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事件分析(八戸18歳母子殺害事件)

青森県八戸市根城のアパートで母子3人が殺害され放火された事件で、逮捕された長男(18)のその後がいろいろなことがわかってきた。
この長男は、母を殺害後遺体の腹部に人形を詰めていたという。それも女性のフィギアの人形だったことがわかった。
まず母の腹部を裂いて遺物(人形)を入れた。これは胎内回帰願望である。母のお腹の中にいた胎児に戻りたい。そのときにしか彼は安全と安心を感じられたときがなかったといえる。これはまた、彼の再生(胎内から生きなおしたい)への儀式化であり、思考の空想化である。その彼の無意識を具現化・現象化したものが今回の事件となった。無意識は三つの経路をとる。行動化、身体化、言語化。彼は行動化の道をとった。(佐世保の散弾銃乱射事件を思い出す。)
女性の人形であったことから、彼は女の子として産まれたかったのだろう。母が女の子を望んだともいえる。その証拠に殺害した兄弟の長女の首を深く切っており、首を切断するつもりではなかったかという。そこに長女への深い憎しみが現れている。自分がもし女の子として産まれていたら、もっと母は自分を認めたかもしれないと思ったのではないか。
また、分析家の独り言(心の発達 外在化から内在化)で書いたように、彼は内在化の能力が未発達であった。
しかも父不在。実際両親は離婚し家庭のなかに父はいなかった。ただそれだけではない。彼がいくつのときに離婚したかはわからないが、それまでにも父性を持った父がいなかったといえる。父の役目は社会の掟、ルールを教えること。子どもにしていいことと、悪いことを教えることである。
さらに、承認と賞賛がなかった。認められ、できたことを誉められることによって人は、私とあなた(非自己)の区別がつき、自我境界ができる。一人の人間として認められないと個が確立できず、主体性を持てない。そこには根こそぎの主体性の抹殺があっただろう。
彼には三つの障害がある。
1、 知覚の欠如。人の痛みがわからない。
2、 共感性の欠如。喜びや悲しみを共に感じ、分かち合うことがない。
3、 知性の欠如。物事の善悪がわからない。
これは残念ながらもう人間ではない。
しかしこの状態が、日本の6千万所帯で起きているといってもいいかもしれない。
例えば、小さい子どもがこけたとする。子どもは「痛い、痛い」と母に訴える。しかし母は「そんなの痛くない」という。子どもは自分の痛みをわかってもらえず、泣く。すると母は「泣くな」と言う。こうして子どもは自分の痛みを理解させず、当然人の痛みも理解できなくなり、共感する、されるということがわからないまま成長していく。日常のなかにそんな積み重ねが山とある。
家庭の障害は社会の障害である。日本は他人を思いやれない社会になってきてしまっている。
日本の社会制度、年金制度が崩れかけているこの状況は、安心と安全がなく、一部の人間の私利私欲で動いてはいないか。私は度々、日本は危ないと警告してきた。いよいよ末期現象、いやもう終わっていると言わざるを得ないのかもしれない。この日本を誰がどのようにして立て直すのだろう。
一人一人が気づいて、まず個々人から立て直すことしかないように私は思う。

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2008年01月16日 11:12に投稿されたエントリーのページです。

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