するよう指示しているのだろう。
一口にひきこもりといって、精神疾患を伴うものと伴わないもの、その状態は様々である。
支援する側にも、共同作業所であったり、フリースクールであったり、その中でも寝食を共にして共同生活を送るものもある。
私のような相談やカウンセリング等の機関、病院などなど。
いずれにしても、親が手におえず、ひきこもる本人をまる投げしてよくなることはない。
親の心労、さきの見えない不安や心配それはわかるが、親が関わり、最後まで子どもを見捨てないこと、あきらめないこと。
もう二十歳を越えただから、せめて自分ことは自分でとか、自立して欲しいと願う親の気持ちはあっても、そうしたくても出来なくてイライラしているのは本人も同じであろう。
ひきこもるという結果は、小さいときからの積み重ねた経験の結果である。
もっと言えば、親がその子にどう接したか、その中で当人が自分に自信を持って、健康な自己愛を育てられたかである。
結果が出てからあわてるのではなく、赤ちゃんのころ、いや胎児の頃からのどう子どもに接すればいいかを学んでもらいたいといつも思う。
予防医学があるように、予防子育て法を何らかの方法で教えていかなければ、この国はいずれ衰退していくと私は危惧している。

2007年12月03日

分析家の独り言 41 (不安・ストレス)

不安の基を心理的に表現すると、「心身に累積した興奮が適切にに処理されない状態をストレスと感じ、それが無意識下に蓄積されたある情動」といえるだろう。
人間は、外界の刺激に反応する。刺激によって興奮がおき、この状態が外に出ようとする。
例えば、他人から嫌なことを言われ、興奮し腹が立った。それをこぶしで爆発させれば殴ることになる。
それを言葉で爆発させれば、言葉でかみつくことになる。
我々は社会秩序に従って生きなさいとか、人によっては、「人と争うな」と親に言われて来たために行動化できないことが多い。
このため興奮を抑え、抑制する。
すると、興奮は行き場を失って自分の中に蓄積されてしまう。
蓄積されたものは、直接出す(殴る、かみつく)のではなく、別の経路で放出する必要がある。
例えば、バッティングセンターやボーリングなどのスポーツを通して発散するとか、カラオケで大声を出すというのもいいだろう。
この処理能力を持った人は爆発することなく、冷静に対処でき、興奮をためることなく上手く処理するため、からだのバランスもよい。
入ったものと、出たもののアンバランスがストレスとなるため、自分の中にたまった興奮やストレスの処理方法をしっかり持っておくことが、心を健康に保つこととなる。
大人ならそれはたやすいことであっても、こと子ども、いや赤ちゃんとなるとこれは難しい。
だからこそ、親ことに母親の配慮が必要となる。
人は小さい頃からの積み重ねによって、今がある。だから何をどう積み重ねたかが問題である。
今がもし生きにくいのなら、楽しめないなら、苦しいと感じるのなら、さみしいのなら、過去を振り返ってみることは意義があると思う。

2007年12月07日

12月母親教室にて(京都)

一人のお母さんは、子どもがえらそうに「○○しろ」と命令口調で言うので、つい腹が立つと言われる。
せめてもう少しやわらかい口調で言ってくれればと思うと。
もう一人のお母さんは、大したことをしたわけではないのに、やたら「ありがとう」と子どもがいう。
なんで何度も言うの、そんなに母親である自分の顔色をみなくていいのにと思い、これまたイライラしてしまうと言われる。
それぞれ抱えているコンプレックスが違うため、子どもの言動のどこにひっかかり、腹が立つかは違う。
簡単に言えば、最初のえらそうに言われて腹が立つというお母さんは、自分が下に見られ、大事にされたという想いがないため、子どもに命令口調でえらそうに言われると、また自分が下に見られた気がするのだろう。
後者のお母さんは、母親に嫌われないように、母の顔色を見て母に合わせてきた自分がいて、その自分を子どもの中に見ている。
どちらも自分の好ましくない姿を子どもの中見て、冷静ではいられない。
投影というメカニズムによって、ひっかかるもの、嫌いだ、嫌だと思うもの全て自分と、いつもクライアントに言っている。

2008年1月母親教室日程のお知らせ(京都)


