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分析家の独り言 221 (甘えと依存:子どものやる気を育てる)

子ども時代とは依存と甘えの時代であり、これをいかにして脱し自立した大人になっていくかが人間の大きなテーマの一つであろう。

いつも言うが、精神の年齢と肉体の年齢は一致しないため、成人である二十歳をはるかに超えた年齢であっても、心は赤ちゃんというのはいくらでもいる。

いわゆるアダルトチルドレン、いやアダルトベイビーである。

子どもに充分甘えさせ依存させてやる=オールOKすることで、子どもは満足し、自我をつくっていく。

そうするといかに子どもとはいえ、いつまでも「お母さんあれして、これして」とは言わなくなる。

心身の発達と共に、自分で出来ることは自分でやってみたい。

そしてうまくい出来たことが自分の自信や、自尊心になる。

うまくいかなかったなら、どうすればいいかを考え、努力や工夫をする。

この思考錯誤を繰り返しつつ、子どもは成長していく。

その最初が、2~3歳のころの第一反抗期とよばれるもの。

それまで着替えや身の回りのことは母がしてくれ、母の手を借りていたが、この頃になると「ぼく(わたし)自分でやる」と言い出し、おぼつかない小さな手で、服のボタンを留めたり外したりする。

それを親は見守り、出来たことを褒める。

それがまた子どもの好奇心とやる気を生み、新しいことに挑戦していく。

それを「ほらみてごらん、お母さんがやってあげるっていったのに、自分でするって言ってもできないでしょ」などと言って、子どものやる気をつぶしてしまってはいないだろうか。


年齢的には大人になっても、私も甘えたい、依存したい人だった。

振り返れば36歳、二児の母で分析を受け始めた頃もである。

私が自分で、甘えと依存を抜けたと思えたときがあった。

親は何を思ったか、突然「車を買ってやろう」と言い出した。

車に乗れる経済的余裕がないことを不憫に思う、親心のつもりだったのか。

「ガソリン代もお父さんに持ってもらってあげるから」と母が言った。

即座に私は断った、「今、車はいらない」と。

以前の私なら、ラッキーと思いそれならと親に車を買ってもらっただろう。

しかしこのとき、自分の力で買えるようになったとき車が必要なら自分の甲斐性で買おうと思った。

今親に買ってもらっても嬉しくとも何ともない、と。

かえって親に車を買ってもらうことが、自分には恥と感じた。

私には私の理想自我(なりたい自分)がある。

それは親に車を買ってもらう私ではなく、車が必要かどうか自分で判断し、必要であれば自分で買うことのできる経済力を持った私になることである。

こう思ったときが、遅ればせながら、ああ私もやっと大人になったなあと思った瞬間であった。

子どもも同じで、与え続け自我が育てば、与えられることより自分で出来ることの喜びを知り、自分で何かを得るためにはどうすればいいかを考え、自ら動き出す。

親はそういう子どもに育てること。

そうすれば、安心して子離れ出来る。

それまでに、人間のこどもは長い長い甘えと依存の時期を送る。

この子ども時代を適切に対応していく親の賢さが必要である。


ラカン精神科学研究所のホームページ

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月刊精神分析2009年4月号 なぜ分析で病が治るのか

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2009年5月24日 06:57に投稿されたエントリーのページです。

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