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分析家の独り言(コラム) アーカイブ

2008年11月18日

分析家の独り言 164 (幸せとは何か)

自分の生きにくさは何か?それはどこから来るのか?を見ることから逃げなかったクライアントが言う。

人の精神は、相反するものを抱えてたり、何かわからないが恐れるものを持っている。

恋愛をして、結婚し、妊娠・出産を経て子どもをもうけた。

働きながら子育てをして、子どもの問題に取り込み『オールOK』で対応し、子どもは自立し孫もできた。

こうして人として、一通りのことを経験してきて、自分の人生を振り返った。

自分はいつも、何かわからないが劣っていて、大きな欠損を抱えていたために、何をやっても人と比べては、自分は劣っていると思ってきた。

その自分に欠けているものを人に覚られたくなくて、人並み以上に頑張り続けた。

その途中で、自分がしたいことをするために、義務のようにいろんなことを片付けてきた。

子育てもしかり、仕事をするために早く子どもの世話をして終わらせる、そういう子育てだった。

そうして自分はやりましたと思っていたが、それはこなしただけ。

味わうということがなく、バタバタ、アタフタした人生で、なんと抜けていることの多いこと。

こんなことでは途中で切れると思っていたが、今1枚の大きなベールが取れ、人も自分も見えるようになった。

すると、動揺することがなくなり、自分のなかに安定感がある。

「人に自分の欠損を知られたくない」がなくなり、落ち着いた。

それまでは、自分以外の人がすごく優秀であったり、えらく見えた。

自分で自分への評価が正常になり、劣っているところも、頑張ったところ・良いところも両方がわかる。

今ここに立てたことがうれしい。

すると、以前に思っていた幸せと、今思う幸せが全然ちがった。

以前は、物金による安定と安心感が保証されていることが幸せだった。

そのために家も買ったが、幸せにはなれなかった。

ねばならないの世界に生きてきて、いつも何かに追われ、結果子どももまともに育てられない自分って何?と思い、オールOKを知り、実践した。

そして、自立はしたが二人の子どもの成長をこの先も楽しみに見ていけることを幸せと思う。

「他人から見た自分がどうであるかではなく、大事なのは自分がいつも心地よくいられること」とクライアントは言う。

「よく頑張られました。ようやく自分の中心に自分が入りましたね」と私は言った。


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2008年11月14日

分析家の独り言 163 (こんなメールが届きました)

私のMIXのメッセージに以下のようなものが届きました。

送信者の名前は、マネージャー@芸能とあります。

某有名男性タレントのマネージャーです。
突然のメールですみませんが‥本人の希望であなたとどうしてもお話したいと‥。
もし宜しければ少しお時間いただけませんか?
最近まではテレビや取材、雑誌の特集などで忙しく、私から見ても精神的に疲れてるようで・・
お恥ずかしい話、私では彼をケアできなくて…ここまで心を閉ざすのは初めてなんです。

急なお願いになりますが、彼を助けてあげてはくれませんか?
実は本人と一緒にmixiで彼の求める方を探していたんです。
あなたに何か感じる所があったらしく、メールしておいてくれ、と言われました。
ニックネームにも何か惹かれるものがあったようです。

http://m.ajt.me

ここに登録をしてもらってもいいですか?本人からメールをさせます。

私はマネージャーとしてどうにか彼を支えたいと思い、
事務所に内緒で彼の要望に答えてあげようと思ったのですが、
結局は事務所にばれてしまいました。

事務所には「そんなことをするな!」と言われており、本人はmixiに登録すらすることが出来ません。
また、事務所の対策として私の元々のmixiは退会させられてしまいました。

今このメッセはもう一度登録をしたものから送っていますが、事務所にばれないように友達とマイミクになることすら出来ない状態です。
そのため、メッセでお返事頂いても私からお返事は返せませんし本人の名前を記録に残るメッセで送ることもかないません。
このメッセを見て頂いたときにはこのmixiも事務所にばれて退会させられているかもしれません。

もちろん、これは私と彼から一方的なあなたへのお願いになりますので、
色々なご事情で彼と連絡を取って頂くことがご無理であれば仕方ありません。

このままメッセージを削除して頂ければこちらから二度とメッセージを送ることもありませんし、連絡等一切行いません。

もし可能でしたら彼を助けてください。

http://m.ajt.me

突然の長文で失礼致しました。

よろしくお願い致します。

というものです。
試しにURLにアクセスしてみると、予想通り「ご近所サーチ」という出会い系サイトの登録画面でした。

あの手この手で、誘ってくるんですね。

皆さんご注意ください。

有名芸能人とそのマネジャーが、助けを求めてきていると思えば、登録してくるとでも思ったのでしょうか。

自己愛をくすぐるやり方ではあるが、文面があまりにも胡散臭い。

振り込め詐欺等にもご注意を!

2008年11月10日

分析家の独り言 162 (症例:トイレ その2)

緊張するとトイレに行きたくなる症状に、30年悩まされたクライアント。
(分析家の独り言 155 症例:トイレ)

その後、このクライアントは「奇跡おきた」と言う。
(以下クライアントの語りを本人の了解を得て掲載)