次回はもう2008年となります。
1月17日(木)AM10:00~12:00
ラカン精神科学研究所(京都市伏見区深草フチ町)で母親教室を開催します。
 日々子育てするなかでの疑問、悩みなど話し合い、症例をまじえながらアドバイスします。
 今、子どもさんに何らかの問題があっても、なくても、安心して自信を持って、楽しく子育て出来るようにと願いつつ、この教室を毎月開いています。
 お子さんの年齢に制限はありません。もちろんお父さんの参加も歓迎です。
 参加費は500円です。
  お問い合わせはこちらまで
   ℡ 076-644-8126 または 050-1035-4401  lacan_msl*yahoo.co.jp(*を@に変えてください)

2007年12月08日

分析家の独り言 42 (はじめに心有りき)

一般的には、体の病気のために、ある症状を出すと考えるが、心が病気を作り出している。
例えば、緊張すれば心臓がドキドキする。心が落ち着けば心臓の動きも落ち着く。
緊張が血管を収縮させ、血圧を上げる。緊張を増加させるのは不安である。
最初に肉体に信号を送るのは精神であり、そういう精神の構造が体に負担を与えていく。
それが固定化したものが病気であろう。
固定化されるまでの前段階に心は作用しているが、固定化してしまうと、病気がどのように形成されたのか忘れてしまい、わからなくなる。
医者が診ているのは、体に出た症状という結果だけで、それが形成されるまでのプロセスは見ていない。
肉体は心の結果でしかない。
だから、逆に病気という結果から、その基ととなった心の状態を探ることも出来る。
大まかに言えば、死に至る病気は緩やかな自殺と言うことができ、攻撃性が自分に向いたものである。
心と体の関係は密接であり、はじめに心有りき、体は心のバロメーターである。
現代のストレス社会のなかで、心のバランスを崩している人たちが多いが、心の健康が、体の健康にもつながる。

2007年12月10日

分析家の独り言 43 ( 自分を知る)

人は育ってくる中で、人との関わりの中で共感され理解され、情緒性が育つ。
人として、人を思いやる気持ち、人の痛みがわかるなど・・・
分析していくと、どうも自分にはそういうものが欠けているのではないかと気づきだす。
最初は何が自分に欠けているのかがわからない。
ただ、何か変だ、自分は人と違うのではないかと違和感を持ちつつ生きている。
辛いが語りながら、自分を知っていく。
共感され、理解されなかったことがわかってくると、これは大変だと思う。
人は無いとわかれば、それを得たくなる。
だから、無いものをつくることはできるのかと聞かれる。
遅ればせながらも、無いことに気づき、それを求めるなら得られる。
分析場面で、分析者に共感・理解される体験をつみ重ね、それがだんだん、日常生活の中へ広がっていく。
それには、まず自分に何が欠けているかを知ること。
私もずいぶん長い間、人間という枠の外にいた。
ようやく人間らしくなってきたかと思う。

2007年12月12日

分析家の独り言 44 (不登校・ひきこもり)

子どもが学校へ行かなくなると、親は冷静ではいられない。
学校へ行くように促す。
担任の先生が、家庭訪問に来たりする。
それでも子どもは、学校に行く様子がない。
そんなとき、親御さんはどうされるでしょう。
体のしんどさ、病気は、親も学校も受け入れやすいが、心のしんどさは他者からはかわりずらい。
怠けていると思うこともある。
その子がどんなしんどさを抱えているかを知ろうとすること、理解する努力は、難しい・・・
子ども自身にも、何がどうしんどいのか、嫌なのか、明確にわからないこともあるだろう。
「漠然とした不安を抱えて生きてきた」、と表現するクライアントたち。
安心と安全、守られているという実感をもてなかった・・・
人は、日常の些細な言動の積み重ねによって、喜んだり、傷ついたりしながら、無意識を形成していく。
ならば、何をどう積み重ねたかが問題となる。
そこには親の無意識が関わる。
親もまたその親に育てられ、そのなかで認められたり、傷ついたことがあり、それが子どもを育てる中で再生される。
受け入れられ、認められ、適切に世話されたことはそれとして。
拒否され、否定され、怒られ、無視されたことはそれとして。
虐待を受けたある女性は、子どもは産まないと言った。
子どもを責めるのではなく、親自身が自分を責めるのでもなく、出た結果がマイナスであるなら、どういうことがあったのかを知ること。
子どもを変えようではなく、まず親が変わること。
学んでください。

分析家の独り言 45 (ピアスと身体感覚)

