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分析家の独り言 167 (こんにゃくだったクライアント)

あるクライアントの語り。

こんにゃくを作って卸している店の前で、こんにゃくの端切れをビニール袋に詰めて、格安の100円で売っている。

その店を知ったのが、もう20年以上前になるだろうか。

この店の前を通るたび、必ずこの端切れが詰められてた100円のこんにゃくを買う。

店の前に置かれたこんにゃく、これをビニール袋に入れて、ビニールテープで止め、「はい、100円です」といって、こんにゃくを受け取るとき、なぜがモワモワっとした何とも言えない幸せな気持ちになる。

この感覚を味わいたくて、この店の前を通ると、まだ家にこんにゃくがあっても必ず買って帰る。

ずっと以前から自分はこんにゃくを買う側ではなく、売る人になりたかった。

なんで自分がこんな気持ちになるのかわからないと言いながら、クライアントがそう語った。

私は「そのこんにゃくこそあなたです」と言った。

普通ならこんにゃくとして売られることのない端切れ=捨てられるこんにゃく。

きれいに形の整った、1枚百いくらかののこんにゃくではなく、形もばらばら、色も様々の捨てられるこんにゃく。

それが袋一杯につめられ、それを喜んで買っていく人達。

そのこんにゃくを売る人になりたいとは⇒(こんにゃくとしての商品)価値のないものに、(100円のこんにゃくとして)価値を与える人になること。

つまり価値付ける人とうこと。(端は端で利用価値がある)

自分は他人より劣っていると思ってきたこのクライアントは、商品価値のない端切れのこんにゃくと化していた、そのこんにゃくに同一化していた。

クライアントもそう思うという。

それから一週間後、このクライアントは次のように語った。

いつものように、こんにゃく屋の前を通ったが、今までなら必ず買っていたこんにゃくを買わずに素通りした。

その自分にビックリしたという。

「何で?」「今までなら、必ず買ってたのに」

「あのこんにゃくは、こんにゃくの端切れ、まだこんにゃくは家にある、買わなくていい」

そう冷静に物事をみている自分が不思議と。

私は「やっと、こんにゃく(価値のない)の自分から切り離せましたね」と言った。

これまでクライアントは社会のなかで当たり前の位置を歩いて来られなった、その自分が今、社会の中の一人になったと言う。

たった一週間でこんなに変ることが不思議と言うクライアント。

「気づけば一瞬(で変る)」と、私はいつも言う。


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2008年11月26日 08:42に投稿されたエントリーのページです。

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