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分析家の独り言 63 (自分の足で歩く)

子どもは、けな気である。
母に嫌われないように、気に入られるように母の顔色を見る。
小さければ小さいほど、こどもは大人の、母の庇護なしには生きられない存在である。
だからこそ、適切な世話と配慮、愛情が必要となる。
それには、母がいつも子どもに適切な関心を向け、あたたかいまなざしと、声をかけ、スキンシップをすること。
母性を翻訳し、クライアントに伝えるのは、子どもへの対応法『 ALL OK』。
母親が子どものいうことをきき、振り回されて動くこと。
思春期などには、母親は家政婦のようにこき使われることを覚悟すること。
ところがクライアントはじめ多くの人は、母に嫌われないように、母にあわせ、いい子を演じる。
こう言えば、こう振舞えば母は自分をいい子だと言ってくれるだろう、愛してくれるだろうと、幼心に腐心する。
こういう人は人の評価が気になる。
本来自分のしたいことからずれて、人の評価を得ることが目標になってしまう。
そして、大人たちは、世間一般には、手のかからない、大人の言うことを聞き、反抗しない、おとなしい子と「いい子」と言う。
分析のいう発達論から言えば、最悪の子である。
なぜなら、自分の主体性を殺し、母に気に入られる自我をつくったからだ。
それで自分の人生をずっと歩めるはずがない。
どこかで問い直さなければならないときがくる。
本当に自分はこのまま母の、父の、大人のいう通りに生きていっていいのか?
自分とは何ものか? どう生きたいのか? と。
その問いかけが、まず思春期に来る。
子どもの世界から、大人の世界への移行期がはじまる思春期。
不登校や非行などとして、表面に行動として現れるのはこの時期が多い。
この時期を何も表現せずやり過ごしたとしても、今度は社会に出る時期に問われる。
問題を持ち越し、先送りにすればするほど、回復に時間がかかる。
同時にお金もかかることとなる。
愛情の取りかえしは、年を重ねるほど物やお金に置き換えられる。
子どもが小さいころなら、言うこと聞いて動いて、抱っこして、欲しいものも百円代ですんだものが、思春期ころには金額が上がり、0(ゼロ)の数が2~3個は増えることになる。
親も年をとり、子どもに対応する体力、経済力が低下していく。
ならば、早いうちに気がつき、方向転換し、子どもへの対応を変えることである。
なぜ子どもが引きこもるのか、荒れるのか、精神を病むのか、悪しき結果の基には必ず原因がある。
その原因を見ること、知ることから逃げないで立ち向かうなら、必ず道は開ける。
残念ながら、親が気がつかないまま子どもが大人になり、親の変容も気づきも望めない場合ももちろんある。
その場合には、大人となった本人が親に頼らず自力でやるしかない。
自分と向き合い、自分を成長させていくことができる。
アダルトベイビーのまま一生を終えたなら、それは夢遊病者と同じ。
真に目覚めて、せめて自分の足で歩みを進めよう。
いけるところまで。
自分の意思と意味を持って。

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2008年01月15日 15:59に投稿されたエントリーのページです。

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