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分析家の独り言 56 (ある家族の光景)

娘と買い物に出かけた先の、デパートのなかにある眼鏡屋さんでのこと。
ねじのゆるみを直してもらうという娘につきあって、店内のいすに座り待っていた。
ある家族ずれがそばにいて、会話や行動がいやでも入ってくる。
両親と男の子二人(小学校4~5年くらいと、1~2年くらいだろうか)
両親はそこで眼鏡を新しく作ったようだった。
それを待つ間、子どもたちは展示してある眼鏡をかけてみたり、兄弟でふざけあったりと、まぁよくみられる光景があった。
それに腹を立てた様子の母親が兄をしかる。
「何で怒られてるかわかる?」きつい口調で言われ、兄は不服そうながらも「暴れてごめんなさい」という。
眼鏡を作るには時間がかかる、おそらく1時間近くはかかったのではないだろうか。
その間まだ小学生の二人におとなしく待っていろというほうが無理だと思う。
自分の物を買うためならまだしも、両親の眼鏡購入に付き合わされるのはさぞ退屈だったろう。
詳しくはわからないが、また母親が怒り出した。
途切れ、途切れの言葉に冷やりとした。
「許さないからね」
「家に帰ったら覚えてなさい」
「ここにきて謝りなさい」
「眼鏡くらい買ってよってなに!」
「あんたは眼鏡が要るほど目が悪いの」
「おしゃれでかけたいなら、大人になって働いてから自分で買いなさい」
「許さない、謝りなさい」
子どもは、困った、まずいという顔で「ごめんなさい」という。
その言い方が気に入らなかったようで、母親は「こっちにきなさい」と呼び寄せた。
子どもは「ごめんなさい」という。
母親は「目をみて言いなさい」とさらに責める。
それを見ている父親は、何も言わず子どもの頭を触っていた。
父親なら、二人の間に入って、母親の感情的な怒り方をたしなめ、子どもを守り、諭すことができないのか。
もしかしたら、この父親も母であるこの妻に、同じような口調で責められ、何もいえないのかと思ってしまう。
母親が日常的にこのような接し方を子どもにしていたなら、子どもは自分のよさを発見できず、言いたいことを言えず、主体性も持てずに育っていくだろう。
そういう子が、あるとき積み重ねた怒りや、不満を爆発させる。
または、精神を病む。
散弾銃を乱射するかもしれない。
この母親もおそらく優しく育てられなかったのだろう。
人はされたことしかできない。
この悲しく、間違った連鎖は、どこかでとめなければいけない。

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2008年01月03日 11:25に投稿されたエントリーのページです。

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