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分析家の独り言 66 (振袖)

私事だが、今日下の娘と振袖を見に行った。
上の娘は3年前に成人式で、振袖を買って欲しいと言ったので一緒に買いに行った。
下の娘は今年成人式だったが、式には出ない、でも振袖を着て20歳の記念に写真だけ撮りたいと言った。
その着物もレンタルでいいという。
当たり前だが、姉妹でもそれぞれ考え方、したいことが違う。
兄弟姉妹を平等に扱うことが大事。
しかし、その平等とは、同じものを与え、同じことをすることではない。
その子の要求通りに応えること。
例えば、2歳、5歳、8歳の兄弟がいたとする。
平等にすることがいいことだからと、それぞれにイチゴを1パックずつ与えることが、平等にすることだと思っている人も多いのではないか。
8歳の子はイチゴ1パックを食べられても、2歳の子には食べられない。
それ以前に、2歳の子はイチゴではなくバナナが欲しかったかもしれない。
その子が欲しい物を欲しい分だけ欲しいときに与えること。
クライアントのなかに、兄がテレビが欲しいといい、弟である自分は別に欲しくはなかったが、親が勝手に自分に聞きもしないで、ある日突然テレビが自分の部屋に来たという。
特別欲しくもなかったが、まぁくれるというのならもらっておこうかと思った。
そういうことが多々あったという。
親はそれで、「あれもしてやった」「これもしてやった」と言う。
ところが、子どもの側からすれば、自分が欲しいと言っていないものを勝手に与えられても、してもらったとは思わない。
こういう行き違い、親の思い込みは結構ある。
だからいつも言うが、ALL OK。言われないことはしないこと。わからないことは子どもに聞くこと。
子どもが言わないことまでして、過保護・過干渉することは、支配であり、攻撃となる。

下の娘が自分の好みの振袖を選んでいるのを見て、自分のときのことを思い出した。
私のときは、どの着物にすると聞かれたこともない。
母が気に入ったという帯が来て、次にこの「着物でいいね」と言われた。
しかも、母が本振袖ではなく、中振袖にして(振袖の長さが中振袖は短い)、それを一人でいつまでも悔やんでいた。
その振袖は、成人式と大学の卒業式の2回着た。
よほど中振袖にしたことが悔やまれたのだろうか、ある日また違う振袖と帯が来た。
もちろん、私の好みとは関係なく。
私は私の意志を聞かれることはなかった。
自分の好み、意見を言うことも、私の辞書の中になかったのか。
親に言われるまま、自分を待たず呑み込まれていた。
そんな私が、娘二人のそれぞれの要求に応えられたことがうれしかった。
そして、親への憎しみももう出てっこなかった。
客観的事実として冷静にみている自分がいる。

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2008年01月28日 00:03に投稿されたエントリーのページです。

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