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金谷氏今月のメッセージ アーカイブ

2010年2月27日

金谷氏今月のメッセージ (平成22年2月)

以下は分析家仲間の真理攫取(金谷)氏のHPにある今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。

テーマ「親の支援」

 人は何かをしたい、何かになりたいと思っても何をしていいのか分らない。やりたい事と出来る事は違う。

世の中で大成功している人はどうして成功したのか?どうやってそれを見つけそれになれたのか?

 一つは親の支援が大きい事である。親の絶妙な対応の素晴らしさを紹介してみよう。まずは「石川遼君」である。16歳でプロゴルファーになった。お父さんは「遼」と命名したのは、遥かかなたまで突き進んでほしいと言う願いを込めてつけたそうである。

そして、この子は何ができるか?と言う事を知る為にやりたい事を何でもさせた。また、子供が自由に駆け回ることが出来る家を購入しようと郊外に求め、自分は通勤時間が倍の2時間かかるようになったが、そんな事、全然苦にならなかった。子供の為ならば、自分の趣味に使っていたお金をローン返済に回したり、自分のゴルフクラブを切って子供用のクラブを作って遊ばせたりもした。

それが今のゴルファーのになるきっかけでもあった。 親は子供の夢を否定してはいけない。夢を持たせ言葉にさせて具体的な目標を決めさせそれを支援して行く。遼君は「世界一強くて世界一好かれる選手になりたい」である。

 次に発明王トーマスエジソンの話である。周知のごとく蓄音器、白熱電球、映画用カメラ等を発明し生涯で1093の特許を取得している。

彼は小学校を中退している。それには理由がある。ある日エジソンは教師に「エジソンお前の頭は腐っている」と言われた。それを聞いた母は学校に抗議に行った。すると教師はこう説明した。「エジソンは授業中にばかげた質問ばかりして授業を妨害するのだと」

その質問の内容は「先生、なぜ風が吹くの?」「何故空は青いの?」・「何故魚はおぼれないの?」何故? なぜ? と連発をする。

又、1+1=2だと教えたらエジソンはコップの水は2つ合わせると1つになるから1+1=1じゃないかと言う。

エジソンのお母さんは子供が何故どうしてと質問するのは、当たり前の事ではないか、と言ってエジソンを家に連れて帰り、そのまま退学させ教師だった母が勉強を教えた。

 そして実際に現実を見せてエジソンの対応をした。ある時エジソンがアヒルが卵の上に座っているのを見て何をしているのか?「卵を温めないと中のヒヨコが生まれないの」と教えたら、その日からエジソンは自分の体で卵を温め始めた。

「2日間温めたが何も起こらなかった。母親は「2日間でヒヨコが生まれないという事が分かったのだから良かった」と叱らず、失敗しても学ぶことが出来ると教えた。

後に一緒に百科事典を調べ、卵は3週間以上温めなければ生まれない事を知る。子どもが興味を持ったものは否定せず、共に味わい・共に学ぶと言う事である。

 故・松下幸之助氏は、こう言っている。「成功する為には成功するまで続ける事である。途中で諦めて止めてしまえばそれで失敗である。」と

もう一人・手塚治氏の話である。手塚氏の母は漫画の読み聞かせをした。それも台詞をキャラクターごとに変えて読んだ。そのお蔭で子供時代にとてもワクワクしたり感動したりしたと語っておられた。

その影響か漫画を画くようになり、その画いた物が友達の中で評判になり人気者になった。祖父は医者になってほしいと願ったが、お母さんは「医者と漫画家と本当に好きなのはどちら?」と尋ねたら、彼は「漫画」と答え、母は「それほど好きならば東京に行って漫画家になりなさい。」と言ったという。一般的にはどう考えても「医者」であろう。しかし、それを子供の選択に任せた母親は素晴らしいと思う。

 最後にキュリー親子、二度にわたりノーベル賞を受賞した物理学者である母親は、物理学に一途に打ち込み、身を構うことも無く娘から見ても決して美しいとは言えない。自分も構ってくれない。

物理学を恨んでいた。キュリー夫人はそれに気付いて、物理学の研究所に連れて来て、側に置いて世話をしながら研究をし、その結果娘さんも物理学に興味を持ち、ノーベル賞を受賞するに至ったのです。

 母親は子供に真実の姿を見せて教えていくという方法もあるのである。親は子供の事に深入りせず自らはあるがままを見せて共に生きる事である。

                                 インテグレーター  真理攫取

金谷精神療法研究所


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2009年12月25日

金谷氏今月のメッセージ (平成21年12月)

以下は分析家仲間の真理攫取(金谷)氏のHPにある今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。

テーマ「言葉の力」

 精神分析は言葉で治療をすると何度も言ってきた。これも言葉で表現している。
言葉を説明するのにやはり言葉を使う。言葉が無ければ何も分からないし、何も出来ないと言うことになる。人間に取っては一番大事なもので、絶対に必要なものである。それほど大切なもので必要なものを人間は、有効的に使っているだろうか?

