« 分析家の独り言 111 (無意識のメッセージを読み書き換える) | メイン | 京都 7月分析理論講座 »

分析家の独り言 112 (秋葉原通り魔事件)

また凄惨な事件が起きた。

加藤容疑者についていろいろな情報が出てきた。

私が最初にこの報道を聞いて思ったのは、会社にいって作業着であるつなぎがなかった、それをみて加藤容疑者は、「やめろってか」と思いキレたとのこと。

よほど加藤容疑者は、これまで排除されてきた人なのだろう。

例えば同じように、作業服であるつなぎがなかったとする。

しかし100人が100人、加藤容疑者と同じことを思わない。

そこにその人独特の意味の付け方が在る。

ラカンは、人は意味の病に陥っているという。

「やめろってか」という意味の付け方、誰もそんなことはいっていない。

たまたま誰かが移動させたのかもしれない、事情はわからないが。

「やめろってか」と思うということは、彼がこれまで生きてく間に、そう思う、そう意味つける心の構造を作ってきたということ。

冷静に対応するなら、会社の人に自分のつなぎがないが知らないか、聞けばいい事。

ここにその人のコンプレックスがあらわれる。

自分を否定されず、排除されず、人と良好な関係を築いてきた人なら、彼のような意味の付け方はしないだろう。

人や自分への信頼をもてるかどうか、それがキレる程度にも影響するだろう。

キレて無差別に人を殺傷するのか、家庭内で暴れるのか、物にあたるか、友人に愚痴るか、スポーツなどで発散するのか・・・などなど。

残念ながら彼には愚痴れる友人や彼女もいなかったようで、孤立感をもっていたのだろう。

加藤容疑者は事件を実際に起こしてしまったが、その手前にいる人達もいるだろう。

どうか思いとどまって、行動化しないで欲しい。

攻撃性をこういう形で出しても、本当の解決にはならない。


 ラカン精神科学研究所のホームページはこちらです

オールOK!子育て法のページもご覧ください

About

2008年06月12日 08:23に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「分析家の独り言 111 (無意識のメッセージを読み書き換える)」です。

次の投稿は「京都 7月分析理論講座」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34