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分析理論の解説 アーカイブ

2008年08月19日

分析家の独り言 137 (無意識)

フロイトは日常生活の現象の中でおこる錯誤(失策、しくじり)行為に、無意識を発見した。

その代表的なものが、「度忘れ」「言い間違い」「貴重品の喪失」「思いがけないヘマ」などである。

これらは、その背後にあるもう一つの意識(意図)が抑圧を打ち破って行為化されたものである。

例えば、度忘れは、やりたくないことを頼まれて忘れてしまうとか、思い出したくない人や地名を忘れてしまうなどがそうである。

ある会議の議長が、その会議を開きたくなかった。

それで、「開会します」と言うところを、「閉会します」と言ってしまったという。

私が書いた昨日のブログ、分析家の独り言(理想化の落とし穴:ありのままの自分になる)にも錯誤行為があり、苦笑した。

ブログの文章の後半に「〇〇大学の付属小学校、中学の征服を着た我が子は、母親の自己愛を満たす。」と書いた。

この文章のなかの「征服」は、本当は「制服」である。

この漢字の変換の間違いを、知人に指摘されるまで私は気づかなかった。

この間違い、しくじりの裏にあるもう一つの意識は(無意識)は、私が小学校、中学校時代征服されていた、支配されていたということ。

それは親に、である。

私は分析において、そのことを散々思い知らされ、その通りと納得したはずだったが、まだ受け入れきれず、その残骸というか、残りかすがあった。

まだどこかで少しくらいは親に支配されず、自分を持っていたと思いたいのだろう。

親に征服されていた自分をしっかり自覚しないと、無意識に他人を征服したくなる。

同じ間違いは、自分が味わった苦い思いを、他者にさせてはいけない。

こうしてまた自分を知らされた。

人と人の関係は、征服するでも、征服されるでもなく、平等で対等な関係を築くことである。


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2008年08月18日

分析家の独り言 136 (理想化の落とし穴:ありのままの自分になる)

自分が受け入れられない現実の母(分析家の独り言 理想化の落とし穴:良い母子幻想 の母)は、その人の精神内界において抹殺されている。

現実の母を抹殺=消した、その空白になった場所に入るのが理想的母。

いったん居座った理想的母はなかなか立ち退かない。

分析によって語ってもらい、本当の現実の母はこうですよと見せ、本人もそれを理解すると理想的母は立ち退く。

自分がつくった理想的母は幻想だったと気づく。

それとともに同じく幻想の理想的自分も消え、ありのままの自分になっていく。

結局、自分は背伸びをして、良い人、良い母を演じていたことに気づく。

それに子どもまでつき合わせていた。

だから子どもは世間でいう「良い子」でなければならなかった。

子どもにすればいい迷惑である。

躾まくり、勉強、勉強という母親に多い構造であろう。

〇〇大学の付属小学校、中学の征服を着た我が子は、母親の自己愛を満たす。

私もその道を行かされたために、娘たちもまたその道を歩かせるところだった。

私はいつも思う、勉強もいいがそれより大事なのは生きる賢さ。

精神の未熟、本当の意味での無知ほど恐いものはない。


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2008年08月17日

分析家の独り言 135 (理想化の落とし穴:良い母子幻想)