 人を非難したり、悪口を言ったり、うそをついたり人間の心を無神経にも傷つける言葉、傷ついた人達が分析におとづれる。そこには親から「刻印」とも言うべき言葉を埋め込まれ、その言葉に苦しめられていることが浮かび上がってくる。

 治療は、この言葉を見つけるべく夢分析を使いながら探っていく。そして原因に行き当たれば、激しい情動と共にクライアント自ら語る。その状態で言葉にしたときすっきりし、自ら気付き受け入れて終わる。

 言葉はこれほどまで苦しみ心に打撃を与える。これは言葉が悪く働いていると言うことである。そうであるならば逆に良くなる力もあるのではないか、と思っていたがそれを証明する結果に出会えた時はっきりと分かった。

一般的にも恩師や先輩、友人・親からの一言が自分の人生を変えたと言う事を経験した人も少なくないだろう。また、自分自身を奮い立たせ励ます「言葉」を持っている人もおられるだろう。俗に言う「座右の銘」である。
 因みに小生の座右の銘は「絶対に諦めない!/ネバーギブアップ」である。聖者といわれる人は必ず言葉を残している。イエスは「山上の垂訓」を残し、お釈迦様は残されているお経全てに語られている。日本では戦国武将が旗印に文字を掲げた。今年の大河ドラマ「天地人」に出ていた上杉景勝の執政「直江兼続」は「愛」の文字を旗と兜に施していたのは記憶に新しいところであろう。

 又、その武将が死ぬ時「辞世の句」を読んだことは有名である。吉田松陰の歌は「親思う心に勝る親心、今日のおとづれ何と聞くらん」親の子供を思う心の深さを読んだものである。

こうして言葉で存在を示し気持ちを伝えている。戦場では、士気を鼓舞するのに役立ち「辞世の句」では、自分がどう生きてきたかを語っている。

今回EXILEがアルバムを出した。その中にマニフェストが入っていた。実は今年の初めに今年60歳になって生まれ変わる時期に何か自分のマニフェストを作ってみようと思っていた。6月頃に頭の中では出来てはいたが、誕生日に発表しようと思っていたらEXILE」が先に発表したのを見たとき、まったくとは言わないが自分が考えていたものと同じであったことに驚いた。僭越ですがここに披露してみたいと思います。小生のマニフェスト

1、幸せな自分をより幸せに向かい幸せな人を造っていく

2、夢を諦めず追い続けて行く

3、全て愛が必要、死ぬまで人を愛していく   である。

EXILEのマニフェスト

  1、「LOVE」愛を信じる愛を基準にする

  2、「Dream」夢を追う夢を応援する

  3、「Happiness」幸せに生きる幸せを共にする  である。

さすがEXILEは上手く作っている!

なのでこれを使わしてもらおうと決めた。この言葉通り生きていく。生きた言葉を使える人間を目指して、分析に磨きをかけていこうと心に誓った。

                 インテグレーター 真理攫取

金谷精神療法研究所


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2009年11月26日

金谷氏今月のメッセージ (平成21年11月)

以下は分析家仲間の真理攫取(金谷)氏のHPにある今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。

テーマ「天皇陛下」

 今上天皇陛下が即位されて20年になられる。
日本独特の刀世一系125代まで続いている国はほかにはない。
今上天皇は先の戦争に敗け、日本国憲法において国民の総意に基づいて日本国及び日本国民統合の象徴と規定されてから初めて象徴天皇を貫かれた。
常に国民と共に国民の目線で語られてこられた。
 125代の中には悲劇の天皇もおられ、天皇が北と南に別れる南北朝時代等、ご苦労の時代もありましたが、その事により国が変ったり他国に乗っ取られると言う様な事は無かった。
他国では政権を奪い合い革命を起こして軍部が支配したり、他民族が支配したりして国の情勢が混沌とし、国民が苦しめられたりするが、日本では一切そういう事もない。
 昭和天皇が崩御され、今上天皇が即位された時も静かに何事もなく立派に平成に移行した。
我々の時代には、天皇陛下がどういう人かと言う事を、学校や老人・知識人からよく聞かされた。天皇陛下になるには三種の神器が備わっていないとなれない。道具で言えば「鏡」・「玉」・「剣」の三つであるが、これは物を持ってればと言う事ではなく、この物が象徴とする心が備わっていないとだめだと言う事である。
それは、「鏡」=智  「玉」=仁  「剣」=勇  である。
智は、この知では無い。大自然の法則をも理解できる智。
仁は、世界平和が樹立出来る大慈悲心。
勇は、勇気であるが悪なるものを一刀のもとに切倒す勇気の持ち主でないと天皇にはなれない。
これは、日本国民全ての人々にも備わっていなければならない。
これを「大和の精神」と言う。
 しかし、先の戦争でこの精神は戦争を引き起こす悪しき心だと、とんでもない方向に追いやられてしまい、以後、子孫に伝える事を学校教育も親達も止めてしまった。
我が国には、こんな立派な伝統精神が存在するのに誰も知ろうとしないし、学ぼうともしない。
それ故に経済大国にはなったが、精神大国ではない。
今の世の中は、敬わなければいけない老人を騙し振り込め詐欺をしたり、簡単に人を殺し金品を奪い、又、自分の産んだ子供を虐待し命を奪ってしまう。
思いやりや労りの心など何処にあるのか?
 皇室はいつも国民の手本になられている。陛下のお言葉の中にその心が良く現れている。
即位20年記念行事式典での陛下のお言葉に、先の戦争で失われた人々の命や外国人の人達の命も、多く失われた事にまで心配りをされ、戦後の日本の復興は戦後を支えた人々の、計り知れぬ苦労より成し遂げられたものと国民を称えられた。
陛下は外国にも目を向けられベルリンの壁の崩壊、ソ連邦の解体により新しい世界になると思いきや今だ、各地域で紛争が絶えない事に心を痛めておられる。
そして今日、我が国民に対し数々の困難に直面しているが、人々が互いに絆を大切にし英知を結集し、相携えて努力する事により忍耐強く困難を克服していけるように願われておられる。
 この広い暖かいお心を国民は学ばなければならない。そして一番嬉しかったのは、大好きなEXILEが両陛下の前でダンスパフォーマを披露し、秋元康さん作詞の奉祝曲をATUSIさんとTAKAHIROさんがみごとに歌い上げてくれた事に感動した。
世代間を越えての祭典、心打たれ何か明るい未来を感じた。
ATUSIさんは10日も前から身を清め早寝早起きを心がけ、当日に備えた心意気に感銘し一段とまた、ファンになりました。

