例えば、子どもが非行で走り回っているときには、頭が噴火し続けていて、誰の言うことも入らないという(元非行少年の表現)。
その状態でも、親は「あれしたらだめ」「これしないとだめ」と言う。
そんなことを言って聞くわけもなく、なんの役にも立たない。
そ頭の噴火は、怒りか、不満か、虚しさか。
そこで噴火している頭を少しでもさまさせるために「オールOK」する。
「オールOK」によって怒りを和らげ、不満・虚しさを埋める、すると、噴火が少しずつ治まりだし、話が出来るようになる。
そして非行は終わる。
しかしあるクライアントが言った、「それだけで終わっていたら根本的な解決にまでは行かなかっただろう」と。
非行が治まった今も「オールOK」し、子どもの言葉を受け取り続けている。
なぜそうなったのか、親が分析理論を学びながら、発達論等を頭に入れつつ、また子どもと日々話をしている。
そうすることによって、子どももいやでも自分と向き合うしかなくなり、そこで、自分が見えてくると。
今子どもはどう生きていくかを模索しているようで、やっと安心して見ていられるのだそうだ。
子どもを縛りつけ、拒否し続けた、それに反発して子どもは外の世界に飛んでいった。
子ども自身が、なぜ飛んで行ったかの地点に立って、自分を見つめている。
その母であるクライアントも、子どもの頃から親にいろんな言葉で縛られ、それが嫌で社会適応してはいたが、飛び回った人だった。
現象はちがっても、結局親子で同じ事をしている。
ああ、やはり子は親のコピーというが、その通りだなと思う。
クライアントは、自分を縛っているものが何なのか、それを見ていく覚悟をした。
この縛りのために行き辛かったこと、他人と関わることを避けてきたことに気付き始めた。
子どもに何か問題が起きたとき、子どもを責めたりしかったりするが、実は親自身の問題を映し出しているのではないか。
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