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分析家の独り言 294 (変容、母をあきらめる)

クライアントは分析を受け、自分でも気付いていく。

分析を受ける時間だけが分析ではなく、分析と分析の間、常に頭が思考が巡る。

自分で気付いたことを分析場面で報告し、それについてまた話しあったりもする。

「よく気付いたな」と感心することも多い。

分析の時間に気付くことと、日常生活の何気ない瞬間に突然「そうだ」とひらめいたり、子どもや人間関係を通してわかることもある。

私の場合、逆転移して円形脱毛ができたり体が動かなくなったことがあった。

自分でクライアントの何に刺激されたのがわかるときと、わからないときがある。

当然逆転移したときには自分で一生懸命それを探す。

それが私のまだ解消されないコンプレックスだからである。

わからないときは分析を受け、無意識を意識化する。

「あなたはまだ、母に甘えたいと思っている。それを今も望んでいる」と分析者に言われた。

それでもピンとこない、しっくり自分の中におさまらない。

分析を受けて親に甘えられるようになったクライアントを良かったなと思う一方で、自分はそんなこともできなったという思いが、分析中に一瞬だがよぎったことを覚えていた。

甘えらえなかった自分はこれまで散々語り、そんなことはもうわかっていることと思っていた。

しかし、そのとき甘えているクライアントを羨ましいと思った自分がいた。

それを自転車に乗って買い物に回っているときに思いついた。

そうか、甘えているクライアントを羨ましいと思ったということは、それを望んでいる自分がいるということ。

フロイトは「子ども時代はもうない」と言った。

私はまだ子どものまま、あの母が私を甘えさせてくれることを待っていると分析されたのか、それは当たってる、確かにそうだと自分の中にストンと落ちた。

子ども時代を象徴する言葉は、『競争と羨望』である。

羨ましいとは羨望だから、私は子ども時代が終わらずにいるということだ。

それならば「大人とは何か?」を考えた。

大人とは、自分に欠けている母に甘えることを他の事・人に置き換えて今の大人の自分として満たすことであるとわかった。

これが母から分離し母をあきらめることでもある。

「よしこれでいい」、すっきりした。

分析を受けて15年、こんなことを繰り返し自分を見つめ、子どもの自分を成長させてきた。

と同時に、母というものが我々に与える影響力の大きさを今更ながら思い知らされる。

分析の初期クライアントは言う、「もう母のことはいいんです」と。

本当にもういいで済むことではない。

分析によって整理をつけ、本当の意味で「母をもういい」と言えたときの開放感、充実感を味わえばわかる。

この母をあきらめることを=母殺しという。

この苦労しがいのある苦労はして来てよかったと思う。


ラカン精神科学研究所のホームページ

 月刊精神分析2009年11月号分析を受ける


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2009年11月29日 09:54に投稿されたエントリーのページです。

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