あるクライアントが、ピアスをつけた。
以前からピアスの穴をあけたいと聞いていた。
実際にピアスをつけてみて、うれしい、楽しいという。
「どうしてですか?」とたずねた。
「これで親からもらった体じゃなく、やっと自分の体だという気がする」という。
なるほど。
自分が感じている痛みは自分のものだから、痛みを感じることで自分の体になった。
私の身体感覚・イメージを私が作った=主体が少しあらわれた、ということ。
ピアス一つをするにも、その人なりの意味があるんだなと、今更ながら思った。

ちなみに若い人たちが、耳に限らず体のあちこちにピアスをつける。
ピアスの意味とは、身体感覚の意識化、自己自身感覚の強調。
よく夢から覚めて、夢か現実かわからなくてつねってみる。
「痛い。じゃあやっぱり夢ではないんだ」という、これと同じ。
それくらい身体感覚がないといえる。
自己感覚を作るために痛みは使われる。
痛みは全身に広がって、自他の境界を露わにする。
そのため身体のきわにする。
鼻は体の中心であるため、ピアスをつける人がいる。
両耳・鼻の3点がつながり、立体的になる。
ボディーにも身体感覚が必要な人は、おへそや乳首にピアスをつけることもある。
足は歩くことで地面の圧力を感じられるため、手はものをつかんだり触れたりするため、わざわざピアスをつけなくてもよいのだろう。
ピアスによって、身体を縁取っている。
24時間ピアスをつけていると、そこに意識が行き、自分を自覚できる。
そうすることで、からだがバラバラにならずにすむ(ラカンがいう身体のバラバライメージ)。
こうしてバラバラな身体イメージをつなぎ、統合するために痛みが使われる。
本来はそれをスキンシップによってする。
マッサージやエステは同じ意味がある。
スキンシップされ気持ちよくなって寝てしまうことも多い。

2007年12月13日

分析家の独り言 46 (父よ、母よ)

「父よ!言いたいことあったらはっきり言え。
母よ!言いたいことをそのまま言うなよ」

「父よ!イビキがやかましい。
母よ!口がやかましい」
    講談社文庫 -一行詩「家族」- (父よ、母よ、息子よ、娘よ)より

思わずうなずいたり、苦笑したりしてしまう。
父は父らしく、威厳を持って家族の旗頭として、言うべきことは、はっきり言い渡さねばならない。
母は情緒豊かに、子どもを愛しみ、口はひかえて、子どもの言う言葉を正確に聞き取り対応する。

不登校・ひきこもり、非行など問題のある家庭では、父親役と母親役が逆転していることが多い。
「父親が頼りなくて、言うべきことを言ってくれないから、私がいうしかなんです」といわれることがある。
相談にこられたお母さんにはまず「口にチャックをしてください」という。
いくら父親が頼りなくても、父性がなくても、母親は母親。父の代役をしてはいけない。
母親はあくまでも優しく子どもに接するようお願いする。
父とは掟、ルールである。
それを教えるのはもちろん父親。
例え父親がいなくても、社会が周りがしてくれる。
それよりも子どもにとってマイナスなのは、母が恐かったり、優しかったりすること。
これをランダムにされると、子どもは混乱する。
母親は優しい人なのか、恐い人なのかわからなくなり、愛と憎しみによって引き裂かれる。
口を閉じて、子どもの言葉に耳を傾けましょう。
聞いているようで、案外ちゃんと聞けていないことが多いのでは。

2007年12月15日

分析家の独り言 47 (生と死)

私事だが、昨夜は学生時代の友人のお通夜にいった。
癌の宣告を受けて1年8ヶ月の戦いだった。
去年の夏には、急遽彼女が元気なうちにと、神戸で仲間6人が集まり食事会をした。
そのときはまだ、一緒に食事ができたのに。
その後、今年の春倒れて入院。
病室へお見舞いに行くごとに容態が変わっていくのが辛かった。

そして彼女は頑張ったが、病気には勝てず亡くなった。
下の娘さんはまだ中学1年。
その姿が痛々しかった。

なぜ彼女がこんなに早く逝ってしまわなければならなかったのか。
身近な人の死に出会ったとき、自分の生が浮かび上がる。

私は残りの人生をどういきるのか。
何を目指すのか。
何のために生きるのか、何のために生まれてきたのか。
これらの問いに自分なりの答えを出さなければいけない。

12月インテグレーター要請講座のお知らせ

『インテグレーター養成講座』 を下記の通り開きます。
日時 : 12月25日(火) AM10:00~PM1:30
場所 : ラカン精神科学研究所(伏見区深草フチ町)
料金 : 8000円 
講座内容 : 自我論Ⅰ 胎児・乳児の自我形成
五回の講座とは別に、新たにもう一つの講座のスタートです。
胎児はどのように母のおなかの中で成長するのか。
新生児の世界と、自我、対象関係の発達。

