分析家の独り言(京都9月子育て相談室から)を自分で読み返して、気がついたことがある。
子どもにオールOKできるはずのない私が、なぜあきらめずにやれたのか?
一つには、分析家を目指したこと。
もう一つには、父を否定し、超えたかった。
父は私が小学生の頃、宗教を始めた。
その地域で、その宗教の支部長になった父から言われることは、「感謝報恩」。
そして、父は子どもである私に「感謝すること」を強要した。
「生まれてきたことに感謝、生きていることに感謝、親に感謝、先祖に感謝せよ」と。
しかし、当時の私は「死にたい」と思って生きていた。
そんな中で「感謝しろ」といわれる、それは無理だった。
父に逆らえば、さらに家での居心地は悪くなるし、威嚇と暴力におびえていた私は、感謝するふりをするしかなかった。
後に分析に出会い、「与えられ満足した者は、自然と感謝の気持ちが湧いて来る」と聞いた。
それは、親が子どもにオールOKし、子どもは、「こんな私に親はここまでしてくれた、申し訳ない」と思う。
この気持ちが感謝だと聞き、納得した。
感謝は、人に言われてすることではないはず、そんなことも冷静に考えられないほど、私は私を持てずにいた。
さらに、「感謝」「感謝」という父が、子どもの私の目から見ても、本当に感謝して生きているようには見えなかった。
父の発する言葉と、その行動の不一致を常に感じていた。
この父を否定し、超えるためには、私は言動の一致する人間になることだった。
その中で私に出された課題は、一番私には難しい子どもへのオールOKだった。
頭ではオールOKは知っている、言葉に出しても言える、じゃあ出来るの?
本当は、しなくて済むならしたくない、でもそれでは私が否定した父と同じではないか。
それだけは嫌だ。
この想いがまた、オールOKをしようとする私を支えた。
「父を否定したものがファルスとなる」という、ラカンの言葉が思い起こされる。