私事だが、学生時代の友人5人が集まり、神戸で1泊してきた。
12月に亡くなった友人を偲ぶため。
卒業して早27年、抜ける年もあったが、1年に1度集まってきた。
「(亡くなった)えっちゃんがこうして私たちをまた集まらせてくれた」という友人。
本当なら6人・・・
友達など面倒くさいと思っていた私に、友達のよさを大切さを教えてくれた友人たち。
人は一人では生きていけない、寂しい。
そんな寂しさを抑圧いていたことに、気付かされた。
中学・高校・大学・社会人とバスケットボールをしてきた。
そのなかでそれなりに友達がいると思っていたが、それはただ一緒に居ただけだった。
とかく女の子はトイレに行くにも、友達を誘って一緒にいたりするが、そういうのが学生時代、特に私は嫌いだった。
そんなの一人で行けばいいのに、なんでわざわざ一緒に行くのかと思っていた。
引っかかること、きらいだ、いやだと思うこと、それは自分といつもいう。
本当はトイレに行くにも友達と一緒に行きたい自分がいた。
本当はそれくらい人とくっつきたかった。
友達は母の置き換えであり、母親との関係をまわりの人間関係に再現する。
小さい頃、母にくっつきたかったが、くっつけなかった私。
それをいつしか諦め、抑圧し、自分にはそんなものはないとして切り離すしかなかった。
抑圧し、切り離した(甘えたい、くっつきたい)自分を自覚し、もう一度自分のなかに組み込む。
すると、人との関係が関わりが変わってくる。
やっと、人らしく、人と付き合えるようになってきたと思う。
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