歯が痛み、近所の歯医者に行ったが思わしくなく、彼女の生家の近くにある、子ども時代よく通った歯医者に行ってみた。

当時の先生はもう亡くなっておられたが、その息子さんがあとを継いでいた。

亡くなられた先生にそっくりの息子さん先生、容姿はもちろん話し方など物腰がそっくりだった。

待合室には、子どもの頃見覚えのある木彫りの熊の置きものがあり、なつかしく思った。

そんな中でも歯医者で自分の番を待つ間は、彼女には緊張する時間である。

歯を削るあの音はあまりいい気持ちはしない、そのときの痛みが連想される。

自分の名前が呼ばれ、診察室に入る、いすに座り、赤ちゃんのよだれかけのようなものをかけられ、背もたれが倒される。

もう身動きできない、と思ったとたん、いつもなら「トイレにいきたい」が始まる。

しかしこのときは、「まだ大丈夫、行きたくなったら、トイレに行きたいと言えばいい」と、自分に言いながらいた。

説明を受けながら、治療が始まり、結局トイレに行かずに歯医者を出た。

時計を見たら、歯医者に入ってから、出て来るまで40分を要したが、一度もトイレには行かずにすんだ。

このことが、彼女にとっては“奇跡”だったという。

その後も2~3回歯医者に行ったが、同じようにトイレには行かずにすんだ。

彼女にとってもう一つ緊張し、必ず「トイレ、トイレ」が始まる場所がある。

それは美容院。

そこで彼女は実験してみたくなったと言う。

歯医者に行って家に帰り、お茶を飲みゆっくりしながら考えた。

歯医者に行くだけで一仕事だが、歯医者が大丈夫なら、美容院はどうだろう。

「よし、これから美容院に行って実験してみよう」

美容院に行くと、結構込んでいた。

普通なら「また来ます」と帰ってくるところだが、この日は思い切って待つことにした。

タオルを首に巻かれ、その上から大きなエプロンをかけられ動けなくなる→緊張する→トイレに行きたくなる。

シャンプーのときも、髪を乾かすときも、同様で「早く終わって」と思う。

しかし、この日の美容院も「トイレに行きたい」にはならなかった。

30年間悩んだ緊張→トイレから解放されるのではないかと思った。

どうやら密閉され、身動きがとれない、抜け出せない、それを辛抱し我慢しなければなければならない場面になると、緊張しトイレに行きたいが始まることがわかった。

その根本には、母から娘である彼女に渡されたメッセージ「我慢するこはいいこと」がある。

その我慢し、辛抱することを解放できる場所がトイレだった。

彼女いわく、親なし、財産ない、学歴なしの自分は、人より何倍も努力し、頑張らなければならない。

その上に、「人には嫌われないように、真面目に生きろ」と言われ、息苦しい=生き苦しい。

そんなに頑張らなくても、ありのままの自分でいいじゃないか、自分は自分を生きていいと、思いだしたころから変ってきた。

生き辛さを感じ人が嫌い、人を避けて生きてきた彼女が、自分を縛っているものが何なのか見つめると言った。

それが今年4月頃だっただろうか。

ほぼ週一で通い、あれから8ヶ月足らずがたち、自分を縛り、生き辛くさせてきた言葉を見つけた。

まるで札のように母の言葉、口癖が出てくるが、それらはもういらない。

その札を、彼女が好きな海があり、そこから母の眠る町へ流して返す(彼女のイメージ)という。

これから彼女は、母の言葉に縛られて生きるのではなく、自分の理想や、自己規定した言葉で生きていく。

これでもう緊張→トイレの症状は消える。

彼女は今、開放感を味わい、心が自由でうれしいという。

「よかったですね」言いながら、私も自分のことを振り返りつつ、ともに喜べうれしい。

「悩み続けた30年はなんだったんだろう」という彼女。

分析によりからまった糸をほどけばそんなものである。

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2008年11月07日

分析家の独り言 161 (小室哲哉容疑者詐欺事件)

小室哲哉容疑者(49)の楽曲著作権をめぐる詐欺事件には驚いた方々も多かったことだろう。

globeのヒット曲「DEPARTURES」は、私も好きな曲の一つだった。

一時期は、納税者番付上位に入っていたが、詐欺事件に至るとは・・・

テレビのニュースやネットの記事で耳にしたところによると、お金の使い方が尋常ではなかったようだ。

海外にいくつか別荘を持ち、高級外車を何台も所有し羽振りのよかった頃は、海外に出かけるときは、ファーストクラスを全ておさえ、当時付合っていた華原朋美さんと、二人で移動していたとか。

しかしその後、事業の失敗などにより多額の借金を抱えることになり、結果今回の詐欺事件に至った。

一度大風呂敷を広げ贅沢をすると、それを身に合った生活に戻すことが出来なかったのか。

ここに自己愛の欠損が見える。

(病的)自己愛者とは、現実の自己を見ず、自分が好きなように描いた自己イメージにとらわれ、そこだけを見ている。

だから現実の自分は、借金を抱え四苦八苦しているのに、彼の中の自己イメージは、相変わらず出す曲出す曲がヒットし、お金も名声も欲しいままに出来ていたのだろう。

現実を見れば、生活を縮小し、堅実に生きていくことができただろうに、彼の肥大したプライドがそれを許さなかったのだろう。

最近でも、都内の高級マンション最上階、約300平方メートルの部屋に住み、100インチ型テレビを居間に4台置く派手な生活は継続されており、玄関に高級ブランドの靴やかばんがあふれていたという。

詐欺の仕方も、すぐばれてしまうような単純なもの。

それでごまかしきれいると思ったのだろうか。

場当たり的で、幼稚性(自我の未成熟)を感じる。


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2008年11月04日

今週のメッセージ(平成20年10月分)

オールOK!子育て法に掲載した、「今週のメッセージ」10月の過去ログです。

信頼を築く(平成20年10月28日)

子どもの意識と親の意識は必ずしも一致しない。
むしろずれていたり、全く逆の場合もある。
オールOKしていくと、子どもは本当のことを言い出す。
例えば、親が自分のことを放っておいたとか・・・と。
親の側はそういうつもりはなくても、子どもがそう感じたなら、それが全てである。
言い訳しないで、子どもの要求に応え、信頼を築いていくことである。

主体的に生きる(平成20年10月22日)

いい子を演じて生きていく。
親に気に入られるように、人から嫌われないようにと。
ナルシシストは、褒められることを目的に行動する。
そうすると、本当に自分のしたいことと段々ずれていき、最後には自分の欲望がわからなくなる。
生きている実感を持ちにくい。
自分で物事の判断ができない。
分析は、人から見た自分ではなく、私はどう思うのか、何がしたいのかと、私に主体を置いて生きられるようにしていく。

子どもは母と共にと願う(平成20年10月14日)

小さい頃、母親と共に何かをすることが大事である。
一緒に遊ぶでも、日常の些細なことでも。
母親と共生、共有、共感を経験してきたことが、後に子どもが大きくなったとき楽しい思い出として再生される。
それを一人でしなさいと言われたり、放っておかれたなら、何かをするとき面倒くさくなる。
一人でやってつまらなかったことが思い出されるため。
どんな些細なことでも、子どもは母親と共に楽しみたい、喜びたい。
面倒くさがらずに、付合ってあげてください。

まなざしと声とスキンシップ(平成20年10月6日)

あるクライアント、子どもの頃メガネをかけたくて、わざと暗いところで本を読んだという。
分析を受け、母を語るうちに、母の怒った顔、不機嫌な顔など、嫌な母を見たくなかったのだろうと思ったという。
分析でいつも言う。
子どもに関心を向けてください。
具体的には、あたたかいまなざしと、声をかけ、スキンシップすることであると。
これが子どもの心を安定させ、健全な心を育てていくことになる。
監視の目、厳しく、しかる声は街のどこそこででも聞かれる。
「お母さん」と、まとわりいてきたら、しっかり抱きしめてあげてください。


天海有輝(宣照真理)


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2008年11月01日

分析家の独り言 160 (母から娘へ世代連鎖されるもの)