2008年1月分析理論講座日程の知らせ

2008年1月26日(土) PM1:30~4:00
分析理論講座を開きます。
場所は、京都市伏見区深草にあるラカン精神科学研究所です。
参加費は3000円(テキスト代を含む)
講座内容は、分離・個体化の過程の続きをします。
興味・関心のある方は下記へお問い合わせください。
℡  050-1035-4401 または 075-644-8126  

2007年12月16日

分析家の独り言 48 (理論))

子どもの問題が落ち着くと、今度は自分のことに関心がむく。そして、夫や自分の周りの人たちへ。
子どもさんが落ちつく、それでももちろん ALL OK で接する。
母親教室にも通い、そのあと理論講座に来られていたあるクライアント。
今度はインテグレーター養成講座で、より専門的な理論を学びたいと言われた。
インテグレーター(分析家)になりたいのではない。
これまで自分は、人が嫌いで避けてきた、関係を切ってきたと。
ところが子どもさんに対応するうち、自分が変わってきて、今まで関心を向けなかった「人」に対して、今一番関心があるという。
変われば変わるものだなぁと、私も思った。
世間で起きる事件や、自分の周りの人たちに対しての見方が変わった。
今までなら、なんて馬鹿なことをとしか思わなかったが、どうしてそんなことをしたんだろう、何がそうさせたのかなどと考えるようになったと。
人を理解するために勉強したいと言われる。
人を理解することは、自分を理解することにもなる。

私もこの理論を勉強して、人って本来そうやって成長するものだったの?!と、人間の精神の構造、働きなどを知るのがとても面白かった。
同時に自分の育ち方の異常さにも気付かされた。
これではしょうがないなぁ、自分が不安を感じてきたのも。
生きにくさを感じてきたのは、こういうことだったのかと謎がとけていくような気がした。
そんなことに何の興味も関心もない人にとっては、価値も意味もないことだろうが。
分析に出会い、関心を向け、取り組み続けることができて心から良かったと私は思っている。

2007年12月18日

分析家の独り言 49 (子どもの甘え)

数年以上にわたる分析の中で、母を語り続けてきたクライアント。
母親教室に参加し、インテグレーター養成講座で理論も学んでいる。
分析を受け、母親との関係に気付きがあり、自分を知ると、子どもへの対応も変わる。
クライアントが、「子どもを受け入れられるようになった」という。
その小学生の子どもが、最近学校を休んでいる。
私は「あなたは本当に対応できるようになってきたんですね」 「子どもさんは、このお母さんなら、甘えられると思って、甘えているんです」と言った。
クライアントは、「そういえば、学校を休んで一緒にいると、とにかくベタベタくっついて来ます」と。
「しっかり甘えさせてあげてください。お母さんを独占することが大事です」といった。
すると、「そういえばアンケートの応募の中に、あなたの欲しいものは何ですかという質問があって、そのとき子どもが、お母さんと二入きりの時間がほしいんだけど、といいました」という。
「ほら、子どもさんはちゃんと言ってるじゃないですか」と私。
こうして、母の変化と子どもの言動が一致してくる。
まるでジグソーパズルのピースが一つ一つはまっていくように。
おそらく世間一般には、子どもが学校を休むと困ったことと、とらえるだろう。
ところが、分析的立場からみると、必ずしも困ったこと、悪いこととはとらえない。
やっと、子どもが母を信頼し、甘えられるようになった。これはとても良いこと。
母がちゃんと対応していることをあらわす。
それはクライアントの語りと、現象を照らし合わせてみてわかることである。
また子どもが「やりたい授業もある、学校に行った方がいいか、どうしたらいい?と、母であるクライアントに聞いてくる。
「そんなときはどうしたら良いんでしょう」という。
私は「子どもは、答えを求めているのではなく、ちゃんと自分に向き合って、関わり、話を聞いて欲しいのではないですか」と答えた。
「そういう母親との関係、時間を持ちたいということ、それこそあなたがあなたのお母さんにして欲しかったことではないんですか」ともいった。
「そうなんです、これまでそれができなかったんです。子どもの話が聞けなったんです」という。
それが、2時間その話をして聞けたという。
しっかり甘えて満足すれば、子どもの方から離れていく。
どうせこの母では受け入れないだろうと、あきらめて離れていくのと、満足して離れていくのでは、同じ離れるでも意味が違う。

