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2009年6月 アーカイブ

2009年6月 2日

分析家の独り言 226 (事件 京都教育大<集団準強姦>周囲の学生数人、見ていて止めず より)

YAHOO!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090602-00000011-mai-soci より抜粋
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京都教育大の男子学生6人が女子学生への集団準強姦(ごうかん)容疑で逮捕された事件で、他にも数人の学生が事件当時、現場に出入りしていた。
6容疑者は当時、教員養成課程の3、4年生で体育教育を専攻し、それぞれ、陸上▽アメリカンフットボール▽サッカー▽ハンドボールの体育会系クラブに所属。
2月下旬に同専攻卒業生の送別コンパがあった京都市内の居酒屋で、めいてい状態の女子学生を店内の空き部屋に連れ込み、集団で性的暴行を加えたとして逮捕された。
ほかにも数人の学生が現場に出入りしていた。こうした学生の存在は大学の内部調査でも浮上。
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京都教育大は国立大学で、教師の卵を育てる大学。

滋賀県に引越す前に住んでいた家から割りに近く、子どもたちと学園祭に行ったことも何度かあった。

国立大学なので学力は高い学生が集まっているはずだが、やはりここでも心がどれだけ育っていたのだろうと思う。

いくら酒に酔った場とはいえ、して良いことと、悪いことの判断はしなくてはいけない。

酩酊状態で無抵抗の女子大生を集団で強姦、しかもそれを見て知っていた他の学生で止める者がいなかったという、これが二十歳を過ぎた成人のすることか。

いつも思うが、学歴偏重の社会、勉強さえ出来ればいいのか。

その先には、いい会社に就職し(いい職につき)、より多くのお金を得ることが目的であり、それが人間の幸せという構図。

あまりにも心の成長をないがしろにしてはいないか。

相手を思いやるという気持ちが欠けている。

集団強姦された女性の気持ち、心の傷を考えないのか。

考えないからできるのか、もともと考えられる力が無いのか。

そうだとしたら、あまりにも人間として大事なものが欠け落ちている。

学力は学校へ行ってそれなりに身につけることができる。

心を育てるのは親の役目である。

親の心の成長度によって、子どものそれも決まる。

親に思いやりをかけられて育った子は、人に思いやりをかけることができる。

一方的に命令指示され、親に自分の気持ちを汲み取ってもらったことのない子は、人の気持ちを考えることは無理である。

こどもに勉強を教える塾は山のようにあるのに、心を育てる親の教育をするところがない。

昔日本にも、あたたかい気持ち、情緒、感情というものが人の中にあった時代があったはず。

戦争・敗戦が日本人に残した傷が、今このような形で人を社会を蝕んでいるのか。

放っておいて育つものは何も無い。

親となった以上、心の育て方を知らないで済ませられることではない。

知らないなら、なぜ人は道を捜し求めないのか。

末期的状況の中で、子ども達は叫んでいる、不登校・ひきこもり・非行・事件を起こすという形で。

大人もまた傷つき、生きる意味を見失っている。

あなたの生きる意味はなんですか? お金と物ですか。


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月刊精神分析2009年4月号 なぜ分析で病が治るのか

2009年6月 3日

分析家の独り言 227 (笑えなかった私)

