今日、大阪にある専門学校で服飾を学んでいる娘が「ミニ・パッサージュ、見に来て」というので、行ってきた。
ミニ・パッサージュとは1年生の締めくくりに、自分でデザインし、パターンをひき、縫いつくった服を、自分か友達にモデルとなって着てもらう小さなファッション・ショーのこと。
ああでもない、こうでもないと四苦八苦していたのを見てきた。
そして今日、自分のつくった服と、友人に頼まれてモデルとなり、娘は3回の出演だった。
娘はこの専門学校に入る前、4年間京都の会社に勤めていた。
その会社の人、二人がわざわざ有休を取って見に来てくれた。
娘から二人が来てくれることを聞いていたので、終わってから挨拶と御礼を言いに行った。
一人は娘の直属の上司であった30代の男性、もう一人は部は違ったが、私と年齢の近い女性。
「わざわざ、有休をとって、娘のためにきていただいてすみません」と言った私に、
「実際にみられるというので、連絡をもらって、絶対行くと言いました」と女性。
娘をデジカメで撮っていた男性は、「今日デジカメを買ってきました」と。
えっ、それって、娘を撮るためにわざわざ今日買ってこられたということ? それはそれは申し訳ない。
その人は「幼稚園の行事をカメラにおさめる父兄の気分です」と言われた。
ありがたくて、その言葉が心にしみた。
会社を辞めてからも付き合いがあり、こうしてわざわざ来てくれる人たちがいる。
あの無茶苦茶な娘は、ちゃんと人との関係を結んできてたんだと思った。
無茶苦茶というのは、例えば、前の日、私が寝ているところにいきなり入ってきて、「なぁ、まあちゃん(私のこと)、緑のアイシャドウ貸して」といって持っていった。
しばらくして、もうすっかり寝ていた私に、「下に干してあった、ベージュのブラジャー、明日貸して」という。
私は眠気半分に、「それなら今付けてる」というと、「取って」「貸して」と。
え~、今 !? と思いながら、いわれるままに外して渡した。
「わ~、あったかいなぁ」と娘。
「当たり前やん、今まで付けてたんやから」と私。
今日、友人のモデルとなってきた服が真っ白のブラウスで、ブラジャーがうつらないようにベージュの物が必要だったということがわかった。
人が寝ていようが、どうしていようがお構いなし、勘弁してよと思うが、娘に言われると私もつい動いてしまう。
自分の娘時代を振り返る。
こんなことを私は母に言っただろうか、しただろうか、いやしていない。
講座のなかでの大沢氏(スーパーバイザー)の言葉が思い出される。
子どもが何かを要求したり頼んでくると、邪魔くさいとかまたかと思うが、それは子どもが親である自分を信頼して言ってきていると取れない、と。
子育ての場面で、その親自身の養育状況が再現される。
自分を受け入れられ、その母親との間に信頼関係を結べた人は、子どもが要求をだしたときに、自分を信頼して頼ってきてくれたと取れる。
しかしそうではなく、拒否され否定されることが多く、自己否定感が強い人は、子どもの要求を面倒くさい、嫌だなと感じる。
そして、人は人の中にいて、関心や思いやりを掛け合うことで、人たる。
その関係はまず、母親と子どもの間で行われ、培われていく。
母との関係でつまずいたなら、その先の他者へ関係を広げていくことは難しい。
だからこそ、お母さん方頑張りましょう、と私は言う。
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