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分析家の独り言 166 (痰壺、ごみ)

私もそうであったが、子ども時代に母や祖母などの身近な大人から、愚痴をきかされる。

クライアントの中にもそういう人は多い。

そこにはまず、家族関係の歪みがある。

私の場合でいえば、母と祖母(姑)の仲がよくなかった。

母は小学校の教師で、昼間家にいないので、私はいわゆるおばあちゃんっ子であった。

母親代わりの祖母に育てられたようなもの。

本当は母にくっつきたかったが、現実にほとんどいない母の変わりに祖母にくっついていた。

その両者の仲が悪く、祖母は母がいないところで、私に母の悪口を言った。

具体的な内容はあまり覚えていないが、祖母は母が化粧をすることが気に入らなかったらしく、「自分は化粧などしたことないのに・・・お母ちゃんは化粧して・・・」と言っていたのを思い出す。

何がよくて、何が悪いのかもわからない子どもの私は、化粧することは悪いことなのか!?となった。

現実にあまり私と一緒にいない母も、祖母から言われ気に入らないことを、子どもの私に愚痴をこぼした。

私が分析を受け始めた頃、こういう話をしたとき、分析者に「それを痰壺(たんつぼ)と言います」と言われた。

母や祖母は、自分の中に詰まった不快なもの(痰)を私という壺に吐き出していたということ。

不快なものを吐き出した人はそれで幾分かすっきりしていいだろうが、吐き出された私は不快なものを受け取り、それをどう処理することもできず、それらを抱えて生きていくしかない。

楽しいことならいいが、不快な感情・気分は私の心を蝕んでいった。

しかも私はどちらも好きな人で、自分を受け入れて欲しい人たちなので、それを跳ね返すこともできずに、愚痴り続けられどんどん溜まる一方であっただろう。

後に聞いた話では、兄も同じように子ども時代に祖母から母の悪口を聞かされたらしいが、兄は「母の悪口を言わないでくれ、聞きたくない」と言ったらしい。

私には、そんなことを言える自我も何もなかった。

クライアントの中には、母から家族や近所・周りの人の愚痴、悪口を聞き、自分も母にそのような悪口を言われないようにと、いい子を演じてきた人。

また同じように、母から家族や他人の悪口、愚痴を聞いてきたために、「自分はごみだと思ってきた」と言ったクライアントがいる。

こうして私たちは人間でない物(痰壺)として扱われ、人間でない物(痰壺)になってしまう。

「自我は他者のもとで構成される」とは、子ども時代は特に、子どもにとって重要な=母や後に父 によってどう扱われ、どのような言葉をかけられるかで自分といものがつくられていくということ。

子どもに愚痴をきかせたりして、子どもをストレス解消の道具にしてはいけない。

愚痴られ、自分を痰壺やごみにされた者は、自分の存在に価値を見出せず、当然自信もプライドも持てず、最終的には自分を消したくなるところにまでいくこともある。

それを分析によって、過去を洗い直し、そこに至った経緯を明らかにし、自信やプライドを取り戻し、その人らしく活き活きと生きていかれるようにサポートする。

それは自分の人生を自らの力で生きなおす、生まれ変わるという感覚に至る。


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2008年11月24日 08:41に投稿されたエントリーのページです。

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