例えば、現実の母が、自分勝手で怒りっぽく、だらしがなくて、口うるさく、外面はよく人には親切にするが、家庭の中ではわがままで言いたい放題だったとする。

そういう母に育てたれた子は、常に「もっとこういう母だったら…」「こんな母だったらいいのに…」と思うだろう。

現実の母とは逆に、理想的な母親を想い描き、この理想的母を追いかけることになる。

心の中に内在化されているのは理想的な母イメージとなる。

その理想的母に見合う自己イメージも理想的良い子となる、しかしこれは実態を持たない。

こうだったらいいにと想い描いた架空の理想的母像であり、理想的自己像である。

この人が子どもを生んで母親になったら、その子はまた理想的良い子でなければならない。

そうすると、この我が子を自分が思うような理想的良い子にするため、厳しく、時には叩いても良い子にしたくなる。

もちろん勉強も出来る子でなければならないため、養育ママとなるだろう。

しかし実際には、子どもは母親の言う通りには動かない、つまりこの母にとって悪い子。

この子が悪い子であると、母の内的理想的イメージは壊されるため、是が比でも我が子は良い子でなければならい。

我が子が良い子でなければ、悪い母だと言われているように聞こえ、自分は否定されるように思い、腹が立つ。

このため子どもに良い子を押し付け、強制し、叩くなどの虐待に至る可能性も大きい。

これが教育ママになって子どもを怒りまくる母親の心の構造の一つである。

分析において、この現実とは逆の理想化した母を追いかけていることに気づき、現実の母を語る。

その時点から、心の中の理想的母は生きられなくなる。

理想的母とそれに見合う自分としてつくった理想的自分もなくなって、大したことのないありのままの自分になる。

そうすればもう子どもを躾まくり、怒ることもなくなる。

どうせ自分もそれほど大した人間ではないのだから、理想化した良い子など求めなくなる。

私もこれをしていたなと思う。

子どもが小さいうちは親の力でねじ伏せも出来るが、それは不幸な結果に至る。

今一度自分を振り返ってみてはどうか。


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2008年08月16日

分析家の独り言 134 (二つの世界に生きる)

人は二つの目を持つ。

一つは現実を見る目、これは光学的に世界の事象を見る目。

もう一つは、自分の内的世界を見る、いわゆる心の目とでもいう目。

例えば、愛着を持った対象=母が亡くなったとする。

現実に母はもう死んでしまい、この世にはいない。

ところが、心の中に映し込んだ母が心の中で生きている。

この内的世界を見る目にとらわれると、現実とのギャップが生じる。

内的目で母の死を見つめ、心の中に整理をつけ始めるのは現実に区切りがついたときである。

それは例えば仕事が終わったあと、ホッと一息つく瞬間であったりする。

現実を忙しくして、内的な目をつぶれば、母の死という悲しみは襲ってこない。

これが一つの防衛法である。

隙間なくスケジュールを入れ、忙しくしている人は、何か内面に見たくないものを抱えている可能性が大きい。

例えばまた逆に、内的世界に自分を襲ってくる迫害イメージを持っていたとすると、それに襲われないようにいつも現実に目を向け、現実にとらわれるようにしておく。

この方法で複雑な操作をしているのを神経症という。

内的世界と現実を常に混同しながら、それにとらわれ、脅えている状態である。

その人の中に何がとり入れ内在化され、何が映し出されているかが非常に大事である。

分析はこの心の中の世界に映しこまれたイメージ、絵を読み取ること。

人は外的世界と内的世界を交互に、また並行して、錯綜しながら経過していく。

これがはなはだしくなり、現実と内的世界の境界がなくなってしまった場合、妄想に至る。

これは外的世界と内的世界が重なってしまう、自我境界の喪失を意味する。

通常我々にはこの自我境界がある、精神を病んだ人は、この境界が曖昧であるか、またはない。

その行き着く先は、精神内界で起こっていることに確信を持ってしまう。

すると、「自分を殺しにくる」「自分はねらわれている」「人が自分を攻撃してくる」「自分は嫌な臭いを出していて、他人に迷惑をかけている」などと言う。

それは現実を見ているのではなく、その人の心の中に映し出されたものをみているのだ。

こういう心の構造を知っていれば、なんでこんなことを言うのだろうとは思わす、それなりに理解できる。

人の心の構造を解き明かし、理論的にすっきり説明できることに興味を持つ分析家とは、奇妙な存在かもしれない。

それとともに、そこにはヒューマニズムがあると私は思っている。


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2008年08月05日

分析理論(母性喪失)

