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分析家の独り言 76 (愛と憎しみ、関心)

フロイトは 「関心の高さにおいて、愛と憎しみは同等である」 という。

憎しみは、対象に対する固着、対象に強くとらわれること。

愛もまた対象にこだわること。

対象への最も失礼な態度は、どうでもいいという態度。

それは対象の無価であり、対象として認めていないということである。

人は、子どもは、どうでもいいと思われるよりは、憎まれている方がまだましだと思う。

少なくとも憎しみという関心が、自分にむけられているのだから。

愛と憎しみは関心の度合いにおいて、同一線上にある表と裏。

これを「可愛さあまって憎さ百倍」という。

憎みあっているのに別れられないのは、その裏側に愛があるため。

対象から離脱するとは、対象への関心を失うこと。

子どもにとって、自分に関心を持たれないことほど恐ろしいことはない。

それは自分があたかも存在しないかのように思い、死体と同じと感じる。

子どもは親から関心を持たれることが、最大の愛情と感じる。

子どもが何をやっても気付かず、反応しない状態が子どもにとっては最悪である。

放任主義の親は、子どもに自由を与えていると言うかもしれないが、それは無関心なだけ。

だから子育てにおいて、子どもに適切な関心を向けましょうという。

それにはまなざしと声をかけること、そしてスキンシップをすること。

監視の目ではなく、あたたかく見守るというまなざし。

声をかけるには、このまなざしを向けていなければできない。

反対に関心が強すぎると、過干渉になってしまう。

根掘り葉掘り聞かれたのでは、うるさいだけになる。

ほどより関心を向けられるのが最も心地よい。




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2008年02月17日 23:24に投稿されたエントリーのページです。

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