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精神分析家による秋葉原通り魔事件分析

<秋葉原通り魔事件>

 又しても、日本の家庭崩壊と社会の病理が生み出した、凄惨な通り魔事件が起きた。

 私は瞬時にあの大阪の死刑となった「宅間」を憶い出し、彼の再来だと思った(附属池田小事件)。あの無差別性は「社会と人間の不条理」を世に現して、宅間の殺人動機と同一であると確信した。すると、正にあの6月8日は宅間の事件日だった。

 とまれ、加藤も、あの記者会見で判る通りの夫婦の許に育てられ、あのサイトに書き込まれた彼の文面からも判るように、「主体性の奪取」による、彼の主体性の抹消こそ、彼の動機のすべてである。あの夫婦、彼の両親の関係は、週間ポストの見出しにあるように、テレビを見ていた人誰もが抱いた印象を見事こう表現していた『倒れた妻をまるで荷物のように抱えた父親』と。そして、その前に夫は、妻が泣き崩れているのに、一瞥もくれず、自分の荷物だけを先に家に入れていた。

 ただ子供を自らの自己愛の満足のために操り、主体性を奪い取りそして「見捨てた」。「中学になった頃には親の力が足りなくなって捨てられた」と彼は書いている。

 夫婦の自己愛の道具にしたことと、見捨てられたことで、彼の心は壊れた。

 あとは、親とそれへの憎しみを投影して、社会と人々に復讐することだけの主体が作りだした、「独占」行為しかなくなった。そうして選ばれたのが「ワイドショウの独占」だった。事件を起す、それも飛び切りセンセーショナルなもので、それは「無差別殺人」しかなかった。

 彼はこうして、日本の家庭崩壊した現状を先鋭的に示したのである。これは警告ではない、精神病理が現象化し始めた、パンデミックなのだということをわれわれは知るべきである。


ラカン精神科学研究所

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2008年06月17日 00:24に投稿されたエントリーのページです。

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