仕事に出かける準備をしているところに、両親が尋ねてきた。

私が福岡・鹿児島出張中に、上の娘が両親の所へ行って、ご飯を食べさせてもらっていた。

そのときのことらしい、母が「H子ちゃんは、おかずばっかり食べて、ご飯(お米)をあまり食べないな」

「その食べ方は間違ってるから、お米を持ってきた」と言った。

私は、また始まったと思った。

私が子どものときこれを聞いたら、「ご飯(お米)を食べないことは間違っていること、自分はおかしいんだ」と思っただろう。

まだ、この人は娘や孫に、母やおばあちゃんではなく、先生をする。

母の価値感、考えに合わないことは、すぐ教育しようとする。

母は昔小学校の先生だった。

もちろん私はご飯を炊いてある。

その日によって、ご飯(お米)を食べたり、食べなかったりするから、私は毎回「ご飯(お米)よそおうか」と聞く。

娘はお米がないから家でご飯(お米)を食べないのではない。

娘はおかずが好きだから、おかずを食べて、ご飯(お米)は特に食べなくてもいいときがあるのだ。

その食べ方は間違っている? 私はあきれて何も言うことがなかった。

きっと小さい頃から、私はこうして母の想いや考えに合わないことをすると、駄目だしされ、調教されてきたのだろう。

小さい子どもにとって親は絶対的存在であるため、そのことの是非に関係なく言うことをきくしかない。

今なら母の言うこと、考え方の偏りがすぐわかる。

しかし、長い間それに気付かず、そういうものなのだと思い込んできたことがいっぱいあった。

それを分析を通して検証し、自分を持った今、自分の偏りや生きにくさがどこにあったがわかる。

子どもには、とり入れるとき良いもの、悪いものの取捨選択はない。

その判断能力もない。

最初はせいぜい、とり入れたもの(言われたこと)を良いものと悪いものに振り分けることくらいしかできない。

母の偏りが、子どもに歪みを伝える。

そうして歪んだ私は、無意識にまた自分の娘たちにその歪みを伝えていた。

冷静にこのことを見つめ理解し、歪みを歪みとして認識できるようになってよかったと思う。

同時に、気付かずにいた日々が恐いと思う。

オールOKを学び、分析を受けているクライアントたちは言う、「下手なことを、おいそれと子どもに言えませんね」と。

私は「そうです、言われた子どもがどう思うかよく考えてから言ってください」

「ほとんどのお母さんは、思いつくまま、自分の感情のままに子どもに言葉をぶつけるから、子どもがしんどくなることがたくさんあるんです」と言う。

母もまたその母にいろいろ言われ、生き辛さを抱えて生きてきたのではないか。

しかしもう80近くなった母は、それさえも自覚することはないのだろう。


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2008年10月27日

分析家の独り言 159 ( 鹿児島にて)

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福岡出張の途中、10月25日(土)、26日(日)の二日間、鹿児島蒲生町へ行った。

蒲生八幡神社にある、樹齢1500年という大楠の木を見てきた。

その大きさ、雄大さはさすが1500年の歴史を感じる。

この木は、1500年にわたり、この世を見てきたのか、。

どんな思いで見てきたのだろう・・・と思う。

話は変わるが、今回鹿児島蒲生町に行ったのは、バスケットボールのゴールデンシニア大会出場のためでもあった。

バスケを楽しむ今年50歳になる女性から出場資格があり、日本全国から32チームが参加した。

この大会は生涯スポーツとしてバスケットボールを愛好する女性に呼びかけ、交流の場を提供し、楽しむバスケットボールを通じてその魅力を次世代に継承することと健康意識の高揚を目的として開催されている。(ウィキペディアより)

25日の夜には、霧島ロイヤルホテルで懇親会が開かれた。

飲めや歌えの宴会、女性のパワーはすごい!と思った。

私は今年初参加であるが、長くなると全国に知り合いができ、一年に一度会えることが楽しみでもあるようだ。

ゴールデンシニアデビュー戦となった今大会は、一勝一敗という成績であった。

頑張れた部分と足りなかった部分(これからの課題)の両方があり、まだまだこれから練習してうまくなっていきたい。

人生の楽しみ方はいろいろある。

私もこの年になってまたバスケが楽しめること、勝った負けたとワイワイいえる仲間がいることが私の財産の一つだと思う。

やはり、人は人の中にいてこそ人間。

その対人関係に悩む人々がまた多いことを、この分析を通して感じる。

来年は北海道で、この大会が開催される。

また仲間と共に参加し、汗を流し、交流を深めたいと思う。

2008年10月21日

分析家の独り言 158 (遅れてきて思春期)

ふと思いだしたことがある。

もう何年も前のこと。

30歳代の既婚の女性が暴れるということで、初回夫婦そろって分析に来られた。

物を投げたり、包丁を振り回したり、マンションの窓から飛び降りようとしたりする。

それを夫一人では止めきれず、警察を呼ぶこともある。

夫の些細な言葉にひっかかり、彼女(30歳代女性)はそれを自分でも制御できない。

ある夜、「また妻が暴れているので、家に来て欲しい」と電話が入った。

多分もう夜11時を過ぎていたと思う。

とりあえずかけつけた。

騒ぎは一応おさまってはいたが、彼女の両親が来ていた。

彼女は母親に向かって、文句を言う。

しかし母親は何をいっているのという態度でとりあわない。

いきなりコップのお茶を母親にかけ、飛びかかろうとする彼女を私が抱き止めた。

思えば、私の手を振りほどこうとすればできただろうに、彼女はそうはせず「助けて!」「助けて!」と泣いた。

それでも母親は反応しない。

私は思わず「あんたはそれでも母親か」「娘が助けてといっているのに何もしないのか」と叫んだ。

それでも母親の冷ややかな目。

夜中2時頃だったろうか、クライアントの家を彼女の両親と一緒に出た。

玄関まで歩く途中、娘を受け入れてやって欲しいと私は言ったが、母親は「今のあの子を抱きとめることはできない」と言った。

母親の求める、いい子からは外れた娘を認められないということだ。

現象から言えば、これは家庭内暴力。

家庭内暴力は、思春期の子どもがすること。

それが結婚もした30歳代に出てくるとは =“遅れてきた思春期”である。

本来出すべき思春期に出せなくて、持ち越した分厄介である。

他の例では、同じように30歳代の男性だが、それまで社会適応し働いていたが、突然仕事をやめて家にひきこもり、暴れだしたというのもある。

親は手に負えず、どこか病院なり施設へでも入れたいと言った。

分析はそれをすすめない。

彼の行動の意味を知り、親のもとで世話をし、30歳であっても育てなおしをすることをすすめるが、なかなか理解してはもらえないが現状である。

いくつになっても、心に整理のつかないこと(愛を憎しみ)は残り、その人の人生に様々なかたちで影を落とす。


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2008年10月19日

分析家の独り言 157 (育てなおし)