分析家の独り言 50 (母の愛)

お友達が男の子と女の子の双子を出産し、赤ちゃんの顔を見せてもらいに行った。
2時間ほどおじゃましていた間、ほとんど静かに寝ていた。
帰りがけに赤ちゃんを抱っこさせてもらった。
なんともいえない赤ちゃんのかわいらしさ。
わが子のことを思い出す、と同時に私にもこんなときがあったはず・・・と。
一日の大半を寝ているように見えても、赤ちゃんは大人のような睡眠ではなく、感覚器官を完全には遮断できず学習している。
自我も形成されていく。
何もわからないだろうなどと思っていたらとんでもない。
寝ているからといって、放っておいてはいけない。
同じ空間にいて、声をかける、まなざしを向ける。抱っこする。
初めは赤ちゃんの微笑みも、私たちが思うような笑いではなく、入ってくる刺激を自分の中で処理しきれず、顔の筋肉の痙攣となる。
それが我々には微笑みに見えるだけ。
赤ちゃんにユーモアや愛想笑いが理解されているはずはない。
最初は微笑ではない赤ちゃんの笑顔を、世話する母親が、自分の育児に対する報酬であると錯覚できることが大切である。
母が子どもに愛着を感じそれを世話することで伝えるから、それに応えるように子どもは母に愛着する。
この子どもからの愛着をひきだすような、母の愛着がなければ、子どもはそれを学習できない。
わが子を愛おしいと思い、抱き続ける母の愛。
それがあれば、人は幸福に生きられる。
それが欠けるため、それを補おうと人は後に苦しむ。

2007年12月20日

第4号(07.10.20)京都良店的心のサプリバックナンバー

次の質問に当てはまるものすべてに○を付けてください。一般的な質問として捉えてください。

A  1、 時間を忘れておしゃべりを楽しむことがある。      
   2、 言いたいことは我慢するより言う方だ
   3、 初めての人とでもすぐ仲良くなる
   4、 長電話が好き
   5、 友だちは多い方である
B  6、 待たされるとイライラする               
   7、 じっとしているより、何かしている方が好き
   8、 信号が赤でも車がなければ行く
   9、 どちらかというと怒りっぽい
   10、 気分が変りやすい
C  11、 人前に出るのが好きな方である             
   12、 自分は行動的な方だと思う
   13、 お化粧は濃い方である
   14、 アクセサリーが好き
   15、 芸能界など華やかなものにあこがれる
D  16 、部屋は片付いている                  
   17、 約束は守る
   18、 時間には正確な方だ
   19、 自分は真面目な方だと思う
   20、 前もって計画を立てる
E  21、 自分が話すより、聞くほうが多い            
   22、 休みの日は家に居ることが多い
   23、 自分から電話をかけるより、かかってくる方が好き
   24、 好きな人ができても自分から告白することはまずない
   25、 苦手なタイプの人は避けたい

