あるクライアントの語り。
これまで事あるごとに相手が悪いと思ってきた。
分析に触れるうち、相手が悪い、相手がおかしい、相手が、相手が…と思ってきたが、もしかするとそれは私の問題かもしれないと思いだしたという。
例え、相手が「悪かった」と謝ったとしても、それは自分を怒らせないためでしかないのでは。
相手を責めるのではなく、私は私と向き合うしかない。
相手は自分の思う通りの人間ではない、だから違って当たり前。
夫であろうと、自分の思うとおりには動かない。
自分が弱いからせめて夫くらい思い通りにしたい、自分を理解して欲しい。
自分の価値に合うから大事なのか?
合わなければ大事ではないのか?
自分に色に染めたいといのは、幼稚なこと。
自分と違う価値を持った人を尊重しようと思った。
また、何でそのことに腹がたつのだろう、それは相手に謝らせたい、そうしないと気がすまない自分がいる。
これを自分の問題だと受け止めたときに、自分のなかに変化がおきるのではないか、それを力に変えられる。
何か心にひっかかった時には、なぜ自分がそう思うのかを考える。
今までとは違う感覚の自分になった、私は私を生きていいんだ、という。
確かにクライアントは変わった。
多くは、人の一面を見て「真面目な人」だとか、「不真面目な人」だとか「面白い人」だとかレッテルを貼りたがる。
分析は、人は変容し得る、という視点にたってクライアントのそのとき、そのときを見る。
クライアントの変容と成長の過程を見られる、それもまた我々の喜びである。