子どもにオールOKをしてもらうと、これまで子どもに欠けることが多いほど、子どもからいろんな要求が出てくる。

家族のいつものサイクルとは違う時間にご飯を作ってと言われたりする。

それが朝早くであったり、夜中であったりすることもある。

突然買い物につれて行けとか、○○を買って来てといわれることもある。

どこどこへ送っていって、迎えに来てということもある。

そうして親を振り回す。

それにオールOKで応えてくださいという。

対応する親御さんは、もちろん大変である。

と同時に不安になる。

本当にこのまま子どもの要求に応えていいのだろうか、わがままになって、どこまでも要求されるのではないか・・・と。

子どもが親を振り回すということは、親を信頼し始めた証である。

信頼のない人に、ものを頼んだり、甘えたりはしない。

オールOKすることで、子どもとの信頼をもう一度築きなおす。

これまで育ててくる間には、親が支配的で、子どもに「ああしなさい」「こうしなさい」と命令指示してきた。

そのことによって、子どもの主体性を奪ってきた。

親は子どものためと思って言ってきたこともあるだろうが、それは子どもには押し付けでしかない。

真に子どものためというならば、命令指示ではなく、怒るのでもなく、子どもの意向をまず聞いてやることだろう。

どうしたいのか、何が好きで、何が嫌なのか等を。

そういうコミュニケーションをとらず、ただ良いの悪いのといわれても、子どもは納得いかない。

それでも子どもはけなげで、親の顔色をみて、親の言うことを聞こうとする。

子どもは“よるべなき”存在とフロイトはいう。

この“よるべなき”存在である子どもは、親の保護・庇護を必要とする、それなくしては生きられない。

だから、自分の想いを伝え、言うことをきいてもらうことは良いことであり、当然の権利である。

ところが「わがままを言ってはいけない」「迷惑をかけてはいけない」と、親に気を使う。

子どもが人を思いやり、気を使うのは、まず親から思いやりをかけられ、そのなかにドップリ浸かってからのこと。

そうして与えられた子は、人に与えられる人になる。

わがままにしているのではなく、受け入れることで、自信や自己肯定感、健康な自己愛を育てる、これを育てなおしという。

これにより様々な問題を呈した子どもが、息を吹き返し、いきいきと自分を生き出す。

その最初のサインの一つが、親を振り回すという形で表れる。


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2008年10月17日

分析家の独り言 156 (言えることは癒えること)

人は皆、自分の言いたいことが言えないで病んでいく。

子ども時代、親に「あれがしたい」「これが欲しい」「それは嫌だ」・・・と、本当の気持ち、欲望を語れたらいいのだが。

いつも親から、「ダメ」という言葉が返ってくるため、子どもは「どうせ言ってもだめだ」と、あきらめていく。

親や、家族の争いをみてきたために、仲裁役や、その中で自分がどう立ち回るのがいいのかを考えて動く、すると当然自分の言いたいことは言えなくなる。

親は無意識に、自分の言うことを聞かなければ見捨てるぞ、というメッセージを発する。

子どもは敏感にそれを汲み取り、自分の言いたいことを抑えて親に嫌われないような言動をとる。

そういった人との付合い方を子どもの頃から身につけてしまうと、その後の人間関係がギクシャクする。

人の顔色を見て、人に嫌われないように、人に合わせたりする。

しかしそれは疲れる。

人付き合いを出来るだけ避けたくなる。

あるクライアントは、人付き合いのなかで本心が言えないことがある、特にそういう人と接しなければいけないとき、そこから逃げたくなるという。

人に合わすことはしんどいので、人を避けて、できるだけ人とつきあわずに生きて来た。

そのために、人とつながる快感、心地よさを知らずに来たという。

それが今、人ととつながることの楽しさを知り、人への興味が出て来たともいう。

子ども時代にまず親との間で、言いたいことが言えることが大事である。

それができなかった人が、分析場面で分析者に語り続ける。

時に涙を流しながら。

分析家はそれを否定せず、受容と共感を持って聴き続ける。

そこに信頼が芽生え、何でも言える関係ができる。

そうして癒されつつ、分析者の言葉、解釈が少しずつクライアントの中に入っていく。

そしてクライアントは変容していく。

それにはまずは、何でも言えるようになること。

こんなことを言ったら変に思われないか、非難されないか、怒られないかと心配せずに。


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2008年10月14日

分析家の独り言 155 (症例:トイレ)

あるクライアント、上の子を出産した頃から緊張するとトイレに行きたくなる、という症状が始まった。

軽いものは一般の人にもあるが、彼女の場合は、出かける、乗り物に乗るとなると、症状がきつくなる。

例えば、家からバス停までの2分の間にも「トイレに行きたい」が始まり、家に戻ることも度々あるという。

当然、電車で遠出は出来ない。

それでも出かけなければならないとなると、まず特急電車には乗らず、各駅停車の普通に乗り、トイレに行きたくなったらいつでも降りられるようにする。

車で出かけるときは、出先のどこにトイレがあるかをあらかじめ調べておかなければならない。

このため普段行動するのは、自転車で行ける範囲に限られていた。

彼女自身、なぜこんなに「トイレ」「トイレ」ということになるのかわからなかったが、この症状に30年間苦しんできたという。

それが最近気付いたことがあると。

前回、京都の彼女の家から滋賀県大津市の当研究所に来る間、いつもなら途中1~2回は必ず駅のトイレに行くのだが、1度もトイレに行かずに来られたという。

自分でも「あれっ」と思った、そういえばあんなにトイレが気になって、どこへ出かけるにもそのことが頭から離れなかったのに。

まだよくはわからないが、これでどうやら30年間悩んだトイレの症状から解放されそうな気がすると。

クライアントのプライバシーがあるため、細部にまでは書けないが、そうなるにはクライアントの養育史上の様々な背景がある。

彼女自ら言う、自分の中に「(いつも)真面目に、しっかり働かなければいけない」

「人の何倍も頑張らなければ、自分は人並みではない」という想い(メッセージ)があり、それに追いたてられていた。

いつも頑張らなければならない、その彼女が唯一、一人でリラックスできる場所がトイレだった。

彼女いわく、「だってトイレに入っている人に、今すぐ仕事しろとは言わないでしょ」と。

なるほど、人は何を抱えて、どういう意味を形成しているかわからない。

しかし、それを説いていくと、こうして症状は消えていく。

しっかりしなければ、人並み以上に頑張らなければと、彼女は自分の内なる声に追い詰められ、それから逃げられる場所がトイレだったとは。

分析に触れ、自分を振り返り、過去を整理するうちここにたどり着き、どうやらこれで30年間に及ぶ症状とさよならできるようだと微笑む彼女と、それを共に喜べる分析家という仕事はやはりいいものだなと思う。

そう思う私は、長い間共感という世界とは程遠く生きてきた人間であった。

(上記の文章は、クライアント本人の承諾を得て掲載しています)


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2008年10月12日

分析家の独り言 154 (信頼の難しさ)

9月のある夜、携帯電話がなった。

若い女性の声、携帯でホームページを見たという。

「分析がどういうものかわからないが、受けてみたい」

「勤めがあるため夜がいい」と言うので、「明日の夜どうか」と言うと、

「今からこの電話で分析を受けられないか」と言われた。

もう夜9時はしっかり過ぎていた。

突然の電話でこんな夜遅くに、今から分析とはどうしたものかと思ったが、それほど急を要することなのかと思い、OKした。

直接の悩みとは外れるが、親子関係に触れ出したところから、彼女の口調が変わり出した。

クライアントがそうであるように、そこに大きな問題を抱えていることがわかる。

分析の規定である45分間話をし、電話での分析ではなく、直接会える形で分析をしたいので、関東方面で分析家を紹介して欲しいというので、私は関東方面の分析家仲間の名前・連絡先を教えた。

