子どもは親を選べない。
できることなら、やさしい母と父の元に生まれ、物理的にも精神的にも苦労することなく、すくすくと育つことができれば良いが。
ある人は、幼くして母を亡くし、またある人は父を亡くし、失意の中で生きていくことを余儀なくされる。
母、父は居ても、苦しい思いをして子ども時代を過ごし、死にたいと思いつつ生き延びる人もいる。
十代そこそこで突然父を亡くしたあるクライアントは、自分の人生に何がいつ振ってくるかわからないと思ったという。
安心して生きるとは、自分以外の人のこと。
そして、人が当たり前にできること、あることが自分にはない。
大きな欠損を抱えた自分。
だから人並み以上に頑張らないと、と必死で走ってきた。
仕事も頑張ったが、その犠牲になった子どもたちがいた。
仕事仕事で子どもたちのことは後回し、そんな中で「あんたこんなことしてたら、いつか大変なことになる」と、どこかでもう一人の自分がささやくのを聞いてきた。
案の定、子どもが荒れた。
母親とはどういう生き物なのか?
こうあって欲しい母と、現実の自分の母は違っていた。
分析に出会い、オールOKを教えられるままやっているうちに、母親とはこんなにいいものだったのかと思った。
そして今、安心感と安定感が自分にあるという。
むやみやたらに自分に欠けているところを埋めようとしてきたが、今は頑張らなくても人並みに、0(ゼロ)の位置に立てた。
楽しめるようにもなった。
些細なことが楽しめるようになった、これを積み上げていくことを幸せというのだろう。
欠損した人は、日々楽しむことができず、幸せを教えてもらわないとわからない。
クライアントにとって人格を高めることが=分析という。
分析家である私も、「幸せになりたい」、「このままでは終われない」、「一花咲かせたい」と、ひたすら分析を通して自分を見つめてきた。
クライアントのいう「楽しめることの喜びと幸せ」を、より多くの人に味わってもらいたいと願う。
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