『母性喪失』とは、『マターナル・デプリベーション(maternal deprivation)』の訳語である。

母親からの満ちた養育を受ける機会を奪われて育っている子どもの状態を示す。

(メンタルヘルス・シリーズ 「母性喪失」 内山喜久雄・筒井末春・上里一郎 監修 同朋舎)

この当然受けるべき母性的世話を受けられなかった人を「母性喪失者」という。

臨床上、母親が子どものそばから居なくなる(母親の病死や失踪・離婚など)場合のほか、母親が同居していても、母親的世話をし、子どもに愛情を向け接しなければ母性喪失に至るケースは多い。

本来あるべき適切な世話や関心が向けられない子どもは、いつも欠如観を持っている。

この欠如感が強いと、空虚(虚しさ)につながり、それはさみしさとして感じられるため、さみしがりやである。

そのため、いつも何かに打ち込んでいたい、それが耽溺(酒色などにふけりおぼれる)行為に至りやすい。

「スケジュールがずっと詰まっていないと安心できない」ということもよく聞く。

さびしがりやであるため、別れに敏感であったり、いつも何か物を抱えていたいため、物欲が強くなる。

よく見かけるのは、車の中にぬいぐるみがズラッと並べられている光景。

小さい子どもならかわいいですむが、車の運転をするということは少なくとも18歳以上、それには?がつく。

ひきこもりの20歳代半ばの青年で、ベットの周りにぬいぐるみを並べているというのもあった。

酒・タバコにおぼれる人もいる。

ブランド品を何点も買い集める人もいる。

こうして集められたものは全て母の代替物(移行対象物)である。

人が集めるもの、こだわるもの、それら母に通じるといっても過言ではない。

今一度、自分を振り返ってみてはどうだろう。


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2008年08月01日

分析家の独り言 127 (対象喪失:まず愛着)

うつ病の大きな引き金となるものに『対象喪失』というのがある。

『対処喪失』とは、第一には、近親者の死や失恋など、愛情・依存の対象の死や別離の体験をいう。

子どもの成長にともなう親子間での親離れ、子離れの体験をも含む。

第二には、住み慣れた環境や地位、役割、故郷などとの別れである。(引越し・昇進・転勤・海外移住・帰国・婚約・進学・転校・・・など)

第三に、自分の誇りや理想、所有物の意味をもつような対象(象徴化された物)の喪失がある。

対象喪失のおこり方には、自分が望まないのに外から強いられる場合と、自らが引き起こした場合がある。

(小此木圭吾著 対象喪失より一部抜粋)


いずれにしても対象喪失が起こるには、まずその人の中に対象と一体化を願望する愛着が存在することが必須条件。

ある20歳の女性クライアントに「愛着」というこがわかりますか?と聞いた。

彼女は、「物への愛着はわかるが、人への愛着がわからない」といった。

残念ながら、現代人の中にこういう人は多いのではないかと思う。

愛着は、子どもにとっての最初の対象である母から学ぶのものである。

まず母親が子どもへ愛着を示し、それに応えるかのように子どもが母に愛着行動を示す。

それは身体的接触を求め母にまとわりつき、常にそばに居ようとするという行動でしめされる。

その最初の愛着を学んでいないことになる。

この愛着を子どもに定着させるためには、母親は少なくとも0~1.5歳の口唇期の間、子どものそばに居続け、子どものサインを読み取って抱っこすることである。

そうでなければ子どもの心は正常には育たない。

残念ながら社会は、人間の心の発達論を知らないために逆の方向に進んで行っている。

0歳児保育をすすめ、保育園に入れない待機児童をなくし、母親を社会参入することを良しとしている。

そのことの影で、子どもたちは放っておかれ、見捨てられ、寂しさを抑圧し、愛着を学べず病んでいく。

これからますます不登校、引きこもり、非行、凶悪事件は増え、低年令化していくだろう。

この状況を誰がとめられるだろう。

一人一人が考え、気づき、軌道修正していくことであろう。


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2008年07月30日

インテグレーター養成講座より(母性とは:母子分離)