                 インテグレーター 真理攫取

金谷精神療法研究所


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2009年10月29日

金谷氏今月のメッセージ (平成21年10月) 

以下は分析家仲間の真理攫取(金谷)氏のHPにある今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。

心=精神

心即ち精神と呼ぶ。

心=神と言うことになる。

 昨年から始めた「ご縁の道心の旅」出雲大社を皮切りに、第20番まである神仏霊場を巡る旅を昨年は第一番から8番までお参りさせて頂きました。

思わぬ出会いとまったく知らなかった事を初めて知る、という事が得られた有意義な旅だっだ。

今年は第9番から始まり第16番までお参りさせて頂きました。

精神分析と言う心の勉強をしている我々に「心=神」であるならば何か共通なものがあるのではと試み始めた旅ですが、やはり想像以上の収穫が得られた。

昨年の事を振り返れば、色々な事が勉強出来た。

 10月は神無月といい、全国の神様が出雲に集まる。だから出雲だけは「神有月」だという。それでは何故全国から神様が集まってくるのかと言えば、火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)を生んで亡くなった母・伊弉冉尊(いざなみのみこと)に会いに年一度の里帰りして来るのだと聞かされたときすごく納得した事を覚えている。

神様であっても母を慕うのだと、人間にあっては当たり前であると感じた。又松前藩初代藩主・松平直政公の生母月照院が祀られている月照寺に行った時、そこには初代から9代迄歴代の藩主が祀られている中に、生母の墓が一番大きかった事に驚き、ここでも母への思慕の大きさに驚き感動した。

精神分析は色々な問題の根源は親に有り、分けても母親に大きく影響されるのだと学んでいる。それが神代の昔からあったのだと分かった時、普遍的無意識の存在をまざまざと見せられた。

この貴重な事を教えてくれたのは出雲の神仏であった。

9番目大山神神社奥宮から今回の旅のスタート、非常に良い天候に恵まれ道路も車も少なく快適に走行することが出来た。何か我々の目的を受け入れて頂いているような爽快な気分で向かうことが出来た。

最初の大山神神社は大山のふもとに有り少し高台に鎮座されており、坂を上がって行かなければならない。事前に下見をしてくれていた遠藤さんという方の情報により普通の靴よりは登山靴の方が安全だと言う事で準備をして出かけた。お蔭ですんなりと上り下りも出来た。気温℃9と少し寒いと言う感覚であったが、気を引き締めるには丁度いい環境だった。

今回の旅、神仏はさることながら行った人の表現から色々と勉強になる事があった。

参加者の一人が大山神神社に参拝中靴底が取れてしまった、その場では笑い話で終わったのだが、これがとても良い勉強で・・・・・

ラカンの分析は意味より形式でとらえる。靴底が取れた意味よりもそうなった後どうなったか?やわらかいウレタンのようなものだけになり、そこに「小石」がたくさんくっついて"歩きにくい"と言った。

この表現から分析では、大地=母と定義する。 「小石」がくっつく=「小石=恋しい」
「母が恋しくてくっつきたい」になる。

昨年の旅同様、やはり母への問題が関わってきた。ラカンの分析はこのように言葉で表現できないものは、体を使って行為・行動で表していると読み取る。

又、神社の事で一つ勉強した事は地の国の出雲にあって、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の伝説が多く見られる。第14番目の八重垣神社にお参りをした。何故この名が付いたのか。素戔嗚尊が八岐大蛇(やまたのおろち)に人身御供として差し出されようとした稲田姫命を八重垣を作りその中に姫を入れて守り、勇敢に八岐大蛇と戦い退治した。

そしてめでたく二人は夫婦になったことから以後、縁結びの神様として信仰を集めている。

男は女性を命かけて守る、それが男の中の男「日本男児」であると言う事の伝説である。

私がいつもこの欄を使って書いている・母とは?男とは?と言う事だが、出雲には伝説として有る。我々の行っている事・学んでいる事は間違いないと又確信を得た。

来年は締めの年、最終は17番から20番まで何を学ばせてもらえるか今から楽しみにしている。


   所長  真理攫取

金谷精神療法研究所


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2009年10月 2日

金谷氏今月のメッセージ (平成21年9月) 

