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金谷氏今月のメッセージ 平成20年5月

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)                                        

昨今は、ニュースを見ても殺人事件が報道されない日は無い。
中でも親子が殺し合うのは、我々の理解を越えてしまって痛惜の念に堪えない。
それに又食品の問題であるが『食は生命の源』栄養のあるもの・美味しいものなどを目指し多くの料理人や食品企業が切磋琢磨して作り上げて来た。
そこには老舗が出来上がり、格式と誇りで生きて来た歴史がある。
それが残り物を回して客に出していた事が発覚、老舗のプライドや社会的立場の自覚などどこに行ったのか?
スーパーや食品会社が産地偽装し堂々と売っていた事等、食こそ口に入る物・生命にかかわる重大な問題である。
我々は全面的に信じて購入してきた。この裏切りは大きい。今や何を信じて何処から・誰から買い入れればいいのか?
何を信じて料理屋で食事をすればいいのか?
 又信じられないと言えば、政府にしても自民党・民主党にしても何を信じて付いて行けばいいのか?
ガソリンが上がるや下がる。「道路を作る必要がある」とか「そんなものはいらない」とか
その上役人などは国民が汗水たらして稼いだ収入の中から支払われた血の滲み出る税金を訳の分らない使い方をしたり、個人の懐に入れたり、役人は何をしているのか。
『滅私奉公』の精神は代々受け継がれていないのか。
我々国民は、何を信じてどう生きていけばいいのか。
もう他人に任せて生きていく時代では無くなったのではないか。
意識改革と言うなら、我々も意識改革をしなければならないのかも知れない。
江戸時代に大岡越前守忠相と言う『名奉行』がおられ、彼は八代将軍吉宗の下で享保の改革に携わり多くの功績を残している。
その大岡忠相にも、若き日の苦悩の時代があった事はあまり知られてはいない。
10歳の時養子に出され兄が無実の罪で遠島という刑を受けたり、従兄が上役を殺害し大岡一族は閉門になってしまった。
23歳の時養父・実父とその上に自身の子供である長男長女が相次いで病死し、そして追い討ちをかけるように妻も亡くなってしまった。
しかし、41歳の時将軍吉宗に登用され南町奉行に就任した彼は、若き日の苦しい体験から学んだ事を生かし悪政を改革していった。

兄たちの所行で閉門の憂き目にあったことから、連座制を廃止し、冤罪を防止する為に拷問の禁止と目明しの粛正を行った。
そして目安箱からの訴えを目に留め貧しい人も医療を受けられる『小石川養生所』を設置した。
これについては妻子を病死させた体験上、ことのほか力を注いだと言われている。
そして現在の消防の基になっている『町火消し』は、いろは・四十七組〔後には四十八組〕で町奉行の管理の元に活動していた。

又、1732年西国の大飢饉で90万人が死亡した事から、青木昆陽を登用し飢饉に強い薩摩芋栽培を奨励した。
大岡忠相は、町火消しの設置や薩摩芋栽培などは市民に対して、今まで事が起きればお上が何とかしてくれるという他力本願的な市民の意識を「自分達で出来ることは自分達の力でさせる」と言う意識改革を行ったのである。

“歴史に学ぶ”という事がある。“小石川養生所を作って貧しい人々にも医療が受けられる”
それに引き換え、議員の方々・大臣殿、弱者の老人から金を取るなどと言う考えは何処から来たのか。
先人の良き所は是非学んで欲しい。享保の改革のように悪政を正し弱者を救済すると言う改革をしていただきたい。
我々も自分の出来ることは自分達の手でやっていかなければならない。
政府・役人等に頼らずとも自らの力で自らを守ることを考えて行く“意識改革”をしなければならない所に来てるのかもしれない。

金谷精神療法研究所

所長  真理攫取

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2008年05月27日 21:26に投稿されたエントリーのページです。

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