養育上、母子分離は大きな問題である。

母親との分離の有無は、初回面談で必ず聞く項目である。

人間の精神の基礎がつくられる4歳以下での母親との分離は特にその後の人生に大きな影響を及ぼす。

なぜなら、この時期母親とその子どもは一緒に居ることが前提であるからである。

生後6ヶ月から4歳までの子どもが母親と分離を強いられたとき、次の三様態を示すといわれている(ボウルビィ)

1、抗議・・・分離されたことへの苦痛表情、泣き叫びと新しい事態への拒否反応

2、絶望・・・泣けど叫べど事態は変わらないことを知り、うつ的になり意欲をうしない、動かなくなる。

3、離脱・・・分離の事実と悲嘆は屈折させられて心の中にしまい込まれ、何事も無かったかのように平然と過ごす。

この時期の子どもが離脱の時期にまで至ると、母との分離による苦しみや悲嘆、そのことにまつわる一切の思い出は、無意識に押し込まれ、お思い出さないようにふたをしてしまう。

このため人との深いつながりを持つことを無意識に避け、次第に人に愛情を感じたり、心のつながりを持つことが不可能な性格(愛情欠損性格)になっていく。

不幸にして、母親と早くに死別、生き別れ等により分離した子どもは、その後の人生がいきにくくなる。

4歳以下でなくてもよくありがちなのは、夏休みになると、子どもだけ実家の祖父母の家にあずけらるというもの。

寒い地域では、冬になると両親が出稼ぎに出て、子どもは何ヶ月も親戚や祖父母にあずけられることもある。

また、親、兄弟の病気等により、母親の世話を受けられないこともある。

それらによる影響が、その子が大きくなってから表面化してくることが多い。

言えることは、放っておいて育つものは何も無い。

手をかけ、目をかけ適切に世話されて人は育つ。


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2008年07月10日

分析家の独り言 121 (分析理論講座:口唇期より)

昨日7月9日、JR京都駅近くで分析理論講座をした。

講座の内容は「口唇期」の中の「口唇期の母子関係」

いつものようにテキストに沿いながら、症例や社会情勢などの話を織り込み、ときに脱線しながら、質問を受けながらの2時間半だった。

分析上、何かしらの問題があって来所されるクライアントのお子さんにほぼ共通するのが、「小さい頃おとなしくててのかからない良い子でした」というセリフ。

赤ちゃんは忘れ去られ、放って置かれたら死んでしまうのだから、常に「私はここにいます」と信号を送るもの。

泣けど叫べど母が来なければ、赤ちゃんはあきらめて泣かなくなる。

赤ちゃんは泣くことによって、サインを出している、そのサインを母がキャッチしてくれるから、そのサインの送り方を学習できる。

自分がこうすれば相手はこう動く、それは泣けば母が来るというように。

また、自分が笑うと、母も笑ってくれ、どうやら母を笑顔にするのは自分の笑顔らしいとわかってくる。

自分が笑えば母も笑い、可愛がってくれる、抱っこしてくれる、スキンシップしてくれることを学習する。

ところがもし、自分が笑えば笑うほど母が遠のいて行くとした、赤ちゃんは笑わなくなる。

笑っても母に抱っこされなければ笑うことによる操作性を学べない。

自分は母にくっつきたくてじゃれ付いていったが、それを母が「うるさいわね」とか「今忙しいから後にして」と跳ね除けたとする。

するとじゃれ付くことはその子にとって母を操作できないで、拒否されるという意味になってしまう。

これが繰り返されれば、以後人に頼らない、甘えない、人を信用しない、自分から動かないおとなしい子になるだろう。

子どもは母へのサインを通して操作を学んでいる。

それに母がどう反応するかで全てが決まる。

口唇期固着の人は、この操作にもこだわる。

つまり人を操作しようとする、自分の思い通りに相手を動かそうとする、そしてまた人はどうすれば動くかをよく知っている。

子どもに限らず、大人でもこういう人はいる。

精神の年齢は0~1.5歳の口唇期でとまっている人である。

分析によってこのとまった時計を動かすことである。


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2008年06月08日

分析家の独り言 111 (無意識のメッセージを読み書き換える)