テレビを見ていて、「お母さんって、お笑い見て笑うんや」と娘が言ったことがあった。

「ん?どういうこと」と聞くと、娘いわく、以前、私はお笑いなんか見ませんって感じで、家族が笑ってても一人さめていたと言う。

お笑い全部が嫌いで見ないわけではない。

漫才やお笑いのトークショーのようなものは好きだが、どうしてもダメなものがあった。

それは『志村けんのバカ殿様』の類。

あの中で、布団が水浸しになったり、着物が汚れたり、着物のまま池に入っていったり・・・そういうシーンが私には不快感となる。

あれを笑い、ジョーク、ギャグとして見られないのである。

あんなに布団や着物がぬれて汚れて、その後どうするのだろう、スタッフが片付けるのだろうが、大変だろうなと思う。

そんなことを思いながら見ているのだからとても笑えない。

さらに、娘が小学生と中学生の頃だったか、上の娘が友達と見に行って面白かったからもう一度見たいと言って、家族でミスター・ビーンの映画を見に行った。

題名は忘れたが、ビーンが美術館の警備員で、大事な絵の前でくしゃみをし鼻水が絵に付いてしまい、それを拭き取ろうとするとますます絵がボロボロになっていくというお話。

周りは皆ドカンドカン笑う、私はどんどん不快感が増し気分が悪くなり、劇場から出て行きたくなった。

もし私が映画の中のビーンだったら、こんなに失敗したら、こっぴどく親に怒られる。

先程のお笑い番組でさえ、布団や着物をぬらしたり汚したら、これまたどんなに責められ怒られることかと、そういう視点と思いで見てしまう。

よほど私は育ってくる過程で怒られてきたのだろう。

祖父母からも父・母からも。

しかも私は誰からもかばってもらったことはおそらく一度もない。

具体的に思い出せない無いこともあるが、自分がひっかかるところから予測がつく。

そして、何で皆が笑うことが、私には不快感となって笑えないのかがよくわかる。

そんな私は小さい頃から、人が恐くてたまらなかった。

人は自分を怒ってくるもの、攻撃するものと私の無意識に書き込まれていただろう。

振り返れば、それでも何とかひきこもらずに、人の中でかろうじて生きてきたのが不思議なくらい。

失敗を責められ怒られ、親の言うことを聞かなければまた怒られ、見捨てられないように必死に親にあわせた子ども時代。

そうするために、私は私自身を捨てていった、自分を殺して生きた。

そして親のロボットとなった。

そんな惨めで悲しく無力な自分を、分析を通して見続け、知った。

そんな自分をしっかり意識化・言語化して受け入れたところから、私は私を取り戻していった。


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2009年6月 4日

京都 6月子育て相談室の報告と追加日程のお知らせ

昨日6月3日、ひと・まち交流館にて子育て相談室を開いた。

サイトを見たと電話連絡いただいた初参加3名の方が加わった。

両親そろって参加されたお父さんは、昨日単身赴任先からお家に戻られての参加ときいた。

子どもの不登校、ひきこもり、非行、子育てに悩む親御さんたちの事情を聞きながら、子どもの行動の意味、対応の仕方の質問に答えていった。

初めての方も、『オールOK子育て法!』や、『セラピー日記』を読んで来てもらっているようだった。

子どもからのお小遣い、お金の要求に対する質問があった。

これまでお小遣いを制限していたせいか、ここのところ請求される金額が高くなったなど、子どもへお金の金額、渡し方について質問があった。

その中で共通するのは、親がこれくらいが妥当だろうという金額を決めているケースが多い。

そうすると、当然子どもからその枠を超えて請求されることが出てくる。

そんなときはそうすればいいのか。

まずお小遣いを決めるとき親子で話し合い、親からこれくらいと金額を提示するのではなく、子どもの意見・要求をききそれに応える。

オールOKだから、子どものお金の要求にもオールOKする。

そうすると、親はきりがないのではないかと恐れる。

与え続ければ必ずきりが来る。

最初は、これまで制限してきた分をとりかえすかのように要求するが、それに応えていると満たされていき、金額は下がってくる。

まず、子どもとの会話ができていないと思われる。

会話によって、気持ちを伝え、理解し合い、合意点をもつ、そして信頼と絆、親密さを築いていくのだが、それがほとんどない。

それにはまず子どもの言葉をよく聴くこと。

親の思い込みや、コンプレックス、常識をのせて聞くと、子どもが何を考え何を訴えているのかがわからない。


ある不登校の子どものお母さんが言う。

オールOKを知って実践しようとしてもなかなかできない。

人の話を聞いていると「ああ、それわかる」とか、「それではあかんよな」とか「自分もそれ子どもにやってるかも」などと、人を通して自分が見えることがあり、聞いてる途中はしんどかったがいろいろ気付くことがあり、やっぱりオールOKをやってきて来て良かったと言う。

公の施設や、親の会などいろいろなところに参加して、話しは聞いてくれ「大変ですね」とは言われるが、「だからこれはこういう理由で、こうしたらいい」と具体的に言ってくれるところは、ここ(子育て相談室・分析)以外に無かったとも言う。

またある人は、「あの場に居た親の子供は幸せだ…です。必死に子供と向き合う親ごさんの姿が何故か神聖な空気さえ感じました。」とコメントをもらった。

私も思う、ここにわざわざ足を運んでくる人達は、子どものことを想い、なんとかしたいと思って来られている。

その気持ちが子どもに届き、子どもとの良好な関係を築いていって欲しいと願い、子育て相談室を開いている。


参加された方と話し合い、今月はもう一回京都で子育て相談室を開催することになった。

日 時 : 6月17日(水) 10:30-12:30

場 所 : ひと・まち交流館京都 (JR京都駅より徒歩15分) 

参加費 : 1,000円(1回:2時間 予約制 電話等により連絡ください)

電話:077-558-8766 または 050-3767-6283

携帯:090-7357-4540

メアド:lacan_msl☆yahoo.co.jp ☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)。


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2009年6月 5日

今週のメッセージ(平成21年5月分)

オールOK!子育て法に掲載した、「今週のメッセージ」5月の過去ログです。

自分を変える(平成21年05月26日)

自分は正しい、自分は真面目に頑張って生きてきた。
ところが、子どもが非行なり、不登校・ひきこもりになった。
子どもや学校、先生・友達が悪いと責める。
いくら周りが悪いといったところで、子どもは良くならない。
そうしたら問題は自分か?と、ようやく自分を見つめだす。
自分を振り返る、自己反省がないかぎり、現象は変わっていかない。
変わるとは=(正しいと思っている自分を)壊すこと、否定すること。
つまり自分は正しいと思っているこのことを本当に正しいのか検証しなおし、間違いに気付き、修正する。
親が自分を変えれば、子どもも変わる。

信頼(平成21年05月22日)

お母さん方は、なんとか子どものためにとオールOKをしていく。
しかし、自分自身の育ち、養育状況が影響し、本当にオールOKしてわがままなだけの子にならないかとか、オールOK出来ない自分に落ち込んだりする。
理論からオールOKの意味や意義を学ぶ方、自分を知っていくために分析を受ける方など、様々である。
自分を知り、理解できると、子どもへの対応も変わってくる。
母親自身が自分の辛さやしんどさを受け取っもらうことが大事なことと思う。
そうしながら理解・共感そして信頼を分析等を通して体験し学んでもらう。
本来『信頼』は、フロイトのいう0~1.5歳の口唇期に獲得する発達課題である。

自分と向き合う(平成21年05月13日)

分析を知ると、それまで何も知らなかった自分を知る。
人間として、親として、母として、父として、男として、女として。
本来知らなければいけなかったことがどれだけあるのか?
無知であった自分と向き合えるのか?
起こるべくして起こった子どもの問題であり、自分のなかに想像もしなかったことがあった。
それでも、何でこんな人生を生きなければいけなかったのかがわかって良かったと言うクライアント。
オールOKをして子どもが落ち着くと、今度は親が自分自身と向き合っていく。

無条件に受け入れられる(平成21年05月05日)

無条件に受け入れられ、愛された経験があるかないかは大きい。
何かが出来たからとか、お手伝いをしたから等で愛されるかどうかがわかれたとする。
すると、人に気に入られる自我をつくっていく。
自分がしたいから~をするのではなく、人に嫌われないように、気に入られ、評価されるために~をする。
そうするうちに、自分の行動が、私がしたくてしたことなのか、人からの評価を得ようとしてしたことなのかわからなくなる。

甘えと依存(平成21年05月01日)

子どもを早くしっかりさせようと厳しくする。
子どもの甘えを許さず、突き放す。
それは全く逆である。
子どもが自我を確立し、自分の意思で行動していくには、まず甘えと依存を満足いくまで体験すること。
そんなことも知らず、自分がされたようにしか人は我が子を育てられない。
そんな無知であった自分を後悔する。

宣照真理(天海有輝)

過去の今週のメッセージは、宣照真理のセラピー日記天海有輝のセラピー日記 分析家の独り言に掲載しています。

京都 子育て相談室(旧 母親教室)日程のお知らせ(平成21年7月)

日 時 : 7月8日(水) 10:30-12:30

場 所 : ひと・まち交流館京都(JR京都駅から徒歩15分)  

参加費 : 1,000円(1回:2時間 完全予約制 電話等にて連絡してください)

子どもさんの年齢に関係なく、子育てに関しQ&A方式で相談会を開催しています。

日常の些細な事から、不登校、ひきこもり、非行、神経症など様々な悩み、問題に答えます。

興味関心のある方、参加希望の方は下記へご連絡ください。

電話:077-558-8766 または 050-3767-6283

携帯:090-7357-4540

メアド:lacan_msl☆yahoo.co.jp ☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)。


