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分析家の独り言 135 (理想化の落とし穴:良い母子幻想)

例えば、現実の母が、自分勝手で怒りっぽく、だらしがなくて、口うるさく、外面はよく人には親切にするが、家庭の中ではわがままで言いたい放題だったとする。

そういう母に育てたれた子は、常に「もっとこういう母だったら…」「こんな母だったらいいのに…」と思うだろう。

現実の母とは逆に、理想的な母親を想い描き、この理想的母を追いかけることになる。

心の中に内在化されているのは理想的な母イメージとなる。

その理想的母に見合う自己イメージも理想的良い子となる、しかしこれは実態を持たない。

こうだったらいいにと想い描いた架空の理想的母像であり、理想的自己像である。

この人が子どもを生んで母親になったら、その子はまた理想的良い子でなければならない。

そうすると、この我が子を自分が思うような理想的良い子にするため、厳しく、時には叩いても良い子にしたくなる。

もちろん勉強も出来る子でなければならないため、養育ママとなるだろう。

しかし実際には、子どもは母親の言う通りには動かない、つまりこの母にとって悪い子。

この子が悪い子であると、母の内的理想的イメージは壊されるため、是が比でも我が子は良い子でなければならい。

我が子が良い子でなければ、悪い母だと言われているように聞こえ、自分は否定されるように思い、腹が立つ。

このため子どもに良い子を押し付け、強制し、叩くなどの虐待に至る可能性も大きい。

これが教育ママになって子どもを怒りまくる母親の心の構造の一つである。

分析において、この現実とは逆の理想化した母を追いかけていることに気づき、現実の母を語る。

その時点から、心の中の理想的母は生きられなくなる。

理想的母とそれに見合う自分としてつくった理想的自分もなくなって、大したことのないありのままの自分になる。

そうすればもう子どもを躾まくり、怒ることもなくなる。

どうせ自分もそれほど大した人間ではないのだから、理想化した良い子など求めなくなる。

私もこれをしていたなと思う。

子どもが小さいうちは親の力でねじ伏せも出来るが、それは不幸な結果に至る。

今一度自分を振り返ってみてはどうか。


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2008年08月17日 16:33に投稿されたエントリーのページです。

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