私たちの無意識には、様々な言語が書き込まれている。

あるクライアントは、「人の中に入っていかないのはだめ」というメッセージを子どもの頃から言われた。

ところが人が苦手で、人と関わりにくい。

それでも、「人の中に入っていかないのはだめ」というメッセージが無意識に回るため、会合や飲み会、食事会などで人の輪に入っていない自分を責めていた。

人に合えば、何か言わなければ・・・と焦るが、うまく話せずまた自分を責める。

人の中に入っていかなければいけないが入っていけない、話さなければいけないが話せない、そのことに葛藤し落ち込む。

分析で養育史を語り、そのメッセージを再認識し、その言葉を再び検討してみる。

その言葉自体が正しいのか。

それを言った親自身が人の中に入りにくく、それをクライアントに求めた。

親が出来ていないにも関わらずである。

今は、話かけられれば話すが、無理に話しかけなければいけないと思わなくなったという。

以前のように自分を責め、ダメ出ししなくなったので楽になったと。

この先分析の中で、いろいろなメッセージを思い出し、同じように現実吟味していく。

そしてクライアントが気づかなかった心の傷を癒しつつ、もう一度人との交流や信頼、愛着といったものを学習し、自己愛を育てていくなどしていくと、自然人が苦手でなくなる。

気がつけば、○○でなければならないという考えがなくなり、自分も他者も否定せず、自然に人と交流できている自分になっている。

このクライアントの場合は他者はOKだが、自分はNOな存在であった。

4パターンあり、自分も他者もNO(な存在である)
          自分はOK,他者はNO
          自分はNO,他者はOK
          自分も他者もOK

さあ、あなたはどれだろうか。

もちろん分析は、最終的に自分も他者もOKな存在をめざす。


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2008年06月01日

分析家の独り言 108 (船場吉兆に見る精神の未発達)

食の安全が揺らぐ中、今回の船場吉兆廃業。

後から、後からいろんなことが出てくる。

例えば・・・

以下(MSN産経ニュースより引用)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080528/crm0805282218046-n1.htm

暮れも押し迫った12月29日深夜、船場吉兆本店の大座敷は、異様な雰囲気に包まれていた。
大音量の有線放送が夜気を震わせる。
パチンコ店でおなじみの「軍艦マーチ」だ。
調理用の白衣を着た従業員が一心不乱に盛り付けにあたる。
「さっさとやれ」「間に合わんぞ」。
社長の湯木正徳(74)が怒鳴り声を上げる。
毎年、大みそかまで行われる社員総出のおせち作りの風景だ。
売り上げの多くを占める物販部門の中でもおせちは主力中の主力。
船場は限界を超える注文を受け、ぶっ通しの徹夜作業で帳尻を合わせていたという。
人よりカネとモノが最優先-。
それが船場吉兆の経営方針だったと、元調理人が打ち明ける。

湯木正徳前社長(74)が料理を捨てようとした調理人に、「何を捨ててるんや。
もったいない、それは置いとけ」と声を荒げる場面を見たことも。

女将と弁護士が並び、女将が「今日で廃業になりました。
再開後頑張ってくれたけど力及ばず申し訳ありません」と謝罪。
女将の説明は約10分
弁護士が退職時の手続きを書いた紙を配った。
退職金などの説明もなく、再就職について女将から話は一切なかった。 

