仕事に出かける準備をしているところに、両親が尋ねてきた。
私が福岡・鹿児島出張中に、上の娘が両親の所へ行って、ご飯を食べさせてもらっていた。
そのときのことらしい、母が「H子ちゃんは、おかずばっかり食べて、ご飯(お米)をあまり食べないな」
「その食べ方は間違ってるから、お米を持ってきた」と言った。
私は、また始まったと思った。
私が子どものときこれを聞いたら、「ご飯(お米)を食べないことは間違っていること、自分はおかしいんだ」と思っただろう。
まだ、この人は娘や孫に、母やおばあちゃんではなく、先生をする。
母の価値感、考えに合わないことは、すぐ教育しようとする。
母は昔小学校の先生だった。
もちろん私はご飯を炊いてある。
その日によって、ご飯(お米)を食べたり、食べなかったりするから、私は毎回「ご飯(お米)よそおうか」と聞く。
娘はお米がないから家でご飯(お米)を食べないのではない。
娘はおかずが好きだから、おかずを食べて、ご飯(お米)は特に食べなくてもいいときがあるのだ。
その食べ方は間違っている? 私はあきれて何も言うことがなかった。
きっと小さい頃から、私はこうして母の想いや考えに合わないことをすると、駄目だしされ、調教されてきたのだろう。
小さい子どもにとって親は絶対的存在であるため、そのことの是非に関係なく言うことをきくしかない。
今なら母の言うこと、考え方の偏りがすぐわかる。
しかし、長い間それに気付かず、そういうものなのだと思い込んできたことがいっぱいあった。
それを分析を通して検証し、自分を持った今、自分の偏りや生きにくさがどこにあったがわかる。
子どもには、とり入れるとき良いもの、悪いものの取捨選択はない。
その判断能力もない。
最初はせいぜい、とり入れたもの(言われたこと)を良いものと悪いものに振り分けることくらいしかできない。
母の偏りが、子どもに歪みを伝える。
そうして歪んだ私は、無意識にまた自分の娘たちにその歪みを伝えていた。
冷静にこのことを見つめ理解し、歪みを歪みとして認識できるようになってよかったと思う。
同時に、気付かずにいた日々が恐いと思う。
オールOKを学び、分析を受けているクライアントたちは言う、「下手なことを、おいそれと子どもに言えませんね」と。
私は「そうです、言われた子どもがどう思うかよく考えてから言ってください」
「ほとんどのお母さんは、思いつくまま、自分の感情のままに子どもに言葉をぶつけるから、子どもがしんどくなることがたくさんあるんです」と言う。
母もまたその母にいろいろ言われ、生き辛さを抱えて生きてきたのではないか。
しかしもう80近くなった母は、それさえも自覚することはないのだろう。