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2009年6月 6日

分析家の独り言 228 (会話の大切さ)

子どもの不登校・ひきこもり・非行などに悩み来所されるクライアントに共通するのは、親子の会話がないか、かみ合っていないこと。

逆にいえば、親子でしっかり会話できれば、ほとんどの問題は解決できるし、そもそもその問題や悩みは起きないだろう。

ならば、親は子どもの言うことをしっかり聴くこと。

一見簡単に聞こえる、『子どもの話しを聞く』ということが、案外難しい。

子どもが何かを言ってきたとき、親は「それはこうしたらいい」と対処法を言うことが多い。

子どもは対処法を聞きたいのではなく、自分がそのことをどう思い、どう考えたか気持ちを話して聴いて欲しい、受け取って欲しいのだ。

このとき親はただ聴き続ければよい。

それが良いとか、悪いとかの判断しないで、子どもの気持ちに共感しながら理解しようと努める。

聴き続けていると、子どもが「お母さん(お父さん)はどう思う」と聴いてくる、このとき初めて親は自分が感じたこと、考えを言う。

会話により理解が生まれる。

理解が惚れ込みに至る。

人と会話をしていって、その人を好きなるということがあることを知らなかったと言う人もいる。

また、真面目に一生面に生きてきたクライアントは、荒れて人に迷惑をかけたり、お金を要求する子どもが理解できなかった。

しかし、この子を理解し、この子が本当のことを母である自分に言うようになろうと決めオールOKしていった。

子どもの要求に応えながら、会話ができるようになり、子どもを理解しようとしていった結果、子どもが好きになったと言う。

そこまでいったときに子どもの非行はとうに終わり、立派に働き家庭をもっていた。

家庭で子どもが育つ中で、こういった会話と理解があればいいのだが。

それでもこうして、後から取り返すことはできる。

この〔会話→理解→惚れ込み〕ができる親になれるように分析はサポートする。

この経験のない人に、それでは〔会話→理解→惚れ込み〕をしてくださいと言ってもいきなりできない。

これを分析場面で、クライアントとインテグレーター(分析家)とで経験して、それをクライアントが親である場合は子どもとの関係に応用してもらう。

クライアントが子どもの立場である場合は、インテグレーター(分析家)が親代わりとなり、分析を通して体験してもらうことになる。

だからインテグレーター(分析家)は、クライアントの語りに耳を傾け聴き続ける。

「会話ということがわからない」、「人を好きになるということがわからない」と言うクライアントがいる。

会話をするとき、インテグレーター(分析家)の真似をしているというクライアントもいる。

そのようにして、インテグレーター(分析家)がモデルとなり会話を学習してもらうことも大事なこと。

会話により人とつながり、理解と共感、惚れ込む(人を好きになる)ことの障害が、少なからずある。

人は分析を通して人間として駆け落ちたものを、学習しなおす。

インテグレーター(分析家)もまた、クライアントと関わり鍛えられていく。


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2009年6月 8日

分析家の独り言 229 (秋葉原通り魔事件から1年)

事件の概要(ウィキぺディアより)
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2008年6月8日午後0時30分過ぎ、東京都千代田区外神田4丁目の神田明神通りと中央通りが交差する交差点で、2トントラックが、西側の神田明神下交差点方面から赤信号を突っ切り、横断中の歩行者5人を撥ね飛ばした。
このトラックは交差点を過ぎて対向車線で信号待ちをしていたタクシーと接触して停車。トラックを運転していた男性は車を降りた後、撥ねられて道路に倒れこむ被害者や救護にかけつけた通行人・警察官ら14人を、所持していた両刃のダガーナイフで立て続けに殺傷した。
さらにこの男性は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。事件発生後数分して万世橋警察署秋葉原交番から駆けつけた警察官が男性を追跡し警棒で応戦、最後には拳銃を抜いてナイフを捨てるように警告し、それに応じナイフを捨てた男性を非番でたまたま居合わせた蔵前警察署の警察官とともに取り押さえた。これらはおよそ5〜10分間ほどの間の出来事だった。
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まだ記憶に新しい、世間を震撼させた秋葉原通り魔事件から1年が経った。

分析に来られる親御さんの中には、「うちでも世間で起きている事件がいつ起こるかわからない」、「第二の秋葉原事件が起こるかもしれない」と言う方がいる。

同世代のクライアント達は、「加藤被告の気持ちがわかる」とか、「共感できる」と言う。

しかし、実際に行動化するとしないでは、大きな違いである。

加藤被告の心の闇を解明することはできるだろうか。

思い起こされるのは、神戸連続児童殺傷事件の自称酒鬼薔薇聖斗や、すでに平成16年9月14日死刑執行(享年40歳)されている、大阪池田小学校で児童を殺傷した宅間守。

原因があっての結果なのだから、無差別殺人を起こすに至った原因を徹底的に探ってみたいものである。

事件を起こした彼らの中にあった攻撃性、憎しみ、不満、寂しさ、孤独・・・

彼らに、一人でも彼らの話に耳を傾け、理解しようとする人間がいたら、事件を起こさずに済んだかもしれないと分析の中で語りあうことがある。

やはり会話と理解、それらを育ってくる過程で、まず親といかに体験し学習できたか。

ネット等で彼らの生い立ちを読む限り、そういうものがあったどころか、反対に寒い中薄着で外に締め出されたなど、世間では躾の範囲か?といわれるが、分析的に言えば明らかな虐待があった。

やられた子はやり返す。

親にやり返せば家庭内暴力。

それ(親)を超えて社会が悪いとなり、無差別化すれば事件となる。

おそらく、親御さんの中には自分の子どもにそういった不安を持っておられる方もいるだろう。

残念ながら事件一歩手前の予備軍は、少なくないと思う。

私は事件となる前に、なんとか未然に防ぎたいと切に願い、日々分析を通してクライアントと接している。


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2009年6月 9日

京都分析理論講座日程のお知らせ(平成21年6月)

平成21年6月は下記の日程で分析理論講座をひらきます。

日時 : 6月24日(水) 10:00-12:00
場所 : ひと・まち交流館京都(JR京都駅より徒歩15分)
費用 : 3,000円 (テキスト別途 1冊1,000円)
 
