人は皆、自分の言いたいことが言えないで病んでいく。
子ども時代、親に「あれがしたい」「これが欲しい」「それは嫌だ」・・・と、本当の気持ち、欲望を語れたらいいのだが。
いつも親から、「ダメ」という言葉が返ってくるため、子どもは「どうせ言ってもだめだ」と、あきらめていく。
親や、家族の争いをみてきたために、仲裁役や、その中で自分がどう立ち回るのがいいのかを考えて動く、すると当然自分の言いたいことは言えなくなる。
親は無意識に、自分の言うことを聞かなければ見捨てるぞ、というメッセージを発する。
子どもは敏感にそれを汲み取り、自分の言いたいことを抑えて親に嫌われないような言動をとる。
そういった人との付合い方を子どもの頃から身につけてしまうと、その後の人間関係がギクシャクする。
人の顔色を見て、人に嫌われないように、人に合わせたりする。
しかしそれは疲れる。
人付き合いを出来るだけ避けたくなる。
あるクライアントは、人付き合いのなかで本心が言えないことがある、特にそういう人と接しなければいけないとき、そこから逃げたくなるという。
人に合わすことはしんどいので、人を避けて、できるだけ人とつきあわずに生きて来た。
そのために、人とつながる快感、心地よさを知らずに来たという。
それが今、人ととつながることの楽しさを知り、人への興味が出て来たともいう。
子ども時代にまず親との間で、言いたいことが言えることが大事である。
それができなかった人が、分析場面で分析者に語り続ける。
時に涙を流しながら。
分析家はそれを否定せず、受容と共感を持って聴き続ける。
そこに信頼が芽生え、何でも言える関係ができる。
そうして癒されつつ、分析者の言葉、解釈が少しずつクライアントの中に入っていく。
そしてクライアントは変容していく。
それにはまずは、何でも言えるようになること。
こんなことを言ったら変に思われないか、非難されないか、怒られないかと心配せずに。