電話での分析は私の指定口座に振込みをしてもらうことになっている。

彼女のほうから振込先を聞いてきたので、新生銀行の口座を教え、振り込むことを確認したうえ電話を切った。

ところがいっこうに振込みがなかったので、彼女の携帯電話に振込み依頼の電話を入れた。

すると、「あれが分析とは思えない」、「あなたの無言の時間が多く、実質45分話していないから、1万円は払えない」」

「振込みするのを忘れていた」、「それくらい嫌な思いをして早く忘れたかったから、振込みするのを忘れたのだろう」

「途中から、あなたの声を聞くのも嫌になって、早く電話を切りたかった」などと言い出した。

「それなら、そのときにクレームをつけるべきでしょう」

「しかも、あの時点で、振込先を聞き、振り込むと言いましたよね」

「それを後になって、ああだこうだと文句をつけて払わないのは契約違反でしょう」と私は言った。

私もこの仕事をして10年近くになり、これまで電話での分析もいくつかしてきたが、振込みを忘れたとか、こんなことを言われたのははじめてである。

私は相手がどんな人かはわからない、相手も私がどんな分析家かはよくわからない。

それでも何らかの信頼をもって、分析をする契約を結ぶ。

特に電話の場合は、どこの誰かもわからないまま、こちらとしては分析料を支払ってもらえるものとして分析依頼を受ける。

今までのケースで、すんなり支払われなかったことはなかっただけに、正直私なりにショックだった。

私は最後に、「おせっかいだろうが、人間関係の根本は親子関係にあるから、お母さんとの関係を見直された方がいいと思う」と言って電話を切った。

ほとんどの人の悩み、苦しみは突き詰めれば、親との関係にあることを思うと、親の役割、その存在の大きさを今更ながら痛感する。


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2008年10月08日

分析家の独り言 153 (ラカン精神科学研究所HP1万件アクセスありがとうございます)

おかげ様で、ラカン精神科学研究所のホームページへのアクセスが、昨夜1万件を超えました。

昨年2007年4月にホームページを作り出してから、1年半の間に、多くの方に見ていただきありがとうございます。

その後作った、『天海有輝のセラピー日記(ブログ)』や、『オールOK!子育て法』を見て、コメントやメールをいただきます。

中には、「分析家の独り言を全部読んで来ました」とか、「印刷して全部読みました」と言われる方もおられ、私のほうがビックリし恐縮する次第です。

また、ホームページ等を見たと連絡をいただき、分析や理論を受けられ方が増えております。

私は私なりに、分析というものを皆さんに知っていただいきたいと思い、、『天海有輝のセラピー日記(ブログ)』等を書いてきました。

分析は万能ではありません。

全ての人に受け入れられると限ったものでもありません。

しかし、分析をいうものがあり、それがどういうものであるかより多くの方に知っていただきたい。

もし分析に出会って自分の人生を好転しようと取り組む人がいるなら、サポートしていきたいと思っています。

質問や激励をいただきそれが励みになります。

これからも日々感じたことなど発信してきますので、おつきあいください m( _ _ )m

ラカン精神科学研究所  宣照 真理(天海 有輝)

今週のメッセージ(平成20年09月分)

オールOK!子育て法に掲載した、「今週のメッセージ」の過去ログです。

母の愛は強い(平成20年9月29日)

子どもさんに何らかの問題があり、お母さんが分析にこられるケースが多々ある。
それは、子どもの不登校であったり、ひきこもり、非行など。
当事者である子どもが直接分析に来てくれれば、それにこしたことはないが、なかなか来ない。
お母さんが分析に来て、子どもへの対応法をアドバイスする。
理論的に説明して、納得していただき、家で子どもに実践してもらう。
最初は迷いながらでも、失敗しながらでもオールOKをやり続けると、子どもは必ず良い方向に変わっていく。
母親が子を思う気持ち=愛は強いのである。

子どものサイン(平成20年9月23日)

子どもさんの様々な問題を抱え、分析に来られる。
ひきこもりであったり、不登校、非行など・・・
まずはその子どもさんへの対応法をお話しする。
お母さんは子どもにオールOKするが、周りからいろいろいわれると迷い出す。
何事も定着するまでには時間がかかる。
やれば子どもの変化が見える。
まずは親を振り回し出したり、要求がでだす。
それは、親を信用し出した証拠。
とてもいいサインである。
これまでにも、子どもは様々なサインを出してきていたはずである。

心のマタニティー講座開催(平成20年9月16日)

心のマタニティー講座を開催します。
産婦人科での出産準備の胎教を整える講座とは異なり、
妊婦の精神面・・「親になる覚悟」「親とは何か?」「特に妊娠中に気をつけて欲しいこと」「胎児の心身の成長」
等について理論的に解説します。
「子育て」は胎児から始まっており、この時期の母体からの影響は即、胎児に伝わります。
命が宿ったその日から、子どもへの配慮と関心を向けなければなりません。
これが、最初の子どもへの「オールOK」=「母性」なのです。
実は「オールOK」とは、母性の異名なのです。
続きは、講座にて・・奮っての参加をお待ちしています。

無知であることの悲劇(平成20年9月8日)

今朝、テレビのニュースで報道された事件。
岡山で、父親が部屋に無断で入ったことに怒った息子が包丁を持って暴れた。
父親はその包丁を取り上げようとしてもみ合いになり、息子を刺し殺した。
「オールOK!子育て法」のよくある質問Q4や、セラーピー日記 分析家の独り言 106 (2005,10 ひきこもりの青年父親を撲殺) でも書いたが、子どもの部屋に勝手に入ってはいけない。
なぜ同じような事件が起こるのか。
なぜ学習しないのか。
無知であることの悲劇である。

発達論:真理を知る(平成20年9月3日)

当研究所のホームページやブログ、オールOK!子育て法のページを見て問い合わせ、分析依頼の連絡をいただく。
その中で聞くのは、「精神科、心療内科へ行っても治りません」
中には、「公的機関のカウンセリングに行きましたが、よけいに子どもが荒れました」というものもある。
その対応法はどこから、どういう根拠の元に言われているのか、おそらくなんの理論的裏付けもないだろう。
せめて発達論は理解していただきたいと切に願う。

天海有輝(宣照真理)

2008年10月07日

分析家の独り言 152 (京都子育て相談室から:子育ては自分育て)