講座内容 : 『心の発達』 -口唇期の心の発達- 世界内存在としての人間

「人はこの世に生み出されたその瞬間から人になるのではない。長い長い他者との世話と教育によって、世界との関わり方を身に付けていく・・・」(テキストから一部抜粋)

講座参加者が増え、もう一度、『心の発達』 の最初からしましょうということになりました。
 
一人でも参加いただけます。

独自のテキストをもとに症例などを入れながら、精神分析の理論をわかりやすく解説します。

子育てする上で、また人間を理解するために役立つ理論です。

子育て中の方、結婚前の方、男女を問わず知っておいて欲しいことがたくさんあります。

興味・関心のある方、参加希望の方は下記へご連絡ください。

電話:077-558-8766

携帯:090-7357-4540

メアド:lacan_msl☆yahoo.co.jp ☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)。


子育て(日常の接し方・不登校・ひきこもり・非行など)の悩み、疑問等ご相談ください。

交通費負担で、出張セラピー・各理論講座・子育て相談室(子育てに関するQ&A)をしています。

開催場所:ラカン精神科学研究所(駐車場あり、滋賀県大津市唐崎、JR京都駅から20分)。

依頼があればクライアントの御自宅や最寄の駅周辺の施設(ホテルのロビー、ファミレス)等へ出張が可能です(交通費別途)。


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月刊精神分析2009年4月号 なぜ分析で病が治るのか

2009年6月10日

分析家の独り言 230 (両親の喧嘩は子どもを傷つける)

子どもは育ってくる家庭の中で、様々に傷ついている。

その中で、両親の喧嘩を見聞きすることが、後の子どもの人生に大きな影を落とす。

クライアントの中には、「自分の両親がいつも喧嘩していた」「父親はDV(ドメスティック・バイオレンス)だった」という話を少なからず聞く。

様々な状況の中で、包丁が飛ぶようながあったり、酒乱で暴れることも・・・ ドア一つ向こうの家の中では何が起こっているかわからない。

子どもにとって、父母は一番身近で、愛着をもつ愛すべき人達である。

その二人が、いがみ合い、喧嘩し、大声で罵倒しあう。

しかも暴力まで振るうことがある。

小さな子どもの心は恐怖と、悲しさ、さみしさ、心細さ等々で傷つく。

そうして喧嘩する両親を見て育った子どもは、自分が大きくなって結婚したら絶対喧嘩をしないで仲良くしようと決める。

しかし、本当仲の良い両親を見たことがないため、ただ相手を無条件に受け入れ、自分の意見は言わず相手に合わせているだけというのが関の山である。

上辺はいさかいがなく、平穏そうには見えるが、それが本当に仲の良いことかというと違う。

本来は、互いが言いたいこと言った上で、歩み寄り、合意点を探して、ことを進めていくことであろう。

その過程で、どれだけ自分を出して主張し、またどれだけ相手を尊重し譲ることができるか、これを程よく互いに学習していき、そこに親密さ、絆、信頼が形成され、仲のよい関係が自然とできていく。

またある人は、言葉を交わすから喧嘩になるのだと思い、何も話さないこと決めた。

結果、全く会話のない夫婦となった。

これでは、親密さも絆も信頼も育たない。

夫婦の間でそれが無ければ、子どもともそれを育てることは難しい。

人と人との関係をつくっていくコミュニケーション能力が問われる。

コミュニケーションには、相手の話を正確に聴くことと自分の思いを話し伝えること。

この基礎は、まず子ども時代に父母といかにこの学習を積み重ねられるか。

だから養育場面で、親は子どもの言うことをよく聴くこと。

そこに親や世間の価値観を入れず、正確に聴き取ること、これだけでもかなり難しい。

人は言葉によってつながっていく。

そのつながり方が、争い・対立・喧嘩か、友好的か、もしくはつながろうとしなければ会話もない。

言葉の使い方、会話の仕方から分析場面で学習してもらうことになる。

夫婦喧嘩は子どもの前で、聞こえるところでしないことである。

せめてこれくらいの配慮はあってしかるべきである。


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2009年6月11日

分析家の独り言 231 (インテグレーター・分析家の仕事)

ラカン精神科学研究所のホームページや、オールOK!子育て法等のサイトを見て分析や子育て相談室、分析論講座に来られる方々がいる。

子どもの不登校やひきこもり、非行など何らかの悩みや問題を抱えながら、ネットで何か対策法なり、改善する方法はないかと検索し探す。

例えば子どもが不登校になった。

その子どもにどう接していいのかわからない。

最初は、学校が悪い、先生が悪い、友だちが・・・と人のせいにしたり、何かきっかけがあればまた動き出せる、学校にも行くのではないかと思う。

ところが、月日がたつうち、親もこのままでは子どもは変わらない、動かないのではないかと思い始める。

と同時に、これまでの自分の育て方、子どもへの接し方に何かまずいことはなかったかと考える。

そしてまた、これまで蓋をしてきた自分自身のことをも振り返り出す。

実際に電話等で連絡をして、分析や教室・講座に参加すると行動を起こすまでに、いろいろ悩み、苦しみ、焦っておられたことと思う。

しかし、分析に来るクライアントの語りを聴いていると、ある覚悟が見える。

子どものことと同時に、自分自身を見つめようという覚悟。

こういうクライアントの中には、自然と「自分とは何者か?」という問いかけがすでにある。

私はインテグレーターとして、他の誰でもない、自らこの問いかけをした素晴らしさに一人感動する。

自分と向き合うことはおそらく辛いことで、これまで見ないようにしてきた。

辛いからとそれを無視して、今の悩みや問題が根本的に解決しないことを知っているように思える。

しかし、ただ辛いだけではない。

辛いながらも知っていくことに意義を見出し、自分が変容していく。

そして子どもの心が成長していく。

生きるのが楽になり、今を楽しめるようになる。

子どもと良好な関係を築き、人間関係がスムーズにいき、そこにも楽しみを見い出せる。

そこまで求めないクライアントもいる。

子どもへの対応を具体的に聞きたい。

とにかく子どもが社会適応してくれればいいというのなら、それはそれでいいのである。

クライアントが何を求めているか、どこまで行きたいかであって、それに確実に応えるのが私のインテグレーターとしての仕事である。


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月刊精神分析2009年03月号随筆 精神分析

月刊精神分析2009年4月号 なぜ分析で病が治るのか

2009年6月13日

分析家の独り言 232 (ラカン精神科学研究所HP2万件アクセス)