A.1~5、B.6~10、C.11~15、D.16~20、E.21~25をグループとして,当てはまる項目が多かったのはA~Eどのグループでしたか。

<判定結果>

A・・・おしゃべり好きで社交的なあなたと相性のいい男性は、寡黙で貴女の話をじっくり聞いてくれる人

B・・・せっかちであきっぽい貴女と相性のいい男性は、気長で一つのことにじっくり取り組むタイプの人

C・・・華やかで目立つことが好きな貴女と相性のいい男性は、控えめで堅実な人

D・・・几帳面で決まりを守る貴女と相性のいい男性は、おおらかで小さいことを余り気にしない人

E・・・おとなしく控えめな貴女と相性のいい男性は、積極的であなたをぐいぐい引っ張っていってくれる人

長崎県佐世保市、散弾銃乱射事件

分析とは、死んでいる人を生き返らせること。
分析によって、死んでいたその時代にさかのぼり、共感して生き返らせる。
そして人は再生する。
再生=ルネサンス。
佐世保の散弾銃乱射事件のあったスポーツクラブの名前である。
馬込政義容疑者は人を殺すことによって蘇り、再生したかった。
彼は主体を、自分の欲望を抹殺し続けられた人だった。
だから欲望を持って生きている人間を抹殺した。
生殺上の鍵を握るのは神である。その神に彼はなった。
そして神としてこの世に蘇った。
というラカン理論でいう再生の道をとった。
人間とは主体を抹殺して新しい自分が生まれる。
彼は親に歯向かえば生きられなくて、いつも親の言うとおり自分の欲望を抹殺して服従して生きてきた。
だから散弾銃乱射し人を殺すという形で歯向かって自分の主体を再生した。
しかしまた彼を裁く法がある。それによって彼は裁かれる。
ならばと、自分で自分の死刑執行人となった。
だから、彼が再生の場として選んだのは、スポーツクラブ「ルネサンス」。
この名前に意味があった。
このようないたましい事件を防ぐ方法を世間や一般の人は知らない。
分析によって言語化する。
つまり、いかに自分が自分の主体性を抹殺されて生きてきたかを語ること。
銃を乱射するのではなく、一番安全な言語によって放出する。
そうすれば、犯罪(行動化)も病気(身体化)もなくなる。
精神分析という道を、理論を知ろうとしないし、親も学校も社会も教えない。
ただ無知なのである。
それゆえに人は安易な行動化、身体化に走るしかないのだ。

2007年12月21日

分析家の独り言 51 (追い続ける力)

振り返るとここまで来るには、長い道のりだった。
長い間、抑うつ状態のなかにいたこともあった。
抑うつを抜けたときに、そこにいたことがわかった。
もう何年も前、ご飯を作ることが辛くて、それでも子どもたちにはしっかり食べさせなければと思っていた。
夕飯を作るのに、2時間近くかかり、立っていられずいすに座りながら作ったこともあった。
一番母親になってはいけない人間が、母親になってしまったんだなと思った。
分析しても分析しても、子どもにALL OK ができなくて、自己嫌悪の毎日。
頭でわかっていることが、実際にできなくて泣きたくなる。
相変わらず不安が漂い、どこか違和感を感じつつ、楽しめきれない自分がいる。
それでもなりたい自分をあきらめずに進んで来られたのは幸いだった。
自我理想を追い続けられた。
小さいころ、仕事に出かけた母を思い泣いた日々。
母にくっつきたくて、甘えたくてまとわりつきにいっても、忙しい母に受け入れらず・・・
それでも母にくっつきたかった。
そのねばりが、拒否されても拒否されても母を追い求めた力が、自我理想を追い続ける力へと転移した。
あきらめてはいけない。
どんなにしんどくても辛くても、未来に明るい光を希望をえがき続けらるかどうか。
仕事に助けられることもある。
クライアントに教えられることも。
生きてきてよかった。
まだ知らないことがたくさんあって、それをこの命が尽きるときまで追い続け、いけるところまでいきたいと思う。

2007年12月23日

分析家の独り言 52 (ひきこもり・主体性の奪還)

それなりに仕事もして社会のなかで生きていても、自分はひきこもりと同じと表現するクライアント。
人の前で緊張する。
何を話せばいいのかわからない。
人の目が気になり、自分がどう思われているか見られているかに腐心する。
自分に自信がない。
多くのクライアントに共通する訴えである。
怒られること、だめだめが多かった、ということもよく聞く。
養育史を聞くと、育って来る過程で親に受け入れられていない。
それどころか、「口ごたえをするな」と言われたり、失敗をせ責められたり、兄弟間で比べられたり・・・とマイナスを重ねてきた。
人が話をしたいと思えるのは、自分の言うことを、相手が聞いてくれるから。
それを、何か言えば、「間違っている」とか、「今忙しいから後にして」、「愚痴なら聞かない」、「それはわがままだ」などなど、否定的言語が返ってきたら、言うことを躊躇していまうのは当然。
次第に、言葉を発することが恐くなる。
言いたいことが言えず、無口にもなるだろう。
失敗を責められると、何か行動するにも、一歩が出にくい。
そうして積極性や能動性が身につかず、消極的に受身的に生きるようになる。
言葉を発し、行動を起こせば、非難され、否定されるなら、何もしないでおけば失敗することもないし、否定的なことを言われることもない。
人を避けたくなり、家に閉じこもり、ひきこもりになるしかないだろう。
実際にひきこもっている人も多いが、社会の中にいながら、気持ちとしてひきこもりを感じている人も結構いるのではないかと思う。
そういう意味で、「自分はひきこもりと同じ」と言ったクライアントは的確に自分を表現している。
生きにくさを感じ、疲れ果ててしまう。
自分の言いたいこと、やりたいことがストレートに出せず、その周辺のことにエネルギーを浪費しなければならないのだから。