以下は分析家仲間の真理攫取(金谷)氏のHPにある今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)

 テーマ 「 変 容 」

 精神分析を受けるとどうなるか?
「今の自分とは違う自分になれる。」 人は皆自分の事は良いと思っていないし好きでない。そう思っているが故に意識上では良く思われたい、よく見せようと無理をして苦しむ。
だから、自分を変えたい・変わりたいと強く望む。
分析で変える事が出来ると思い、足繁く通ってくる。
分析で人を変えることが出来るのか?答えは「出来る」である。
 しかし間違ってもらっては困る。
私〔分析者〕が変えるのではなくクライアント〔依頼人〕が、変容していくのを支援し、お手伝いするだけで、一切分析者の個性・価値観は表に出さない。
クライアントは自らの欠損に気付き、それを受け入れ、何故欠損してしまったのか養育史を遡りながら、その原因を知りそれを改善していく。
そこには長い歴史があり信じがたい真実がある。
わかっていても受け入れることが出来ない。
悩み苦しみがありそれを解決していくにもその原因が過去にあるという。
其れはそのまま信じる事は出来ない。
幼少期・幼児期に受けたものが大人になった今、それが原因で起こっている事など理解できない。
自分が変わりたいのにそんなに遡らなければならないのか、まったく繋がらない因果関係に困惑する。
だが人間は学習した事以外は出来ない。
不幸を学習すれば不幸を繰り返して行動しているだけなのである。
ならば、幸福を学習すれば幸福を繰り返すのではないか。
 悩みを解決し自ら変容する為には理論を信じ、自らの欠損を認め過去を捨て〔フロイトは、子供時代は無いといった〕勇気を持って新しい自分を改革していく。
古い自分と戦いながら新しい自分を取り入れ、新たな行動をしていく。
非常に根気が要る。何度も挫けそうになりながら"絶対諦めることなくやり抜いていけば必ず良い結果が生まれる。
 9月13日、日本が生んだスーパースター「イチロー選手」が、9年連続シーズン200安打のメジャー新記録を樹立した。108年前ウィーリー・キーラーが記録した8年連続を上回る新境地に立った。
この偉業の影に、我々が知る事のない並々ならぬ努力がある。
圧し掛かるプレッシャー、自ら選んだ道とはいえその重圧は一言では言い表す事はできないであろう。
だが、イチロー選手は我々と同じ人間で、特別な人ではない。何が違うのか?
自分を他者の目から何時も見ている。
試合が終わるとビデオルームに駆け込み、今の自分のホームを入念にテェックし厳しく評価した上で速やかに改善する。
今の自分が最高にすばらしく完璧だとは思っていない。
世界の頂上の立っても、尚且つ上を目指す。そこには冷静に自らを評価する力と速に改善できる力がよりすぐれている所が違う。
そこには《日々の努力》が生きている。今の自分が最高ではなく、常に反省と変容を繰り返す事により進歩し新たな自分を塗り替えている。
その結果として記録が塗り替わる。イチロー選手は記録を塗り替えようとしているのではなく自分を変えていくことに努力している。
それはプロ野球全体を変えていくことになるからである。
 分析はイチロー選手が独学でやっている事を理論で行っている。
今の自分は親によって作られた自分。
それを本当の自分に変えていくことが目的なのである。
周りとの戦い、自分自身との戦い、誰にも理解してもらう事の出来ない世界、
しかし唯一無二の人間を作るのではなく、誰もがイチローになれると言う事なのである。
精神分析は病んでいる人、異常者など何か問題がある人達が行く所だと思っている。
これは間違いである。
そういう人達も必要としているが、本来の目的は「自己改革」なのです。ユングは「自己実現」と表現した。これは宗教で言うならば「悟り」を得る事と同じなのである。
言うならば全ての人に必要だと言うことである。
私も20年前迷って大沢氏と出会って、自らを変えないと何も変らない、まともに生きていく事も出来ないと分かって学び始めた。その時ノートの表に書いた言葉が「自己革命」「self revolution」だった。
                   所長  真理攫取

金谷精神療法研究所


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2009年8月26日

金谷氏今月のメッセージ (平成21年8月) 

(以下は分析家仲間の真理攫取(金谷)氏のHPにある今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)

              テーマ『父=男とは?』

 何度となく父親とは?男とは?と・・・書いたことがあるが、最近頓に情け無い男が増えて
いる。以前にも述べたが、私自身も2歳のとき父が病死し、何も記憶の無い時に分かれている。その為に父親像・男性像がまったくと言っていいほど無かった。
幼少期から父がいないから母を守らなければならないと、周りの人達が会うたびに毎に絶対と言っても過言ではないくらい言われてきた。


しかし、守るとはどういう事か・男が何か分からない。

 ただ幼心にプレッシャーだけが圧し掛かる。親の思いや自分の考えとは別に、男性性が身について行かなかった。疑問に思っても教えてくれる人がいない。やろうと思ってもやり方が分からない。

 出来ない事が悔しくて、ただ自尊心を傷つけない為に「出来る」と言って上手く逃げたり、
うそをついてでも自分を守ってきた。

悪いのは人でよい事は自分。だんだん遊ぶ友がいなくなり、誰も相手にしてくれなくなった。
悩みながら成長していた頃、小学六年生の時だったが、男性の担任教師に出会った。