今朝、当ラカン精神科学研究所ホームページのアクセスが2万件を超えました。

一昨年(2007年)春からホームページの作成にかかり、去年(2008年)10月にアクセス1万件となり、それから8ヶ月。

ブログ『セラピー日記』や『オールOK!子育て法』、『不登校・引きこもりに悩む方々へ』、『月刊精神分析』等のサイトをつくり、精神分析というものを何らかの問題を抱え悩んでおられる方や、一般の方々に知ってもらいたいと思い、日々書き綴ってきました。

クライアントから、「各サイトや、セラピー日記を毎回楽しみに読んでいます」と言われることや、ホームページ等を見たと直接電話をいただき、分析や子育て相談室、分析理論講座に来られる方が増えています。

私としては、どうように表現すれば、精神分析というものが皆さんに理解されやすいかと考えています。

分析を通してクライアントの語りに耳を傾け理解し、クライアントの変化・成長が見え、それを共に喜べる充実感、それは子育ての喜びと共通するものがあります。

毎回何らかの気づきがあるクライアント。

あまり変わらないと思っていた人が、子どもの言動によってこれでよかったんだと思えたというクライアント。

話すだけ話して、「ああ、すっきりした」というクライアント。

とにかく、言いたいこと、聴きたいことをしゃべってそれに答えて欲しいというクライアント。

それぞれ違うクライアントの様々な悩み、歪み、それを理論を基に心の構造を見、紐解いていくオーダーメイドの精神分析。

自分自身が悩み、苦しみ、もがいて辿りついた精神分析でした。

それによって自分を見つめ知っていくことが、こんなに自分を変え、今を楽しめ、更に目標をもって生きていくようになるとは思っていなかったのです。

ただ目の前の問題や悩みを解決するだけでなく、心身ともに解放され、自分らしく生きられ道があります。


あらためて、各サイトを紹介します。

ラカン精神科学研究所のホームページ

天海雄輝野セラピー日記(旧ブログ)

オールOK!子育て法 のページ

不登校・ひきこもりに悩む方々へ のページ

月刊精神分析2008年11月号 私と精神分析

月刊精神分析2009年01月号 運命は名前で決まる

月刊精神分析2009年02月号 私と精神分析 2

月刊精神分析2009年03月号 随筆 精神分析

月刊精神分析2009年4月号 なぜ分析で病が治るのか

月刊精神分析2009年5月号 精神分析家をえらびますか?

2009年6月14日

分析家の独り言 233 (愛と自由と平和を勝ち取る自己革命)

少し前まで、私の横で話をしていた娘が自分の部屋に戻っていった。

仕事をする私の傍らの、網戸にした窓からレースのカーテンを揺らして時おり風が入る。

窓際に植えたムクゲを、今年も大きくなったなどと思いながら眺めた。

何気ないことにホッとし、幸せを感じる。

穏やかな時がここにある。

この歳になってやっとこういう時間をもてるようになったかと、一人想う。

振り返れば、さみしく悲しい子ども時代。

言いたいことが言えず、イライラを抱えながらどうしていいかわからなかった。

本当は人と関わりたいのに、人が恐く、独りが楽と思い込んでいた。

親から言われたああせい、こうあるべきの言葉にがんじがらめで、不安の塊だった。

分析を受け始めた頃、先生(インテグレーター)から「あなたは愛と自由と平和を勝ち取る、まるでフランス革命にこれから取り組むんですね」といわれたことを想い出す。

その通りだった。

それは自分との戦いだった。

まだまだ私には知らないこと、足りないものがある。

それを知り、埋めるために、私に残された時間はそう多くない。

しかし命がある限り、それらを知り、埋めていき、なりたい自分を目指して行けるところまで行く。

36歳の夏、まだ分析が何かよくわからないまま飛び込んだが、自己革命に乗り出していた。

そしてまる15年目の夏がもうすぐ来る。

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2009年6月16日

分析家の独り言 234 (ひきこもりからの脱出)

人間関係がスムーズにいけば、ほとんどの問題は解決するように思う。

親子、夫婦、兄弟、嫁姑、親戚、友人、隣人・・・。

人は他者から自分がどう見られているかを気にする。

変だと思われないだろうか、嫌われないだろうか・・・と腐心する。

排除され、否定され、非難され、拒絶せれ、攻撃されるのではないかと恐れる。

これら見捨てられ不安につながる。

こうなると生きづらく、人と関わるのがおっくうになり、ひきこもりがちとなる。

現実とは関係なく、このマイナスの想像がその人の中でぐるぐるまわる。

ならば、なぜ他人に対してそのようなイメージを持ったのか。

そうなるにはそうなる理由がある。

人を友好的に見るのではなく、敵対視し恐れるイメージを心に内在化する何らかの現実を積み重ねたのだろう。

その最初が、人として生まれて最初の対象である母との関係にある。

後に父、そして家族、それが地域社会との関係に広がっていく。

最初の母との関係につまずくと、それから先がうまくいかないのは当然である。

学校に行くようになると、友達との関係がうまく築けない。

いじめを経験する可能性が高い。

友達がいっぱいいるひきこもりの人を見たこと聞いたことがない。

友達がいないで、孤独で、孤立している。

この人との関係を学習しなおすこと。

それのための第一歩として、分析は養育史を聴いていく。

そこに親子関係や、家族のあり方がみえてくる。

残念ながら我々は、育つ過程の家族のなかで傷ついて来ている。

それは意図的というより、無意識であるケースが多い。

子どもを産み育てる母自身が、またその母から傷を受けていて、それがどんどん下の代にコピーされ連鎖していく。

そうされるほどに傷は大きく深くなり動けなくなる。

分析によって、心的外傷(PTSD)といってもよいこの心の状態を癒し、他者と再結合することをめざすのである。


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2009年6月18日

分析家の独り言 235 (自分の人生を生きる)