昨日、京都での『子育て相談室』での話し。

オールOKで子どもに対応するお母さん方からよく聞かれることである。

子どもが、「どこどこへ行きたい」と言う。

お母さんは、雨も降る夕方に出かけるのは面倒くさい、邪魔くさいので本当は行きたくない。

つい「ダメ」「行かない」という。

それで子どもがおとなしく引き下がるわけもなく、お母さんもオールOKしなければと思い直し、結局行くことになる。

どうせ行くなら、最初から気持ちよく子どもに「行こう」と言ってあげればいいこともわかっているが、それがなかなか言えない。

結果子どもの言う通り行くのなら、否定から入らないで、気持ちよくOKした方が、子どももより受け入れられたと思える。

「どうせ時間とお金を使うなら、より効果が上がる方に使うのがいいでしょう」、と分析者はいう。

ただ、そこには母親のコンプレックスが関わる。

頭ではわかっていても、気持ちが、体がついてこないで、つい拒否t的、否定的言語が口から出る。

ああ、私もそれに何年悩んだことだろう。

私は、自分は何が欲しいとか、どこどこへ行きたいとかそんなことを親に言えなかった、言っていいとも思えなかった、それなのにあんたたち(娘たち)はいいよね、言えば応えてもらえるんだからと妬ましかった。

そこには、子どもと同じように自分の要求を出して応えてもらえる理想的自分と、そうではなくいつもダメと拒否された悲しい自分が見える。

そこで葛藤する。

本当は自分の要求を出したかった、そしてそれを無条件で受け入れ対応して欲しかったのに、いつも見捨てられた自分に整理がついていない=フロイトのいう子ども時代が終わっていない。

そのようにして欲しかったことも、そうされなかったことも、もう過去の話であるはずが、大人になり母になった今も引きずっている。

その子ども時代を終わらせ、親の立場に立ち、子どもに応えられるようになるために分析がある。

それはまた自分を成長させることになる。

子ども時代で止まっている心の時計を動かすと、これまで気付かなかったこと、知らなかったことがいっぱい見えてくる。

「子育ては自分育て」という言葉が思い出される。


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2008年10月04日

分析家の独り言 151 (枠をはずすと楽になる)

自分を含め、クライアントは育ってくる間に他者(主に親)によってはめられた枠に縛られている。

「~べき」「~なければならない」の世界に生きている。

私も分析を受け始めた頃、分析者から「枠が強すぎる」「枠など持たないほうが楽でしょう」と言われた。

自分も人も、この枠にはめようとする。

今になるとわかる、この枠があるために生きにくかったと。

こうでなければならないことなど、まずない。

○○であってもいいし、△△であってもいい。

ただいろいろある中で、自分はどれを選ぶのか、何に価値や意味を見出すのかだけである。

それを選ぶのは自分自身であるはずだが、それを親はこうあるべきだと押し付けてくる。

子どもはそれを無視も、否定もできず、そういうものかと思ってしまう。

そして気がつけば、自分もガチガチの枠にはまってしまっている。

本来は人と接するなかで、自分は■■がいいと思ってきたが、○○の方が良さそうだと思えば、○○を採用しそれでやってみればよい。

そうして出し入れ自由で、柔軟な自我を構築していくと生きやすい。

あるクライアントの話。

町内の防災の役をしていて、町内から借りた懐中電灯をどこに置いたかわからなくなったという。

次の見回りのときにまた使うのに大変だと、探し出した。

夫に聞いたら、、「どこかで見た」という。

「それどこ? 探して」とクライアント。

思い当たるところは探したがない。

そこで、「まあいいわ、次の見回りまでまだ時間はあるし、それまでに探せばいい」

「もし見つからなければ、弁償したらいいわ」と思った。

これまでのクライアントなら、見つかるまで家捜しした。

それでもないとなれば、町内の人になくしましたと報告し弁償しなければならないが、それを言ったら「なんていい加減な人、町内の備品をなくすなんて」と思われるだろう。

人から自分がどう思われるかが気になって、しんどかったと。

クライアントから聞かれる「生きるのが楽になりました」という言葉、、私も同感である。


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2008年10月01日

分析家の独り言 150 (言葉は正確に無意識を辿る)

荒れていた子どもが、父の仕事を一緒にやるようになった。

その子がパソコンで仕事関係のことを検索し、「お父さん、ちょっとこれ見てみ」といった。

そばで様子を見ていた母親は、ハッとした。

「おっさん」とか、「おとん」と呼んでいた子が、父親のことを「お父さん」と呼んだ。

子どもが父を父と認めたとともに、夫は父親をしていたということだと思ったと言う。

そういえば思い出す、我が子のことを。

下の娘が不登校をしていた中学のとき、母親である私のことを、「おばちゃん」と呼んでいた。

そのとき、「おばちゃんじゃないでしょ、お母さんでしょ」と言いかけて止めた。

今のこの子にとって、私はおばちゃんでしかないのかもしれない。

母親と認められていない。

ならば、無理やり「お母さん」と呼ばせても意味がない。

しっかり対応して、母となり、自然と「お母さん」と呼ぶようになるまで、私が頑張るしかないと思った。

言葉は正確に無意識を辿る。

学校へ行きだし、母親である私のことを時々間違ったように「お母さん」と呼ぶことがあった。

「お母さん」と言ってしまった自分に、娘はビックリしたようで、「今私、お母さんっていったよな」と言う。

やはり、あの時娘に無理強いしなくてよかったと思うとともに、何気ない日常の言葉の中に無意識が見え隠れすることをあらためて感じた。


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2008年09月30日

分析家の独り言 149 (オールOK:育てなおし)

子どもにオールOKをした、あるクライアントの語り。

子どもが荒れて非行に走った初めの頃は、「母親として私は頑張ってきた」「自分は何も悪くない」、と思っていた。

ところが分析を知り、子どものあるべき成長の過程を知ると、食べて、着せて、寝させていたら子どもは育つものと思っていたが、それは違っていたこと、母として人として自分の歪みに気付く。

そして、オールOKで子どもに対応をし出す。

最初は、子どもを少しでもよくしようと思ってオールOKするが、その親の欲が消えたときから子どもにかける言葉が子どもの中に入っていく。

損得抜き、駆け引きなしの無償で出す言葉が、子どもを成長させる。

非行に走らなければ学べることもあった、できていたはずの可能性を、今から育ててやりたいとも思ってオールOKした。

人としての成長をストップして、暴走した子ども。

人が心を成長させられるのは、自分で自分を大事だと思うから。

かけがえのない自分と思える中にドップリつからなければ、「こうしたい」「こうなりたい」の芽は出ない。

自分の欲望を感じるには、自分をいとおしいと思えること。

そのためにオールOKをする。

それによって、あるがままの子どもを認め、受け入れ続ける。

自分が育ってきたことしか知らないから、自分の育ち方が普通、当たり前と思ってきたが、子どもを育てなおしていくと、自分の抜けているところがいっぱい見えた。

子どもを育てるには、子どもをしっかり見なければできない。


子どもを育てることは、自分を知り、自分を育てることでもある。

何年も前、クライアントが自分の間違いに気付き、子どもの良さをのばしてやれなかった、子どもの可能性を摘み取ってしまったと泣かれたときのことを思い出す。


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2008年09月23日

分析家の独り言 148 (分析がもたらしたもの:変容、成長、理解)

分析を受けると、じょじょにものの見方、考え方が変わってくる。

ぞれまで悪いのは相手だった。

その相手とは、例えば夫であったり、子どもであったり。

相手が悪い、腹が立つからぶつかっていく、「何であんたはそうなん、謝って!」

あるときから、そのぶつかっていく自分を考える。

「謝って」と相手をどんどん責める自分って、一体何を求めているのだろう?