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などなど・・・

どこまでも人間らしいあたたかみが感じられない。

これは精神の発達からいえば、生後数ヶ月頃の状態。

まだ対象(子どもにとっては母親)が部分対象でしかなく、全体対象に至らない状態。

乳児にとっては「母」は「乳房」でしかない時代のこと。

女将はじめ船場吉兆の経営陣たちは、生後数ヶ月の精神状態で止まっている。

人を全体的に見ることが出来れば、料理の残り物を使いまわしされたらどんな気がするだろうか、と思うだろう。

軍艦マーチをかけられ、怒鳴り声のなか、限界を超える注文をぶっ通しの徹夜作業で従業員に働かせることがあるだろうか。

いきなり廃業を告げられた従業員の今後を心配する気持ちもない。

人間を部分対象としか見られないために、他者を部分的に利用する。

自分がもし相手の立場であったなら・・・という立場にたてない赤ちゃん。

そんな人達が経営した会社は、つぶれるしかなかった。

心が成長していないということが、いかに悲しく、恐ろしいことかを痛感させられる。


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交通費負担で、主張セラピー・各理論講座・母親教室(子育てに関するQ&A)をしています。

2008年05月31日

理論解説(他者の欲望で生きる)

クライアントがよく言う。

「家族のため、好きな人のためになら頑張れる」と。

自分のためではなく、自分以外の他者のためにやるというのだ。

また、ある若い女性は、「好きな人ができたらやせられる」と言う。

これらは他者の欲望にあわせて生きる構造である。

対象化された自己、相手の自分に向けた理想イメージに、自分が同一化する。

これは全く自分に主体性がない。

主体は相手であり、自分とはまるでゾンビ(死体)である。

いわゆる「良い子」はこの構造である。

自分を出さず、母の親の欲望に合わせて生きる。

わがままを言わず、反抗期もない。

発達上、非常に危険であるが、これが世間で言う良い子。

それが主体(しゅたい)を奪われた死体(したい)。

私の欲望は母の欲望である。

多数の他者の、自分へのイメージに合わせるる人を=八方美人という。

皆に好かれたい人。

これも非常に疲れる。

その人、その人で自分を変えて合わせるのだから大変だろう。

あるクライアントは、自分は自分を生きていいと思えるようになったという。


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2008年05月01日

理論解説(症状) その4

新宮一成氏著、「ラカンの精神分析」の本からの抜粋である。

フロイトが挙げている、外出恐怖の女性の例。

彼女は、店員たちに服のことで笑われるという観念に捉われている。

分析してみると、彼女は幼い頃、ある老店主に服の上から体を触られるという性的な「外傷」を体験していることがわかった。

その時その老店主は、にやにや笑を浮かべていた。

幼い彼女には、その時その経験の意味がわからなかった。

思春期に達して彼女はその意味を事後的に理解したのであるが、体験そのものの記憶は抑圧され、記憶の代わりに症状が形成された。

「服のことを笑われる」という症状的観念のうち、「服は」幼い頃「服の上から」触られたという観念を、「笑われる」は、「老店主の笑い」をそれぞ象徴している。

このように、事後性という過程においては、ものごとが象徴的に理解されるが、その必然的な代償として、ものごと自体は消去されてしまう。

ここの本では事後性について解説されているが、症状の形成させれる過程としてみてもおもしろいのではないかと思い紹介した。

ある症状が形成されるそのもとには、このように外傷なり、何か原因がある。

それを謎解きのように過去を想起し、紐解いていくのが分析の作業である。

