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分析家の独り言 65 (鬱と言語化)

分析は無意識に気づくこと。
無意識であるから、本人にはそれがあることさえわからない。
フロイトがいうように、夢分析等によって、無意識を意識化する。

私は、子どもの頃から友達なんか面倒くさい、一人のほうが気が楽と思ってきた。
ところが、分析を受けるうち、本当は人を求めていた自分、いつも一人でさみしかった自分がいたことを知った。
分析の過程で、なんともいえないさみしさと、何ものを持っても埋められない虚しさを感じ、鬱寸前までいった。
甘えを抑圧してもいた。
甘えは関心をむけられること、世話されることを目指す。
それには病気になること。
これを疾病利得という。
病気になることによって、「大丈夫?」と声をかけられ心配され、甘えられる。
重病であればあるほど、人の世話が必要となる。
病気になることによって、普段はできないが、その人に甘えられるという利益が発生する。
私は分析を積みかなせていたおかげで、疾病利得を使わず、病気という身体化にも至らなかった。

クライアントに二通りあり、分析対象者と、教育対象者がいる。
純粋に分析ができる人は少なく、ほとんどが教育対象者。
教育対象者とは、言語以前の欠損が大きいため、意識化を目指すというより、まず支持することが主となる。
クライアントに共感し、信頼関係を作り、クライアントがなんでも話せるようになること。
そういう意味では、鬱は語れば語るほど落ち込んでしまうため、鬱には精神分析はむかないと言われることがあるが、支持するという方向で行うことは有効である。

私の場合でいえば、何ものでも埋められないさびしさ、虚しさの中、もがき苦しんだが、そんな中でも何とか浮上できる方法を一生懸命考えていた。
それは言語化の道を模索したことであり、結果それによって抜け出すことができた。
抜け出してしまえば、あれはなんだったんだろうと思うくらいなのだが、その最中はどうあがいても抜け出せないのではないかと思うくらい苦しいのである。
それまで積み重ねた分析が、言語化への道を開いてくれた。
言語化することによって、行動化、身体化に至ることはなかった。

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2008年01月26日 22:18に投稿されたエントリーのページです。

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