そこまで相手を責めて責めて、そんなに私は謝って欲しいの?

例え相手が謝っても、それは本心じゃない、その場を納めようとしてるだけ、それに意味はあるの?

自分の中で問いが始まり、葛藤する。

自分を切り刻んで、自分と向き合った。

それをしなかったら、夫と離婚していたかもしれないとクライアントはいう。

自分を堀下げて、自分の人生を人のせいにしないという結論に達した。

相手がどうであれ、自分はどうするのか。

相手に望まないでおこう、自分を変えよう、成長させよう。

それまでは、相手が自分に合わせて欲しいだったのが、相手が自分に合わせて欲しいということにくらい合わせられる、それが大人だろうと思った。

しかし自分をしっかり持ちながら、流されないで、自分は自分を生きよう。

相手を活かし、自分を活かす、それが本当の大人。

自分の感情をコントロールできるようになった。

子どもの問題が終わってから、ここまでくるのに4年の歳月がかかったという。

夫婦共謀という理論えを聞いていたからできた。

人と理解しあうことが出来た初めての人が子どもであった、家族以外では分析者だったと言われた。


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2008年09月20日

分析家の独り言 147 (母親の笑顔)

子どもさんへの対応を話すとき、オールOKとともに、「最初は演技でいいから、笑顔で接してください」という。

お母さんの笑顔が、子どもの健康な精神を育む。

子どもにとって、お母さんの普通の顔は怒ってるように見える。

もう何年も前、たまたま見たテレビで実験をしていた。

1歳未満の赤ちゃんが横になっているところの横に、お母さんに立ってもらう。

お母さんが笑顔で、赤ちゃんに微笑みかける。

すると、赤ちゃんも微笑む。

今度は、お母さんに怒った顔で、赤ちゃんを見る。

すると、赤ちゃんは間もなく泣き出す。

最後にお母さんに普通の顔で赤ちゃんを見てもらう。

すぐには泣かないが、次第に顔が泣き顔になっていき、ついには泣き出す。

この番組が、子どもにとってのお母さんの笑顔の意味を証明してくれた。

また、あるクライアントが言った。

「これまでは、口ではいいよと言いながら、顔が怒っておいた」と。

それでは、「いいよ」の言葉とは相反して、顔で「だめ」と言っているのと同じ。

これをダブルバインドという。

矛盾したメッセージを同時に出しているので、子どもは良いと悪いのどちらのメッセージに従っていいのか迷い、引き裂かれていく。

だからこそ、オール=全てOKするのである。

そこに矛盾はない。

全てが受け入れられ、肯定される世界がある。

母親の顔色を見ることなく、裏のメッセージを読み取る、察するというややこしいことをせず、ストレートに自分の思いを出せる。

子どもは言いたいことが言えないで、病んでいく。


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2008年09月17日

分析家の独り言 146 (性格を知り、変える)

3年前にバスケットを始め、練習をし試合に出るようになった。

バスケをする中でも、自分の性格が見えることがある。

その日によって、自分もチームも調子のいい、悪いがある。

チームが調子が良くて、みんなのシュートが入ると、私は任せてしまう。

チームの調子が悪く、自分の調子がいいときは、これは自分が何とかしなければいけないと頑張る。

いつも積極的に前へ前へと行くといいのだが、どこか引いてしまう弱気の自分が見えるときがある。

もうこの歳だからと、逃げ腰の私。

ただ、自分がなめられたと感じたときは燃える、なにくそと頑張る^^

「なめらる」ということにコンプレックスがありそう、これは自己分析の必要有り。

女性であっても、積極性は大事である。

時と場合に応じて、積極的に行くときと、引く時を使い分ける、そのバランスが大事。

このバランスを今の自分はとれているだろうか。

バスケに限らず、日常の生活のなかで、また仕事上で。

小さい頃は、引っ込み思案で、消極的な子どもだった。

また、高校のバスケの指導者から「石橋を叩いても渡らない性格」といわれた。

「慎重すぎる、もう少し冒険しても行けるところは行け」、と言いたかったのだろう。

それも、育ってくる間につくられた性格。

何かすれば、承認より、非難、文句、否定、拒否がくることが多かった。

それでは、子どもは積極的になれるわけがない。

それならいっそ何もしないほうが文句や否定されることがないだけまし、と思う。

それでも何かをするときには、失敗しないように、慎重にならざるを得ない。

そろり、そろり、様子を見ながら、回りの反応、顔色も気になるだろう。

なんとか社会適応してはいたが、ギリギリのところを(精神的には)死にながら生きてきたんなぁとあらためて思う。

もう忘れかけていた自分の名残りに時々出会う。

そして、今後の自分の課題がわかる。

自分に足りないものを知り、改善していく、なりたい自分をめざして日々変容、成長していく。


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今週のメッセージ(平成20年08月分)

オールOK!子育て法に掲載した、「今週のメッセージ」の過去ログです。


安心と安全(平成20年8月25日)

子どもにとっての親の大きさを思う。
他の動物に比べ、未成熟な状態で生まれてくる人間の赤ちゃんにとって外界の危険から守ってくれ、失われた子宮内生活をつなぐ唯一の存在である母親は、極度に高い価値をおびる。
この生物的要素は最初の危機状況をつくりだし、人間につきまとってはなれない、愛されたという要求を生み出す。
とフロイトはいう。
ここで母に守られ、安心と安全を体験できる人は幸せである。
人は、そうでないことが後々まで影響するとは知らずにいる。

OKし続けること(平成20年8月21日)

子どもへのオールOKがすぐには出来なくて、出来ない自分に×(バツ)をつけてしまうことがある。
頭でわかっていても、どうしても「いいよ」が言えなかったり、すぐ反応出来なかったり、はずしてしまったり・・・
それでもあきらめず、やろうとする努力が尊い。
やり続ければ、必ず出来るようになるし、子どもも自分もOKな存在になる。

何気ない風景(平成20年8月12日)

クライアントの家からの帰りに乗った電車のなかでのこと。
4人かけ席の前に、小さな男の子の兄弟を連れたお母さんと一緒になった。
上の子は4歳くらい、下の子は2歳くらいだろうか。
下の子はじっとしていない。
それを怒ることもなく、抱いたりあやしたりしている。
携帯電話をおもちゃにして、お母さんが「返して」といっても「いや」という。
それを無理やりとりあげることもなく、子どもが離すまで待っていた。
男の子のお母さんは大変だなと思いつつ、このお母さんはなかなか大したものだと思った。

天海有輝(宣照真理)

2008年09月13日

分析家の独り言 145 (オールOKがもたらしたもの:子どもとの理解)

