また凄惨な事件が起きた。
加藤容疑者についていろいろな情報が出てきた。
私が最初にこの報道を聞いて思ったのは、会社にいって作業着であるつなぎがなかった、それをみて加藤容疑者は、「やめろってか」と思いキレたとのこと。
よほど加藤容疑者は、これまで排除されてきた人なのだろう。
例えば同じように、作業服であるつなぎがなかったとする。
しかし100人が100人、加藤容疑者と同じことを思わない。
そこにその人独特の意味の付け方が在る。
ラカンは、人は意味の病に陥っているという。
「やめろってか」という意味の付け方、誰もそんなことはいっていない。
たまたま誰かが移動させたのかもしれない、事情はわからないが。
「やめろってか」と思うということは、彼がこれまで生きてく間に、そう思う、そう意味つける心の構造を作ってきたということ。
冷静に対応するなら、会社の人に自分のつなぎがないが知らないか、聞けばいい事。
ここにその人のコンプレックスがあらわれる。
自分を否定されず、排除されず、人と良好な関係を築いてきた人なら、彼のような意味の付け方はしないだろう。
人や自分への信頼をもてるかどうか、それがキレる程度にも影響するだろう。
キレて無差別に人を殺傷するのか、家庭内で暴れるのか、物にあたるか、友人に愚痴るか、スポーツなどで発散するのか・・・などなど。
残念ながら彼には愚痴れる友人や彼女もいなかったようで、孤立感をもっていたのだろう。
加藤容疑者は事件を実際に起こしてしまったが、その手前にいる人達もいるだろう。
どうか思いとどまって、行動化しないで欲しい。
攻撃性をこういう形で出しても、本当の解決にはならない。