人は自分の意思で、自分として生きていると思っている。

ところがほとんどは、私という皮を被って入るが、中身は親である。

多くは母、父の価値観や考え方で動き、それが自分だと思っている。

それでも何とか動けるが、そもそも親と自分は別の存在であるから、他人(親)の価値観や考え方で物事を判断し行動するには無理がある。

生きるということは、常に変化し続けることで、止まることは死を意味する。

自分のあり方をとっても、昨日の自分と今日の自分は全く同じではない。

分析によって、自分を取り返す。

それにはまず、自分のほとんどを占めている親を追い出すこと。

子どもの頃から、親はいいろんなことを子どもである私達に吹き込む。

おとなしくしなさい、お行儀よく、我慢しなさい、勉強しなさい・・・

いろんなメッセージを、まだ物事を判断できない時代に書き込まれてしまう。

それがおかしいと感じ排除できず、そういうものなんだと思い込まされる。

そのことが本当に正しいことなのか、自分に今必要なことなのかを、遅ればせながら今からでも一つ一つ現実吟味し検証しなければ自分の人生は歩けない。

主体性をもつということが非常に難しい。

自分の主は自分である。

自分の中から親を追い出し、一旦空っぽして、そこから自分を築いていく、、欲望の運動を起こす。

自分を持たない親が子どもを育てれば、自分を持てない子どもしか育てられない。

自分を持たなければ、動けなくなる、ひきこもる、ただ動き回る。

私が分析でわかったことは、親の言うとおりにしていれば間違いがない、安全だからと親の言うことを聞かされた。

親の認める道以外は歩くことを許されなかった。

そう思い込まされて生きてきたが、違和感があり、生きづらかった。

自分のしたいこと、好きなことがわからなかった。

何かを真に楽しむということがなかった。

その親の呪縛から離れたとき、見える世界が変わった。

自分の足で自分の人生を歩く充実感。

そこには責任も伴うが、それを自分で引き受け背負う覚悟もできた。

なんと自由で風通しのいいことか。

生きるとは本当はこういうことを言うのだろう。

またなんと死んでいた時間の長かったことか。

人は無意識に気付いて真に目覚めない限り、夢遊病者と同じいう 惟能創理(いのうそうり) 氏の言葉が思い出される。


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2009年6月19日

分析家の独り言 236 (意味の病)

ラカンは人間は意味の病であるという。

もう何年も前、外から帰ってきて家に入ろうとしたら、玄関のドアの前に水の入ったバケツが置いてあった。

当時住んでいた地域では、ゴミ収集車が行った後を水で流すことを当番制でしていた。

そのための水を家人が置いたものだった。

それを見たとき、私の中で「嫌がらせか」という言葉が出た。

その心の声を聞いたとき、ハッとした。

このバケツは何も言っていない、ただそこにあるだけ。

それなのに私は嫌がらせという声を聞いた。

玄関の前に置かれたバケツに「嫌がらせ」という意味をつけた。

何で?

自分が家に入ることを邪魔されているように私は感じたということ。

排除されている、心良く思われていない、そんな想いがあったのだ。

このとき気が付いてハッとしたが、もしかすると私はこれまでも、自分の裡に内在化したマイナスイメージがあり、こういう声を聞いていたかもしれない。

人の言葉を正確に聞かず、自分の無意識に彩られた聞き方をしてきたかもしれないと思った。

そのためにマイナスの意味をつけ、勝手に怒ったり不機嫌になったいたこともあるかもしれない。

これは大変なことだと思った。

病理になると、心の声としてではなくこのバケツがしゃべりだす。

それが幻聴といわれるものでもある。

クライアントも、同じように意味の病を語る。

人の何気ない言動に、クライアントは意味を見出す。

嫌われた、排除されたと感じたり、人が恐いという対人恐怖のクライアントは外に出ると、自分の悪口を言われるとか、攻撃される気がするという。

それでも何とかそのマイナスのイメージに打ち勝とうと、クライアントは葛藤し、心的エネルギーを使い、疲れ果てる。

または外に出られないクライアントもいる。

こういうクライアントにとって外に出ることは大変なことである。

それを一般の人や家族にも理解されず、孤立し、ますます追い詰められていく。

まずこのクライアントの語りに耳を傾け、理解者となる。

そしてどの言葉のまたは行動の何と何をチョイスしたのか、そのチョイスの仕方、どういう意味をつけたかを分析していき、クライアントの無意識に迫る。

ある意味謎解きのようなものである。

しかしそれによって、クライアントがこの無意識の構造に気付けば、そのマイナスの感じ方は修正されていく。


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2009年6月22日

分析家の独り言 237 (子どもを呑み込む親)

母親は自分が親にして欲しかったことを、自分の子どもにする。

それは母がして欲しかったことで、子どもがして欲しいこととはずれる、違う。

例えば、私は子どもの頃あまりおもちゃというものを買ってもらえなかった。

友達が当時流行った、バービー人形やリカちゃん人形の着せ替えをいくつも持っているのがうらやましかった。

それを買って欲しいと言ってもおそらく買ってももらえないだろうと思い、親にそれをねだることはなかっただろう。

女の子が生まれて、まだ小さい我が子に、私はリカちゃん人形を買った。

あれは私が欲しかったのだ。

私の母は私の嫁入りのために、箪笥に溢れるほどの着物を詰めて持たせた。

結婚後その着物は仕付け糸がついたまま眠っていた。

あれだけの着物をお金に換算すると相当なものになるだろう。

しかし私にはそれほど必要ではなかった。

それなら、もっと子どもの頃から欲しいものを欲しいときに買ってもらった方がどれだけありがたかったことか。

あれは、私の母がその親にして欲しかったことではなかったか。

同じことを言ったクライアントがいた。

彼女もまた、かつての私と同じように母の欲望で生きた人だった。

自立した母でないと、我が子を分身と思い、子どもに自分の夢を託す。

親の自己愛を満たす道具にしてしまう。

子どもの意思や主体性は無視され、不適応を起こす。

それが不登校やひこもり、非行、精神的病理であったり、生きにくさとなって表れる。

親自身の欠損を子どもで補おうとする。

それこそ母の分離不安であり、子どもを一個人としてみていない証拠である。

親自身が自分を振り返り、本当の自分に気付き知らないと、いつまでも子どもを取り込んでしまう、呑み込んでしまう。

そして子どもはいつまでも自立できないで、病んでいく。


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月刊精神分析2009年4月号 なぜ分析で病が治るのか

2009年6月23日

分析家の独り言 238 (ひきこもり・ニートへの理解)