あるクライアントが言った、「一番訳のわからなかった人間(子ども)が、オールOKして一番わかる人間になった」と。

オールOKすることで、子どもを理解したいと思うようになり、それを続けると、子どもが母親を理解していった。

オールOKする側が、損だとか得だとかではなく、「れる」「られる」が逆転する。

母親であるクライアントは子どもにオールOKさせられる人だった、それが、理解される人になった。

オールOKをやっていくと、最初は当たり前のように要求していた子どもの言葉に、思いやりが見られるようになる。

「悪いけど、買い物のついででいいし、△△買っといて」というように。

また母の方も、「帰ってくるまでに、お母さん〇〇しといて」と子どもに言われると、何を置いても一番にやる。

互いを理解し好きになり、オールOKすることが心地よいと思えるようになると、自分が生きている限り、やり続けてやろうと思う。

頼られて、「ああして」「こうして」という子どもに応え続けるうちに、親子っていいものだなと思えるようになった。

子どもの頃にこの経験を親との間でできた人と、経験のなかった人では人生が違うだろうと、クライアントは言う。

それは、認められ、甘えられ、安心と安全の中で自分を肯定できる世界。

逆に言えば、本来子どもはそこで育つもの、そこでしか生きられない。

このクライアントは自分には「甘える」ということがなかったという。

そういう人は、子どもの甘えを受け入れられないのが普通。

しかし、尋常ではない状況があったために、オールOKせざるをえないと覚悟を決めて実践した。

いつも彼女は言う、「オールOKは、子どもを立ちなおらせる以上のものを自分に与えてくれた」と。


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2008年09月12日

分析家の独り言 144 (父を否定し超える)

分析家の独り言(京都9月子育て相談室から)を自分で読み返して、気がついたことがある。

子どもにオールOKできるはずのない私が、なぜあきらめずにやれたのか?

一つには、分析家を目指したこと。

もう一つには、父を否定し、超えたかった。

父は私が小学生の頃、宗教を始めた。

その地域で、その宗教の支部長になった父から言われることは、「感謝報恩」。

そして、父は子どもである私に「感謝すること」を強要した。

「生まれてきたことに感謝、生きていることに感謝、親に感謝、先祖に感謝せよ」と。

しかし、当時の私は「死にたい」と思って生きていた。

そんな中で「感謝しろ」といわれる、それは無理だった。

父に逆らえば、さらに家での居心地は悪くなるし、威嚇と暴力におびえていた私は、感謝するふりをするしかなかった。

後に分析に出会い、「与えられ満足した者は、自然と感謝の気持ちが湧いて来る」と聞いた。

それは、親が子どもにオールOKし、子どもは、「こんな私に親はここまでしてくれた、申し訳ない」と思う。

この気持ちが感謝だと聞き、納得した。

感謝は、人に言われてすることではないはず、そんなことも冷静に考えられないほど、私は私を持てずにいた。

さらに、「感謝」「感謝」という父が、子どもの私の目から見ても、本当に感謝して生きているようには見えなかった。

父の発する言葉と、その行動の不一致を常に感じていた。

この父を否定し、超えるためには、私は言動の一致する人間になることだった。

その中で私に出された課題は、一番私には難しい子どもへのオールOKだった。

頭ではオールOKは知っている、言葉に出しても言える、じゃあ出来るの?

本当は、しなくて済むならしたくない、でもそれでは私が否定した父と同じではないか。

それだけは嫌だ。

この想いがまた、オールOKをしようとする私を支えた。

「父を否定したものがファルスとなる」という、ラカンの言葉が思い起こされる。


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2008年09月10日

分析家の独り言 143 (京都 9月子育て相談室から)

個人分析を受けつつ、子育て相談室でも学んでいるクライアント。

「これまで自分は子どもに、オールOKをしてきたつもりだったが、どうやら 違っていたみたい」という。

確かに子どもの要求に応えては来たが、どこかで仕方なくやってきたと。

最初は仕方なくでもいいから演技をし、とにかくオールOKで対応してもらう。

しかし、そうするうちに少しずつ気持ちが伴ってきて、子どもが満足し、喜ぶ顔をみて母親の側もやって良かったと喜べるようになる。

ところが、このクライアントはそうではなかった。

今やっと子どもへの気持ちが伴って、オールOKが出来はじめ、今までのは違うとわかるという。

私の場合、オールOKをしようとしても、自分のコンプレックスが邪魔をして、

「私はこんなことしてもらっていない」

「その私がなんでオールOKしなければいけないの」

「でも、それをしなかったら、子どもたちはあんた(私)と同じ辛い思いをして、生きにくさをずっと抱えて生きていくことになる、それでもいいの」

「いや、それだけはいやだ」

そんな葛藤を自分の中で幾度繰り返しただろう。

きっと、他の人はもっと簡単に、気持ちよく子どもにオールOKしていけるんだろうな、それほど私の欠損は大きいのか・・・

そう思いながら10年以上を過ごしたように思う。

「オールOK!子育て法」など、ひっかかるはずもなかった私が、それでもなんとかやれたのは、精神分析を仕事としてやっていくという意思があったからだと思う。

分析を受けながら、分析家を目指し、養成講座を受け理論の勉強を始めた。

それでもなかなか子どもにオールOKが出来ず、そんな自分に落ち込んだ。

人には「子どもさんに、オールOKで対応してください」と言いながら、自分が出来ない、しないでは済まされない。

それでは分析を仕事には出来ないだろうと、葛藤を抱えつつ昨日よりは今日、今日より明日、少しでも出来るようにと、自分なりに努力した。

やり続ければ、自然に出来るようになる。

子どもの変化がその努力を支えてくれた。


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2008年09月08日

分析家の独り言 142 (初秋の夜の出来事:無意識を見る)

昨夜、娘がお風呂に入っていて、「お母さぁーん」と呼ばれた。

行ってみると、お風呂の排水溝がつまり、お風呂場の床に水がたまっている、困った・・・

私は、排水溝のふたをとり、「浴槽のエプロンのはずし方」というのを読んでエプロンをはずした。

これで排水溝のフタがはずせた。

髪の毛や石鹸かすなどのごみがあらわになり、カビの臭いで吐きそうになる。

出来るだけ、ごみを取り、パイプをはずすと、「ゴボゴボ」と音をたてて汚水が流れていった。

浴槽側面のエプロンの内側や、浴槽裏側、床も汚れがこびりついている。

これに、洗剤をかけきれいに落とした。「ああ、すっきりした」。

ふと思った、人の無意識もこれと同じようなものだと。

普段は見えないが、その奥(無意識)には汚れがいっぱいこびりついている。

それは、見捨てられたり、拒否されたりした醜い・汚い自分。

そこには憎しみや、悔しさや悲しみなど様々な感情が伴う。

そんな自分は見たくない。

「それを見て、きれいに掃除しましょう」というのが精神分析。

しかし、余程の事がなければ、分析にきて、そんな自分と向き合おうとはなかなか思わない。

「排水溝に詰まったごみがたまりすぎて、流れなくなり床に汚水がたまりだす=症状」と考えるとわかりやす