そういう自分を語りながら、時に涙し、悲しみや怒りや虚しさ、悔しさなど感情とともに放出する。
それを受け取るのがインテグレーター(分析家)の仕事。
分析場面はトイレと化し、インテグレーターはそういった死者の声を聞く人。
そこからクライアントは生き返っていく、奪われた主体性を取り戻して。

2007年12月26日

金谷氏今月のメッセージ 平成19年12月

2007年の世相を表す「今年の漢字」に「偽」が選ばれた。
人間が食べる食品を産地や賞味期限を改ざんしたり、
汗水たらして働いた賃金の中から支払った税金を私的に使う国会議員、
自分の将来の為に国に預けていた年金をわけの分からないようにしてしまった役人、
教育をして行かなければならない立場の教師が、女子の着替えを20年間に渡り盗撮していたり、
取り締まらなければいけない警察官が、飲酒運転をし隠蔽工作したりと何を信じて行けば良いのか?
それも社会に認められた立場にある人とか、昔ながらの老舗が偽装工作したりと、
シェークスピアの悲劇「ジュリアス・シーザー」の中でカエサルが暗殺される時、自分を殺しに来た一味の中に信頼していたブルータスを見つけて発した言葉「ブルータスお前もか!!」と
本当にそう叫びたくなる。誰も何も信じることが出来ない。
 フロイトは人間が生きて行くために必要なものは「信頼」「愛情」であるといった。
中でも信頼を「基本的信頼」と呼び、生まれて直ぐの母子関係の授乳の行動から形成していくものであると精神発達論で述べている。
求めていく母を信じ、与える母は子供を絶対裏切らない。
そんな簡単な行動でしっかりした信頼が作れるのに、今の母親は「与える」ことより「押し付ける」事しか出来ない。
充分な対応が出来ない為に信頼が身に付いていないように思う。
 人間はしてもらっていない事はして返すことは出来ない。学んだ事以外は出来ないようになっている。
中国の戦国時代の思想家・荀子(ジュンシ)は「人乃性悪 其善者偽也」=人の本性は元々悪で善の行為が出来るようになるには教育・修養により後天的なものによるのだと言う性悪説を唱えた。
精神分析では、人間元々は認識能力や表現力がない真白なものであり、神様から与えられ本来持っているものは「摂取」という「対象から摂り入れる」と言うこと事しか出来ないので、対象である母親が与え続けることにより、自然に摂り入れ身に付けて行くものであると規定する。
お釈迦様が提唱する因果の法則「善因善果」=善なる行為を続ければ善なる結果が得られる。
母親が快楽・満足を与えると言う行為行動から、子供に得られるものは自然に出来る善行である。

 子供の教育を学歴・資格に偏らず心を育てると言う事に気付いて欲しい。
「偽」と言う字は「人」と「為」に分かれる。
為はしわざ・ためにの意で、人を加える事で「人のしわざ」転じて「いつわり」と解する。
が、そうではなく悪なるものも人の為になる様に変える努力をしなさいと言っているように思う。

金谷精神療法研究所

インテグレーター 諸法皆空(金谷章吉)

2007年12月28日

分析家の独り言 53 (引越し)

本人が思っている以上に引越しは、心の負担になっていることがある。
めでたく嬉しいことである結婚でさえ、個人差はあるもののストレスとなる出来事となる。
引越しうつ病というのもあるくらいで、それは、それまでその土地で築いてきた友人関係、地域とのつながりそれら全て断ち切って新しい土地に行くため、対象喪失体験となる。
愛着を持ったものと離れることは慎重でなければならない。
親の仕事の都合で何度も転校を余儀なくされる子どもの心の負担は、大人が考えているより、いや本人が思っているより大きい。
木を植え替えるときでさえ、できるだけ根っことその周りの土を切り離さないで一緒に移し替えるのだから、人間であればなおさらであろう。
特に子どもであれば、親の配慮が必要。
断ち切ってきたものへの愛着をあきらめていくことと、新しい環境や人との関係を結んでいくことには、相当なエネルギーが要るだろう。
思春期に引越しを経験し、分析によってそのことを振り返ったとき、当時自分は平気と思っていたが、ストレスを感じていたのだろうと言う。
クライアントなりに親にサインを出していたが、それを読み取られず、言葉もかけられなかった。
いろいろなことが思い起こされる。
それを一緒にみて感じ(共感)、言葉にして吐き出す。
「あなたのその言葉は、このように私には感じられますがどうでしょう」というと、「ああ、多分そうだと思います」とか、「いえ、そういうことより、これこれこういうことだと思います」と言われたりする。
そのように会話しながら、クライアントの心の世界に入っていく。