先生は、野球が好きでジャイアンツファン、そして男子生徒には男とは何か?と常に語っていた。まさに「男性とは」を求めていた私には先生の語る内容に興味津々であった。

その先生の信条は「陰でこそこそするな! うそをつくな! 悪いと分かれば正直に認め、 謝罪しろ! 説明はしても言い訳はするな! 喧嘩は道具を持つな! 喧嘩する時は必ず
1対1でしろ・集団でするな! 弱いものいじめは絶対にするな!」

そして先生の尊敬する人物は、故・連合艦隊司令長官の山本五十六という冷静沈着で思慮深く、決断力・判断力に優れ、部下に対しても厳しくもあり又優しさにも溢れた人だった。

先生は、「男の中の男」と何時も長官を絶賛していた。
その影響もあり、自分で山本長官の事を書いている本を全て読み、上映された映画も全部見て自分の目標とする男性像に作り上げた。しかし、これで男を知り男性像を作る事は思うほど簡単ではなかった。

自分を守る為や自尊心を保つ為に、責任転嫁したり平気でうそをついたり都合が悪くなると逃げ出してしまう。

全然自分の目標と違う状態だと言うことに気が付き、どうすれば・・・・・・・と思ってる時に

精神分析を知った。大沢先生との奇跡的出会いである。

自分が男として求めてたものが・漠然としてたものがこの出会いで一気に解消出来た。

大沢氏は頭脳明晰・語る言葉は的確に要領よく短く分かりやすい。

これだけだと冷たく味気ないが、その上に人間の心を良く知り思いやりのある暖かさも感じる。これだと思った。

男とは論理的思考性に置いて物事の真理を的確に捕らえ、正しく分析し自分の言葉で相手とコミュニケーションを取る。毅然とした態度で、明確な言葉で説得する。

私は疑問に思っていた事を全部ぶつけたが、それを見事にすべて臆す事無く答えられる揺ぎ無いその姿に「男」を見た。

 幼少期から悩み続けた「男」とは?自分なりには腕力があり喧嘩が強い・威嚇したり・強いと言う態度を示す事が男だとそう思い込んでいた。

いや、一般的にはこう考えている男性が多いだろう。

相手を強引にねじ伏せる、歯向かう者はすべて屈服させる。それが出来なければ我関せずとばかり無関心を決め込むか、他責的になり、逃げ回るかしか出来ない父親が増えている。

 当研究所に訪れるクライアントは女性が圧倒的に多い。子どもの心配、自分の将来等真剣に悩んでいるのに比べ、一方男性は訳の分からない何の根拠も無いポリシーなるもの一つで生きていて悩み苦しみは酒や仕事に逃げる。

逃げ切れないと思うと病気に逃げ込む。お母さん〔妻〕が真剣に悩んだうえ、探り当てた精神分析なのに、父親〔主人〕はまったく理解を示さず恐くなり「騙されている」と止めさせようと邪魔をする。

そんな中にも、勇気と知性を持った大人のご主人が、堂々と説明を求めに来られ、理解が
出来て、自分自身も分析を受ける必要性に気付き始められたご主人もおられる。

間違った男気を発揮し「そんな所に行くもんか、分析を受ける必要もない、聞く意味もない」と頑固に意地を張って取り付く島もない。

お母さん〔妻〕はどんどん勉強して男とは・父親とはが分かってくれば来るほど主人に嫌気がさしてくる。主人は見捨てられるのではないか、と不安を感じ余計に邪魔をしてくる。

最後には自分の無能さを棚に上げ、妻が変ってしまい夫婦の中が悪くなったのは、分析の所為だと矛先を向けてくる。

 真の男性は、間違った事には勇気を持って立ち向かう。自分の力が及ばないと分かれば、潔くそれを認め、相手のすばらしさを称え速やかに素直に相手に従う。そして学び取る。
自分が最高だと思ってしまえばそれ以上発展することはない。

 先日のゴルフ・サン・クロレラクラシックで、今期2勝目を挙げた石川遼君、彼の快挙もさることながら、大接戦を繰り広げた2位のブレンダン・ジョーンズは自分より年下で後輩の遼くんに真剣に、手を抜く事無く力いっぱい戦い抜き、自分が負けたと分かれば遼君を称える紳士的な態度に男らしいさを感じた。

 今は僅かなお金を奪うために簡単に人を殺す、家庭内暴力で本来守らなければならない
妻や子ども達に暴力を振るうとは、情け無いと嘆いてばかりいられない。

現実にこういう男を育てた両親がいる。真実の男性を学ぶ為には、真の男性性を持った父親がいなければならない。その真の男性性を持った配偶者を選ぶには、真の女性でなければならない。

その為には、産み育てていかなければならない母親が学習するのがベストである。
配偶者の選択のし方と真の男性を育てていく子育てを学習しなければならない。

                   所長  真理攫取

金谷精神療法研究所


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2009年7月28日

金谷氏今月のメッセージ (平成21年7月)

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)

