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分析家の独り言 142 (初秋の夜の出来事:無意識を見る)

昨夜、娘がお風呂に入っていて、「お母さぁーん」と呼ばれた。

行ってみると、お風呂の排水溝がつまり、お風呂場の床に水がたまっている、困った・・・

私は、排水溝のふたをとり、「浴槽のエプロンのはずし方」というのを読んでエプロンをはずした。

これで排水溝のフタがはずせた。

髪の毛や石鹸かすなどのごみがあらわになり、カビの臭いで吐きそうになる。

出来るだけ、ごみを取り、パイプをはずすと、「ゴボゴボ」と音をたてて汚水が流れていった。

浴槽側面のエプロンの内側や、浴槽裏側、床も汚れがこびりついている。

これに、洗剤をかけきれいに落とした。「ああ、すっきりした」。

ふと思った、人の無意識もこれと同じようなものだと。

普段は見えないが、その奥(無意識)には汚れがいっぱいこびりついている。

それは、見捨てられたり、拒否されたりした醜い・汚い自分。

そこには憎しみや、悔しさや悲しみなど様々な感情が伴う。

そんな自分は見たくない。

「それを見て、きれいに掃除しましょう」というのが精神分析。

しかし、余程の事がなければ、分析にきて、そんな自分と向き合おうとはなかなか思わない。

「排水溝に詰まったごみがたまりすぎて、流れなくなり床に汚水がたまりだす=症状」と考えるとわかりやすい。

このままでは日常お風呂に入れなくなる=症状により日常生活にさしさわりが出る。

そうすると、いやでも、その排水溝を掃除せざるをえないとなり、分析に来る。

わかりやすい例えだと、一人納得した初秋の夜の出来事だった。

私はこの分析(掃除)を14年間やってきたのだと思った。

14年前、実際に症状(水が流れない)は出てはいなかったが、当時の私の第六感だろうか?何か危ないと感じたのだと思う。

しかし、あの時「もうギリギリのところまで来ていた」と、今振り返るとわかる。


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2008年09月08日 08:36に投稿されたエントリーのページです。

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