ひきこもりやニートと呼ばれる人達は、家でゲームをしたりパソコンでネットの画面を見るくらいで、特にこれといったことをしないで家の中で過ごすのが殆どである。

親や家族は、何もしないで遊んでいると見る。

ところが本人は、何かしたい事もなく、興味を持てるものもなく、何をしていいかもわからない。

傍目からは、遊んでいるようにみえても、これが結構つらく苦しくもがいているのである。

仕事をもっていたりして忙しい母親は、どうせ暇なんだからと、「夕飯のご飯を炊いておいて」と家事を手伝わせたり、買い物を頼んだりする。

子どもも何もしていない引け目があるので、いやとは言えず指示通りに動く。

これは、子どもの主体性の育てる行為ではないので、好ましくない。

まずこのような子どもにお手伝いをさせる指示は止める。

何もしないで遊んでいるように見えるひきこもり・ニートである子どもの今の状態を認めるのである。

更に、家族にはひきこもっている本人のしんどさや苦しさを理解して欲しい。

ところが「真面目に一生懸命頑張ってきた」親は、子どものその状態を認めることが難しい。

なんで私はこんなに頑張ってきたのに、あなたはそんなに何もしないで遊んでいられるのと言いたくなる。

だとすると、今度は親のそのが問題になる。

親が、自分が好きな事を自らの意思で「真面目に一生懸命頑張ってきた」のなら、そうしてきた事に納得しているわけだから、子どもにも頑張る事を強要したり、頑張らない子どもを責める事はしない。

ところが親の「真面目に一生懸命頑張ってきた事の内容」が、親自身にとって不本意で、嫌々そうするしかなかったり、自己犠牲を伴うものであったりすると、子育て自体が子どもに対して恩着せがましくなり、子どもにも頑張れと言いたくなり、子どものしんどさを理解する事ができない。

子ども時代に自分が好きでそれをしたくて頑張った事と、親に嫌われるのを恐れて、仕方なく頑張ったのでは、自ずと取り組む姿勢・想いが違う。

嫌々するというところには「主体性が欠如」しているのである。

そうするしかなったと思うかもしれないが、本当にそうだろうか?

自分の言いたいことを言う勇気がなかったか?人からの評価を気にしたということはなかったか?

結局親自身のあり方が問われる。

ひきこもりやニートの子どものために、自分を見つめ、自分が変わらなければと母親自身が分析を受ける方々がいる。

自分の養育史を辿り、自分と向き合いながら、子どもへの理解が生まれてくる。

当然子どもへの想いや接し方が変わり、子どもに少しずつ変化が見られる。

子どもを持つと、子どもから色々な問題が提示される。

それとどう向き合うかで、その人の生き方が問われるのである。


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2009年6月30日

分析家の独り言 239 (マイケル・ジャクソン)

この度のマイケル・ジャクソンの突然の死亡報道には驚いた方々が多かったことだろう。

私が気になっていたのは、整形手術を繰り返しマイケル氏の顔、特に鼻の変容ぶりだった。

整形をし始めたきっかけは1979年のステージの床に鼻をぶつけ骨折するという事故であると聞いた。

更に気になる記事があった。

幼少時、父親がマイケルの顔を見ては「なんだそのでかい鼻は。俺の家系(遺伝子)からではない」と散々罵倒された劣等感の反動からくる補償行為だとも言われている。
(ウィキペディア:マイケル・ジャクソンの外観 より)

あれだけ鼻の形が変わっていくには何か理由があるはずと思っていた。

しかも繰り返される整形手術の度に、どんどん鼻が崩れていくように感じた。

子どもにとって、身体に関する親の言葉は非常な影響力がある。

褒め言葉ならいいが、けなしたり、否定した言語は絶対に言ってはいけない。

親に否定された身体部分は、その人から抹消されることもある。

それは例えば、後に切断という形でその身体部位を失うというように。

また、天然パーマの髪の毛を、親に「なんだ、そのクルクルの髪は」と言われた女性は自分の髪に関心を持てず、年頃になっても気を使わずボサボサのままだった。

あからさまに、自分の子どもに「ぶさいく」だとか、「デブ」だとか言う親もいる。

親は何気なく言ったつもりでも、子どもを深く傷つけてしまう。

マイケル氏も、父親の「なんだそのでかい鼻は。俺の家系(遺伝子)からではない」の言葉がなければ、あれほど鼻の手術をしなくて済んだだろう。

自己イメージに歪みが生じ、何度手術しても父親に否定された言語を自分で消し書き換えないかぎり、マイケル氏はもうこれでいいと納得できなかっただろう。

「俺の家系(遺伝子)からではない」ということは、自分の子どもではないと言っているのと同じ。

じゃあ、自分はどこの誰の子どもなんだ、本当の親はどこにいるのかと思うだろう。

自分を支える根底が揺らぐ。

人は、自分を支え、見守り、どんなときも見方となって理解してくれる、そんな人がいてくれたらと願う。

それができるのは、まず親である。

その親に否定され認められないで、悲鳴をあげる、暴れる、自分か他人を傷つける。

いつも思う、この世に一人でも自分の話しに耳を傾け、自分を理解してくれる人がいたら、人は生きていける。

あるクライアントとも話した、秋葉原の加藤被告に、一人でもそういう人がいたら彼はあそこまでの事件を起こさずに済んだだろうと。

分析において、インテグレーター(分析家)は、クライアントの理解者となる。


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金谷氏今月のメッセージ (平成21年6月)

