個人分析を受けつつ、子育て相談室でも学んでいるクライアント。
「これまで自分は子どもに、オールOKをしてきたつもりだったが、どうやら 違っていたみたい」という。
確かに子どもの要求に応えては来たが、どこかで仕方なくやってきたと。
最初は仕方なくでもいいから演技をし、とにかくオールOKで対応してもらう。
しかし、そうするうちに少しずつ気持ちが伴ってきて、子どもが満足し、喜ぶ顔をみて母親の側もやって良かったと喜べるようになる。
ところが、このクライアントはそうではなかった。
今やっと子どもへの気持ちが伴って、オールOKが出来はじめ、今までのは違うとわかるという。
私の場合、オールOKをしようとしても、自分のコンプレックスが邪魔をして、
「私はこんなことしてもらっていない」
「その私がなんでオールOKしなければいけないの」
「でも、それをしなかったら、子どもたちはあんた(私)と同じ辛い思いをして、生きにくさをずっと抱えて生きていくことになる、それでもいいの」
「いや、それだけはいやだ」
そんな葛藤を自分の中で幾度繰り返しただろう。
きっと、他の人はもっと簡単に、気持ちよく子どもにオールOKしていけるんだろうな、それほど私の欠損は大きいのか・・・
そう思いながら10年以上を過ごしたように思う。
「オールOK!子育て法」など、ひっかかるはずもなかった私が、それでもなんとかやれたのは、精神分析を仕事としてやっていくという意思があったからだと思う。
分析を受けながら、分析家を目指し、養成講座を受け理論の勉強を始めた。
それでもなかなか子どもにオールOKが出来ず、そんな自分に落ち込んだ。
人には「子どもさんに、オールOKで対応してください」と言いながら、自分が出来ない、しないでは済まされない。
それでは分析を仕事には出来ないだろうと、葛藤を抱えつつ昨日よりは今日、今日より明日、少しでも出来るようにと、自分なりに努力した。
やり続ければ、自然に出来るようになる。
子どもの変化がその努力を支えてくれた。