                 テーマ 『精神分析とは?』

  ホームページやタウンページを見て知り、問い合わせをしてこられる。

答えはいつも同じ「言葉で治療します。」と答える。しかし、漠然としていて理解に苦しむ。

 ちなみに日本では学校生活や日常生活の中で、精神分析と言うものにふれる事はまったく無い。それに比べて欧米では、サイコセラピーをほとんどの国民は知っている。

アメリカでは、大統領も問題があれば受ける。そして、受けた事を堂々と発表する。
では、言葉で治療するとはどういう事か説明をしたい。

人間は生まれた時は言葉を持っていない。認識力も無い。言葉は自らの中から出てくるものではなく、外界から摂取するものである。

問題は摂取するのは良いが悲しい事に摂取するそのものが「良いか?悪いか?」「必要か?そうでないか?」「正しいのか?間違っているのか?」という事を識別する力が備わっていない。その事が非劇を生み出す。

目の前のものをそのまま、聞いたものをそのまま内に取り入れてしまう。それがどんな形で自分の内に存在しているかも知らず。

悩みを持ってこられた時、よく事情を聞くと語られるのは意識上での事で有り、自分も分かっている。しかし、あくまでも状況説明だけで、何故こうなったのか、どうすればいいのかまったく分からない。

人間は生きてきたのは、幼少期から今日までの積み重ねである。そのどこかに原因が潜んでいる。それを語り合いながら見つけていく。

そこには巧妙に仕組まれた言語の世界がある。

最初に申し上げたが言葉は自分のものではない。そして、それを認識出来ない。上手く使う事も出来ない。

だが、人間の感覚機能は産まれた時と大人になった今も変らない。

大人になって嫌な事に出会えば避ける事も出来るし言い返すことも出来る。自らを納得させて収める事も出来る。それが出来るから傷つく事も少ない。

だが、子供時代はそうはいかない。言葉と状況が理解できないが故にこういうことが起きる。母親は子供の事が嫌いなはずは無い。大切に思わない事も絶対にない。

 子どもを育てていく中で母親は子どもに関わる事だけではなく、主人の事・家族の健康管理・自分自身の事と、外から見てる程楽ではない。

そこに分けの分からない子どもが色々要求して来る。それを重要な事、必要な事などと聞き分けて対応していく。

大人の常識から、子どもを後まわしにしなければならない時がある。その時十分に子どもに納得させる事をせず、あっちへいってなさい!今忙しいから!そんな事は後で!何をわけのわからない事言ってるの!と排除してしまう。

母親としては別にそんな悪い事をしたと言う自覚はない。しかしながら悲しい事にそう扱われると、子どもは「自分は嫌われているんだ」自分なんか要らないんだと感じてしまう。

 自分の心の内に「自分はいらない子、必要の無い子、嫌いな子」と言う言葉を刻み込んでしまう。

非常に辛く哀しい事なので、意識上に持ちこたえる事が出来ず、無意識の世界に送り込み安定をはかってしまう。

この無意識に送り込んだものは完全に消滅したわけでなく、いつも自分のそばで存在している。これが何かの切っ掛けがあれば意識の世界に飛び出してくる。

これが悩み苦しみとなって意識の世界に現れる。言わば知らない言語に苦しめられるのである。

意識して作った言語ではなく、子ども時代にそう感じてしまった事をその時の言葉で書き込んだのである。

大人になればより一層、言葉の意味が分かるので完全にそうだと決定付けてしまう。

フロイトはこれを事後性による意味づけと言った。子供時代に仕方なく作らされた言語を書き変えない限り、一生その言語に突き動かされていくのである。

時には、それが一生を左右する原因になっている事もある。

精神分析は悩み苦しみの原因になっている「言葉」を、夢分析を使いながら解明していく。

夢は確実に表現してくる。分析が行き届かなければ、分析されるまで何度も姿を変えて現れる。

 又、原因になるものは一貫して繰り返し表現する。最後は自分自身でその言葉に出会う。

その言葉と原因が分かれば解決する。一般には分析に来なければならない人は、おかしな人、病気の人、だと思っている人達がほとんどである。

それは大きな間違いである。悩みや苦しみを表現する人は、正常であるからこそ正直に表現するのである。

悩み苦しみなど感じない、感じててもそのまま放置している人の方が異常者だと申し上げたい。

常識や他人のわけの分からない言葉や先入観を捨てて、自らの心の内に目を向けると新たな自分に出会う事が出来る。

世の中にはインターネットに精神分析の悪口を書き込んでいる人がいるが、この人達は精神分析を受けたことが無い人か、都合が悪くなり逃げ出した人達である。

自信をもってそう言える。何故ならば自分が受けて今は、分析する側に立ち両方を味わった時、人間のすばらしさに出会い最高の感動を得たからである。今は幸せだからである。
所長  真理攫取

金谷精神療法研究所

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参考:月刊精神分析09年05月号 特集 精神分析家をえらびますか?

