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分析家の独り言 156 (言えることは癒えること)

人は皆、自分の言いたいことが言えないで病んでいく。

子ども時代、親に「あれがしたい」「これが欲しい」「それは嫌だ」・・・と、本当の気持ち、欲望を語れたらいいのだが。

いつも親から、「ダメ」という言葉が返ってくるため、子どもは「どうせ言ってもだめだ」と、あきらめていく。

親や、家族の争いをみてきたために、仲裁役や、その中で自分がどう立ち回るのがいいのかを考えて動く、すると当然自分の言いたいことは言えなくなる。

親は無意識に、自分の言うことを聞かなければ見捨てるぞ、というメッセージを発する。

子どもは敏感にそれを汲み取り、自分の言いたいことを抑えて親に嫌われないような言動をとる。

そういった人との付合い方を子どもの頃から身につけてしまうと、その後の人間関係がギクシャクする。

人の顔色を見て、人に嫌われないように、人に合わせたりする。

しかしそれは疲れる。

人付き合いを出来るだけ避けたくなる。

あるクライアントは、人付き合いのなかで本心が言えないことがある、特にそういう人と接しなければいけないとき、そこから逃げたくなるという。

人に合わすことはしんどいので、人を避けて、できるだけ人とつきあわずに生きて来た。

そのために、人とつながる快感、心地よさを知らずに来たという。

それが今、人ととつながることの楽しさを知り、人への興味が出て来たともいう。

子ども時代にまず親との間で、言いたいことが言えることが大事である。

それができなかった人が、分析場面で分析者に語り続ける。

時に涙を流しながら。

分析家はそれを否定せず、受容と共感を持って聴き続ける。

そこに信頼が芽生え、何でも言える関係ができる。

そうして癒されつつ、分析者の言葉、解釈が少しずつクライアントの中に入っていく。

そしてクライアントは変容していく。

それにはまずは、何でも言えるようになること。

こんなことを言ったら変に思われないか、非難されないか、怒られないかと心配せずに。


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2008年10月17日 08:46に投稿されたエントリーのページです。

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