クライアントは想起障害にあり、口をそろえたように「記憶にありません」、「思い出せません」という。

それでも分析者と話しているうちに、「そういえがこんなことがありました」とポロッと思い出していく。

そしてある重大な記憶にたどり着く。

それは見たくない、思い出したないとして、葬り去った記憶である。

だからそこに抵抗を示す。

しかし、その因果関係をクライアントが理解し、了解すると症状は消える。




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2008年02月27日

理論解説(自己愛パーソナリティー) その3

ナルシシスト(病的自己愛者)の特徴に、権力志向が強いことが挙げられる。

それは無力感の裏返しである。

無力な自分を補足するために、常に力を持っていないと不安になる。

ナルシシストは無力感をもち、それに怯えている人。

新生児のときからすでに、母子一体感の自己愛に傷つきがある。

この時期赤ちゃんは常に母親と一緒にいて、母親との一体感を味わい、母親を操れる万能感の中に浸っているのが正常である。

ところがこの時期に母と切り離される時間が多ければ多いほど、赤ちゃんは無力感のなかに埋没する。

それは、母が新生児のときからすでに、子どもに関心と愛情を向け、子どもの思いどおりに動かなかったということである。

これが人の最初にして、最大の自己愛の傷つきとなる。(ただし厳密にいうなら、胎児のときから傷ついている場合も多々ある)

だから、分離固体化の過程において、正常な自閉期は不可欠であるという。

(正常な自閉期とは、生後0~3ヶ月頃で、新たな子宮外環境の中、新生児は感覚・知覚・運動・自我が未分化なまま、絶対的一体感による万能感に浸っている時期)

少なくともフロイトのいう口唇期(1歳~1.5歳)には、常に母親と同じ空間にいて、寝ていても母の気配が感じられるようにする。

こうしたことがないと、自己愛が傷つき、後にこの人は、人を操ろうとする。

そして、人を操るためには権力(ステータス・肩書き)が必要となり、権力志向へ向かうのである。

ナルシシストの最大の病理は、他者を物化・道具化していること。

人を自分を褒めてくれる道具にし、必要がなくなれば人をゴミのようにポイッと捨ててしまう。

分析家や、健康な自己愛を持った人は、人間は人間であると規定する。

人間は、自分や他者を人間であると言いきれないところに、また病理がある。

分析を受けることは、人間でないものにされた人が、人間になること。

人間として唯一規定される場が分析場面である。

(インテグレーター養成講座、自己愛論Ⅲ《自己愛パーソナリティー》の一部より)


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2008年02月01日

インテグレーター養成講座(自己愛論Ⅱ)によせられたコメントに答えて その2

私のブログ、「インテグレーター養成講座(自己愛論Ⅱ 自己愛の構造)より 」に以下のようなコメントがよせられました。

<コメント>
3歳の子供の欲求に深い意味はないように思いますが、その要求をそのまま受け入れるのでなく、親の考えも伝え、話し合いによりどうするかの結論を出してもいいように思うのですが如何でしょうか?
最低半分の要求を受け入れた事になるし、妥協、相手の言い分の受容などの形成になると思うのですが、、、。
子供の意思をそのまま無条件で受け入れるのは、我侭な性格を作ってしまう事にならないでしょうか。

おそらく多く方が持たれる疑問、意見と思われますので、ここブログで答えたいと思います。

<解答>
まず、3歳の子どもの欲求には深い意味があます。

三つ子の魂百までと言うように、大変大事な時期です。

0歳から4歳までに人間の基礎となる精神ができあがります。(発達論を学べばわかりますが、ここではそこまで詳しく解説仕切れませんので悪しからず)