2009年6月30日

金谷氏今月のメッセージ (平成21年6月)

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)
  テーマ「法で裁けない罪」
 最近、精神科・心療内科から当研究所に来所される方が増えてきた。
医師に不信感を抱き苦しんだ果てに捜し求めて来る。医師がおかしいと気付かれる方は早くて一年、少なくとも3年はかかるようである。
電話帳とHPを見てだが、折角問い合わせてきても保険が利かない上に一回・一時間10000円もする。
どの様な治療をされるのか?の問いに「言葉で治療します」と言うと・・・・・・・・・益々分からなくなり、医師に不信感を抱き、猜疑心の固まりの様な状態である為に、治療契約が成立する方は数名にすぎない。
それでも、その難関を突破して、面談に漕ぎ着けた方には精神分析のすばらしさを理解してもらえる。
 今回その中のお一人、Tさんを紹介したいと思います。
 某市役所に勤めておられましたTさんが、TOPに不信感を抱き耐えられなくなって、苦しんだ挙句「うつ病」と診断され、精神的に追い込まれ登庁出来なくなってしまった。
方法が分からずしかたなく心療内科にて受診され、投薬中心の医師の対応に不信感を抱き、納得できず、当研究所を訪れた。
面談した所「うつ病」ではない。それどころか役所のやり方やTOPに対しての評価が正しく判断出来る。
そのやり方などに目を瞑りそれを押し切ってまで登庁しなければならないメリットは何もないと答えが出てしまい、役所には行きたくないと決めただけで、意味もなく登庁できないという出社拒否ではない。という事が分かった。
だから、見た目は元気だし到底「うつ病」には見えない。 故に医師は「怠けている」と思い込んで治療にあたっている。
 Tさんにとっては、心外であり事実を説明しようと思っても10分間診療では何も伝える事が出来ない。無理してまとめて省略して伝えたら怠けて・行きたくない=言い訳・にしか取らない。
でも、そんな所にも診療に行かなければならないのは「休職」と言う制度を利用して回復しなければならないからである。
それには「診断書」が不可欠だからである。ある意味そんな所に通院しなければならない方が、うつ病になりそうである。
原因も分からない。治療は、投薬だし、気持ちは理解してくれない、行く意味がない・・・と言えるのは正常であると思う。
 それよりも役所に行けなくなった事には、必ず理由・原因が有る。その原因が分かれば治る。実はその原因は自分の考えられる範囲には無い。意識の世界には切っ掛けはあっても原因は無い。自分には考えも及ばない所にある。
この様な状態に陥る人は頭もいいし仕事もバリバリしていた人で自信がある人なのである。
それ故に自分で「何でこうなってしまったのか?」と問いかけても分からない。
自らの力に不信感を抱き落ち込むのである。そこに自分がまったく知らない「無意識」の世界が有る。
見えない世界に答えがある。そうはいっても俄には信じることは出来ない。当然の如く医師にこの事が通じる訳も無く、一笑に付されて終わりである。
家族も友人も同僚達も真に理解出来ない為、ただ単に励ますだけで本当の手助けは出来ない。
医師もダメ、家族友人同僚も・誰も分かってくれないと思い込み孤立無援になり、最悪「命を絶つ」と言うことになる。
クライアントのTさんは、病院は診断書をもらう所、心は分析でと、割り切って戦うと決められた。
それでも、分かっているものの病院に行くのは憂鬱で、役所に診断書が必要になる為仕方なく通院すると言う状態である。
 ある日、医師からショウトケアに参加するようにと半ば強制的に言われた。逆らうわけにも行かず無理に参加したが何の利益にもならず余計失望してしまった。
今回お話したいのは、Tさんが体験したこのショウトケアでの出来事なのである。
ショウトケアに参加し始めて1年程度になる。2・3週間に一度の割合で・・・途中2ヶ月ほどブランクあったりと、そう真剣には参加していなかったが、しばらくぶりに参加してみると参加メンバーも随分と変り大半が30代で、いつの間にかTさんは最年長になってしまっていた。
この出来事が起こったのは、いつものように10人ほどで本の輪読の後「先週の振り返り」と言って、各々が立てた目標の達成具合やそれ以外の出来事などを簡単に発表していくコーナーの時間だった。
その中で必ず参加している30半ばの男性の事だが、彼は薬のせいか・・話し方もゆっくりしていて搾り出すようなたどたどしい言葉で「先週は・・・・・・ストレス・・・の・・・かなりストレスの・・・・かかる・・・・ことがあり・・・まして」と話すのに躊躇しながらも何とか話を続けた。
彼は、職場から障害年金を申請したらどうかと勧められた。それには最初に診察を受けた病院の診断書が必要になり、4年ぶりにその病院・心療内科へ再度訪れた。
(過去、2・3度通ったが医師と心理士が2週間ごとに交互に診察するシステムでその診療方針が合わず辞めた所である。)
 再診察を始めるやいなや、いきなり医師から「あなたの精神年齢は低すぎる!」と叱られ、彼は驚きと同時に怒りすら感じた・・・が診断書を出してもらう手前、頭を下げて誤った。
取り合えず、診察は進められていき、最後に彼は医師に尋ねた「この頃疲れやすいんですが・・」と言うと、医師は腕時計を指差し激しく怒鳴りつけた。「それは現在かかっている先生の治療が悪いからだ!もう5分経っているのですよ!待っている人の事を考えないのか!」と・・・・
彼はその時の事を話しながら唇は小刻みに振動、声は震えていた・・・・・医師の胸倉をつかみたい心境だったと言う。
「ぼくのこと・・・を・・・2・3度・・・・しか診察・・・しないで・・・、こういう病気だと・・・・・言うことを・・・・知って・・・いるくせ・・・・・に・・・・・」・・・・・・
かれの憤りの激しさが他のメンバーにも伝わった。許せない彼は保健所へ訴えたが「指導します」と回答を得てひとまず納めた。
が、「でも眠れず何度も泣いて・・・」「お金は要らないんです。・・・ただあの医師・・・に刑事罰・・・を与えたい・・・どうしようかと・・・」「訴訟をした方がいいのか・・・・忘れた方がいいのか・・・迷っている」と彼は言った。
この話を聞いていた心理士は、わざと知らんふりをしうつむいていた。
ショウトケアの終わりに感想を述べるコーナーで彼は「・・・・・親身になって聞いて・・・・・・くれて・・あり・・・がとう・・・ござ・・・・・・・・・・・・・・・・」と声を詰まらせ最後には言葉にならなかった。
 こうして「心療内科」の医師達は人の一生を破滅させて行くのだと言っても過言ではない。
この話をTさんから聞いて、私は精神分析をしていて良かったと、今本当に思った。
精神分析は「言葉で治療する」これは言葉で人を生かしていくと言うことである。
心療内科は逆に「言葉で人を殺し薬で治療してるのだ」と。これは法律では裁けない。これほどひどい状態でありながらどうすることも出来ないのが現状なのだ。
厚生省も法律もこれを裁く事は出来ない。日本には監視するシステムは無い。それを良い事に自らの主観を元に治療はやりたいほうだいと言われても仕方ない。我々が指摘しても聞く耳を持たぬ。反省もしない。あらためようともしない。我々に聞いてくる謙虚さも無い。これは天下の大罪である。。
Tさんは「かれはよく自殺しなかったなあ・・」と思いました。と言われた、同じ状況にあり、彼の思いが本当に分かるのはTさんなんだと私は感じました。
精神を治療する為には知識・理論が必要である事はもちろん《人の痛みが分かる人》でなければならない。それには医師も最低5年間の教育分析を受け精神とは何かと言う事を知る必要があると強く訴えたい。!!
所長  真理攫取

