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分析家の独り言 220 (オールOKの末に見えたもの:その2「人間とは何か」)

(以下の文章は、クライアントの了解を得て掲載しています)

分析を知ると、それまで何も知らなかった自分を知る。

人間として、親として、母として、父として、男として、女として。

本来知らなければいけなかったことがどれだけあるのか?

無知であった自分と向き合えるのか?


以前は、一般の人は自分より恵まれていて、幸せそうに見えた。

それでも仕方がない、問題は目の前の荒れる息子。

この息子を変えるためにやるしかないと思ったから、オールOKできたのだろう。

荒れる息子にオールOKを始めた頃は、自分が死ぬまでに息子がまともになってくれたらいいと思った。

思っていたより短い期間でそれができて、自分の歪み足りなさを知り、今度はそれと向き合わざるをえなくなった。

起こるべくして起こった子どもの問題であり、自分のなかに想像もしなかったことがあった。

それでも、何でこんな人生を生きなければいけなかったのかがわかって良かったと言うクライアント。

ここまできて自分をみたとき、不幸でもなんでもない。
 
これだけの期間で人(息子を含めて)を理解できるようになったのはすごいこと。

自分が今生まれた人みたいで、こんな感覚になったことがない。

慣れてないと同時に、以前の自分が思い出せない、「私って、前はこういうときどう思ったんやろう・・・?」と思うことがよくある。

迷路をでたら、あんなに苦しい生き方をしなくてよくなっていた。

あれが本当に人の生き方か? いや、親が自分に求め言い続けた生き方だった。

それを跳ね除けて生きてきたつもりが、結局親に捕まって、からめとられた人生を生きた。

今見ている景色が以前とは違う、なんと自由。

前と比べると幸せだが、人としてここで止まっていいのか。

本当の人間とは何か、を目指さないといけないのではないか。

必要に迫られてやったこと(=オールOK)とは言え、まさかこんなところに出て来るとは思わなかったと言う。

分析は、人間とは何か?生きるとは?男とは?女とは?と問いかけ、それに自分なりの答えを出していくこと。

この問いかけを自らする人が健康な人であり、この問いかけが本人の意思ではなく、突然外からやってくるのが病理(分裂病)である。

クライアントは、息子が多額のお金を要求し、暴言を吐き、暴れるというあの悲惨な状況のなか、誰も血を流すことなく終われたことが奇跡だったと言った。

一般には奇跡と思われることが、理論的に説明できるところがまた分析のすごさだと私は感じる。


ラカン精神科学研究所のホームページ

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月刊精神分析2009年4月号 なぜ分析で病が治るのか

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2009年5月16日 16:10に投稿されたエントリーのページです。

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