一例をあげるなら、分離・固体化の過程において、生後わずか6ヶ月で、自分と他者は違うと認識する基礎がつくられるのです。

それは適切に世話した場合の話です。

そうでない場合は、分離・固体化がなされず、自分の思っていることは他人も同じように思っているはずと思いこんでしまいます。

こういう人は大人でも結構います。

親の考えも伝え、話し合いにより結論を出すには、子どもの年齢が高く、かつ精神的発達がなされていないと、結局親の意見を通すことにもなりかねないと思います。

半分の要求を受け入れるのではなく、ALL OK つまり、すべて受け入れることが大事です。

妥協、相手の言い分の受容などができるようになるために、まず制限を与えるのではなく、全てを受け入れてから。

制限や我慢は親や人から教えられるものではなく、抑制する精神を自分で学びとることです。

与え続けられた人間は、「こんな私にでもここまでしてもらった、申し訳ない」という思いが出てきます。

この「申し訳ない、悪いな」と思う心が抑制する精神をつくります。

そうすると、どんどん要求が減ってきます。

親は財産をはたいてでも与え続け、子どもの要求に応え続ける、それくらいの気概でやらなければ、子どもが自ら我慢を学習することはでません。

これは、臨床上病んだ多くの子どもたちと、その子どもたちに対応した親御さんが実証してくれました。

『ALL OK 』による養育法は、全ての精神病理、異常行動等を正す養育法です。

しかし、これをいうと多くの方が、「そんな我がままな子にしていいんですか」と言われる。

私から言えば、子どもが自分の言いたいこと、要求を言えないことが問題で、ALL OK によって、積極的に世間でいう我がままにするのです。

これが、精神的に死んでた子どもを生き返らせることになります。

ですから「だまされたと思って、ALL OK を3年やってください」と言います。

これをやらないお母さん方からは散々文句を言われますが、実践してもらった方から文句を言われたことはありません。

私も正直娘たちに、ALL OK やりたくなかったです、というかできないと思いました。

自分自身が、主体性を抹殺され、欲望を我慢することがいいことと思い込まされ、我がままをいう自分を抑圧してきたために、欲望を出すことが怖かったのです。

適切な水路を持ち、そのつど欲望を放出していたならいいのですが、あまりに塞き止めてきたために、その欲望に自分が飲み込まれて、止まらなくなくなるのでないかと、どこかでわかっていたのでしょう。




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2008年01月30日

インテグレーター養成講座(自己愛論Ⅱ 自己愛の構造)より その1

第六回インテグレーター養成講座の内容より、質問のあった箇所を一部抜粋し解説します。

<講座テキストより>
自己意識によって自己像をとらえられない段階においては、自己像を他者の眼の中に発見する以外にはない。
その起源は母のまなざしの中にある。

<解説>
母は自分の子どもに、こういう子になって欲しいと、自分の理想を子どもに投影する。

子どもは母のまなざしの中に映った自分、母が思い描いたイメージを自己像として受け取る。

本来自己像とは、自分でつくらなければいけない。

こういう人間になりたいと、子ども自身の象徴界(言語)でつくった自己像であるべきである。

例えば、3歳は3歳なりに言葉を使い、これが欲しいという自己像を持っている。

ところが子どもが、「あれも、これも、それも欲しい」というと、母は「どれか一つにしなさい」と言う。

すると、本当は3個欲しいのに、1個を選ぶ自分が母親が自分に求めた自己像となる。

そして、それを自分の自己像にしなければならなくなる。

そうしなければ自分を受け入れたもらえないから。

こうして、3個を選ぶ自分は排除さる。

これは子どもにとっては不本意。

「3個欲しい」といって、母が「いいよ」と言ったときには、自分の欲求と一致し、「私は3個欲していいんだ」となる。

この一致の喜びが子どもの自己愛を形成し、その再現を求め、一致は繰り返されて自我が形成されていく。

子どもに健康な自己愛をつくるのも、親の子どもに対する 『 ALL OK 』である。


子育て中のお母さんにいうのは、子どもへの対応法 『 ALL OK 』

頭でわかっていても、それがなかなか実行できないと言われる。

それはよくわかる。私自身がそうだったので。

それでも、分析により自分を知っていくうち、できていく。

もちろんそれには個人差があり、私などは大変な時間がかかったが。

理論的にかみ砕いて説明してもらうことも、私はとても良かったと思う。

今またこうしてクライアントに解説しながら、あらためて 『 ALL OK 』の意味をかみしめている。


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