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)
  テーマ「法で裁けない罪」
 最近、精神科・心療内科から当研究所に来所される方が増えてきた。
医師に不信感を抱き苦しんだ果てに捜し求めて来る。医師がおかしいと気付かれる方は早くて一年、少なくとも3年はかかるようである。
電話帳とHPを見てだが、折角問い合わせてきても保険が利かない上に一回・一時間10000円もする。
どの様な治療をされるのか?の問いに「言葉で治療します」と言うと・・・・・・・・・益々分からなくなり、医師に不信感を抱き、猜疑心の固まりの様な状態である為に、治療契約が成立する方は数名にすぎない。
それでも、その難関を突破して、面談に漕ぎ着けた方には精神分析のすばらしさを理解してもらえる。
 今回その中のお一人、Tさんを紹介したいと思います。
 某市役所に勤めておられましたTさんが、TOPに不信感を抱き耐えられなくなって、苦しんだ挙句「うつ病」と診断され、精神的に追い込まれ登庁出来なくなってしまった。
方法が分からずしかたなく心療内科にて受診され、投薬中心の医師の対応に不信感を抱き、納得できず、当研究所を訪れた。
面談した所「うつ病」ではない。それどころか役所のやり方やTOPに対しての評価が正しく判断出来る。
そのやり方などに目を瞑りそれを押し切ってまで登庁しなければならないメリットは何もないと答えが出てしまい、役所には行きたくないと決めただけで、意味もなく登庁できないという出社拒否ではない。という事が分かった。
だから、見た目は元気だし到底「うつ病」には見えない。 故に医師は「怠けている」と思い込んで治療にあたっている。
 Tさんにとっては、心外であり事実を説明しようと思っても10分間診療では何も伝える事が出来ない。無理してまとめて省略して伝えたら怠けて・行きたくない=言い訳・にしか取らない。
でも、そんな所にも診療に行かなければならないのは「休職」と言う制度を利用して回復しなければならないからである。
それには「診断書」が不可欠だからである。ある意味そんな所に通院しなければならない方が、うつ病になりそうである。
原因も分からない。治療は、投薬だし、気持ちは理解してくれない、行く意味がない・・・と言えるのは正常であると思う。
 それよりも役所に行けなくなった事には、必ず理由・原因が有る。その原因が分かれば治る。実はその原因は自分の考えられる範囲には無い。意識の世界には切っ掛けはあっても原因は無い。自分には考えも及ばない所にある。
この様な状態に陥る人は頭もいいし仕事もバリバリしていた人で自信がある人なのである。
それ故に自分で「何でこうなってしまったのか?」と問いかけても分からない。
自らの力に不信感を抱き落ち込むのである。そこに自分がまったく知らない「無意識」の世界が有る。
見えない世界に答えがある。そうはいっても俄には信じることは出来ない。当然の如く医師にこの事が通じる訳も無く、一笑に付されて終わりである。
家族も友人も同僚達も真に理解出来ない為、ただ単に励ますだけで本当の手助けは出来ない。
医師もダメ、家族友人同僚も・誰も分かってくれないと思い込み孤立無援になり、最悪「命を絶つ」と言うことになる。
クライアントのTさんは、病院は診断書をもらう所、心は分析でと、割り切って戦うと決められた。
それでも、分かっているものの病院に行くのは憂鬱で、役所に診断書が必要になる為仕方なく通院すると言う状態である。
 ある日、医師からショウトケアに参加するようにと半ば強制的に言われた。逆らうわけにも行かず無理に参加したが何の利益にもならず余計失望してしまった。
今回お話したいのは、Tさんが体験したこのショウトケアでの出来事なのである。
ショウトケアに参加し始めて1年程度になる。2・3週間に一度の割合で・・・途中2ヶ月ほどブランクあったりと、そう真剣には参加していなかったが、しばらくぶりに参加してみると参加メンバーも随分と変り大半が30代で、いつの間にかTさんは最年長になってしまっていた。
この出来事が起こったのは、いつものように10人ほどで本の輪読の後「先週の振り返り」と言って、各々が立てた目標の達成具合やそれ以外の出来事などを簡単に発表していくコーナーの時間だった。
その中で必ず参加している30半ばの男性の事だが、彼は薬のせいか・・話し方もゆっくりしていて搾り出すようなたどたどしい言葉で「先週は・・・・・・ストレス・・・の・・・かなりストレスの・・・・かかる・・・・ことがあり・・・まして」と話すのに躊躇しながらも何とか話を続けた。
彼は、職場から障害年金を申請したらどうかと勧められた。それには最初に診察を受けた病院の診断書が必要になり、4年ぶりにその病院・心療内科へ再度訪れた。
(過去、2・3度通ったが医師と心理士が2週間ごとに交互に診察するシステムでその診療方針が合わず辞めた所である。)
 再診察を始めるやいなや、いきなり医師から「あなたの精神年齢は低すぎる!」と叱られ、彼は驚きと同時に怒りすら感じた・・・が診断書を出してもらう手前、頭を下げて誤った。
取り合えず、診察は進められていき、最後に彼は医師に尋ねた「この頃疲れやすいんですが・・」と言うと、医師は腕時計を指差し激しく怒鳴りつけた。「それは現在かかっている先生の治療が悪いからだ!もう5分経っているのですよ!待っている人の事を考えないのか!」と・・・・
彼はその時の事を話しながら唇は小刻みに振動、声は震えていた・・・・・医師の胸倉をつかみたい心境だったと言う。
「ぼくのこと・・・を・・・2・3度・・・・しか診察・・・しないで・・・、こういう病気だと・・・・・言うことを・・・・知って・・・いるくせ・・・・・に・・・・・」・・・・・・
かれの憤りの激しさが他のメンバーにも伝わった。許せない彼は保健所へ訴えたが「指導します」と回答を得てひとまず納めた。
が、「でも眠れず何度も泣いて・・・」「お金は要らないんです。・・・ただあの医師・・・に刑事罰・・・を与えたい・・・どうしようかと・・・」「訴訟をした方がいいのか・・・・忘れた方がいいのか・・・迷っている」と彼は言った。
この話を聞いていた心理士は、わざと知らんふりをしうつむいていた。
ショウトケアの終わりに感想を述べるコーナーで彼は「・・・・・親身になって聞いて・・・・・・くれて・・あり・・・がとう・・・ござ・・・・・・・・・・・・・・・・」と声を詰まらせ最後には言葉にならなかった。
 こうして「心療内科」の医師達は人の一生を破滅させて行くのだと言っても過言ではない。
この話をTさんから聞いて、私は精神分析をしていて良かったと、今本当に思った。
精神分析は「言葉で治療する」これは言葉で人を生かしていくと言うことである。
心療内科は逆に「言葉で人を殺し薬で治療してるのだ」と。これは法律では裁けない。これほどひどい状態でありながらどうすることも出来ないのが現状なのだ。
厚生省も法律もこれを裁く事は出来ない。日本には監視するシステムは無い。それを良い事に自らの主観を元に治療はやりたいほうだいと言われても仕方ない。我々が指摘しても聞く耳を持たぬ。反省もしない。あらためようともしない。我々に聞いてくる謙虚さも無い。これは天下の大罪である。。
Tさんは「かれはよく自殺しなかったなあ・・」と思いました。と言われた、同じ状況にあり、彼の思いが本当に分かるのはTさんなんだと私は感じました。
精神を治療する為には知識・理論が必要である事はもちろん《人の痛みが分かる人》でなければならない。それには医師も最低5年間の教育分析を受け精神とは何かと言う事を知る必要があると強く訴えたい。!!
所長  真理攫取

金谷精神療法研究所

ラカン精神科学研究所 のホームページもご覧ください

参考:月刊精神分析09年05月号 特集 精神分析家をえらびますか?

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