2007年12月30日

分析家の独り言 54 (言葉と信頼)

クライアントの中には、頭で思ったことを言語に置き換えて人に伝えるのが苦手な人がいる。
あるクライアントは、思うことはあるが、それが言葉に変換しにくく、言葉が出にくい。
そういう場合は分析家が、「例えばこういうことではないですか」と考えられる可能性のある答えなり、考えをいくつか用意して尋ねることになる。
ぴったりとまでいかなくても、近いところで大まかにつかみ、さらにつめていき、クライアントが言わんとするところを一緒に探し明らかにしていく。
大変根気のいる作業ではあるが、それによってクライアントをよりよく理解していく努力をする。
言葉を出しにくいその裏には、やはり丸々の受容がなかった養育史がある。
何かを言う前から、拒否されたとき自分が傷つかないような予防線を張った言い方を考えてから言う。
そこではきっと、すごく頭を働かせているはず。
しかもそれは非常に疲れるだろう。
ストレートに感情や言葉が出せないで、苦労している姿がうかがえる。
だからせめて、分析者には何の気遣いも、心配もなく思ったことがそのまま言えるようになってもらうこと。
分析場面でその練習をしてもらい、出すことはいいこと、心地よいことを体験してもらう。
それにはクライアントとの信頼関係が何より大事になる。
分析初期、この信頼関係を築くことに時間が費やされるといっても過言ではない。
心を許し、何でもいえる関係を作ること、それは本来子ども時代に親特に最初は母親と学習することである。
フロイトがいう口唇期における基本的信頼を学ぶこと。
それがないところからスタートするため、クライアントは分析対象者というよりは教育対象者であり、母に成り代わって育てていく過程が必要となる。
分析を重ねていくと、最初は「はい」と「いいえ」さえも聞こえないくらいの小さい声と、言葉しかでなかったのが、長文で答えてくれるようになり、それはまるで、子どもが言葉を覚えていく過程のようにも思える。

京都府「社会的ひきこもり・不登校を共に学ぶシンポジウム」の開催 お知らせ

社会的ひきこもりが社会問題化するなか、京都府の民間支援団体および行政が連携・協同し、社会的理解を啓発するとともに、相談支援に関する様々な情報を得る機会を提供するため、下記のとおりシンポジウムが開催されます。

主催 : 京都府青少年課(企画協力:京都府青少年の社会的ひきこもり支援ネットワーク連絡会議)
 
第1回(北部)
日時:平成20年1月26日(土) 午後1時~4時30分
場所:舞鶴市西駅交流センター(舞鶴市伊佐津 JR西舞鶴駅)ホール
内容;
 1時    開会あいさつ
       演劇上映「折り紙気分」 出演:不登校・ひきこもり経験者   
 1時30分 京都府における「ひきこもり支援」の取り組み紹介
  休憩
 2時    民間支援の取り組み 「フリースクール・寺子屋未来の会」
 2時20分 基調講演「ひきこもりはなぜ『治る』のか?」
          講師:斉藤環氏
 3時40分 民間支援の取り組み 「聖母の小さな学校」
 4時    民間支援団体等合同説明会(個別説明・資料提供など)
 4時30分 終了

第2回(南部)
日時:平成20年2月10日(日) 午後0時30分~4時30分
場所:分化パルク城陽(城陽市寺田・近鉄寺田駅徒歩約10分)
内容:
 12時30分 開会あいさつ
        京都府における「ひきこもり支援」の取り組み紹介
 12時50分 民間支援の取り組み 「夢街道国際交流子ども館」
        民間支援の取り組み 「ほっこりスペースあい」
        民間支援の取り組み 「フリースクール・寺子屋未来の会」
  休憩
 2時     基調講演「ひきこもりからの回復 親たちの10ステップ」  
          講師:中垣内正和氏
 4時     民間支援団体等合同説明会(個別説明・資料提供など)
 4時30分  終了

定員:各150名(要申込み・先着順。定員になり次第締め切り)
その他:入場無料

ラカン精神科学研究所も京都府青少年の社会的ひきこもり支援ネットワークに協力参加しており、民間支援団体の合同説明会には参加予定。

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