金谷精神療法研究所

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参考:月刊精神分析09年05月号 特集 精神分析家をえらびますか?

2009年5月27日

金谷氏今月のメッセージ (平成21年5月)

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)
  テーマ「一輪車」   
 当研究所は「育てなおし」の理論で子育てを修正して頂いています。
育てなおしは、子供を育てなおす事はもちろんの事、「母親の育てなおし」が、本当の主旨です。
 理論どおり育てれば、”どうなるだろうか?”と思っていたが、ある姉妹を持つお母さんと出会えた。
その三女・Kちゃんが、胎教から理論どおり育ててくれました。紆余曲折ありましたが、概ね理論どおりに育ちました。
今回お母さんから、Kちゃんが小学校2年生になった、その春休みに「一輪車」に挑戦した事を、自らの心境と共にまとめた手記をみせて頂きました。
 Kちゃんは、今年の書初めに『新しいことに、いっぱいチャレンジするよ』と書きました。
その言葉通り『一輪車』にチャレンジしたのです。
 Kちゃんは「春休み中に一輪車に乗れる様になるぞ!」と宣言
まず、一輪車の椅子に乗る事から初めなければならない。
お母さんは、「手すりにつかまってやれば」とアドバイス。
全面支援で、椅子に座れた。が、その瞬間クルンっと一輪車は吹っ飛んでしまう。(+o+)
それも補助をしているお母さんの足に当たる。〔内心痛くてガマンするが、腹が立っている<`ヘ´>〕
お母さんは、「昔の私ならもうこの時点で付き合っていなかった」と・・・・・・・・・・
とにかく、前に進む事よりもバランスよく座る事に集中した。
お母さんは、Kちゃん一人で無理なので、タイヤを足で止めてKちゃんを引っ張りあげるようにした。
・・・・心中は、日焼けは困るし疲れるぅー・・・・と思っていた。
ふと、真ん中のお姉ちゃんのTちゃんの事を思い出した。年中の時にスイスイ乗っていたなあ。
Tちゃんの事を告げたが、まったく反応せず、関係ないとばかり一輪車に集中!
Kちゃんは、人は人・自分には関係ないと分ける事が出来る、その強さに感動する。

 しかし、やってもやっても乗れない、いらだちをお母さんにぶつける「ママのやり方が悪いから」
「ママがこうしてくれないから」最後は「ママが全部悪い」と丸投げしてくる。
お母さんも腹が立って・・・勝手にしろ!と放り出したくなる気持ちをなんとか抑えて・・・・・・
・・・・・乗れなくて辛いんだ。悔しさをこういう形でしか表現出来ないんだ。・・・・・・と理解し受け止めてやろうと決める。
何とか手すりにつかまりながら前に進む事が出来るようになった。が、クルンっと一輪車が飛んでしまう。
タイヤがお母さんに当たってしまうと「あっごめん」とあやまるKちゃんに、最初にキレなかって良かった・・・・
お母さんはホッとする。
少しの時間でもあれば練習し、空中乗りが出来るようになったその姿を見た時”やる気”を感じた。
 Tお姉さんに色々なワザを見せてもらう。バックでスイスイ動くその姿を憧れ目線で見るKちゃん、Tちゃんの様になろうとKちゃんとお母さんは誓う。
その後手すりにつかまりながら前に進む事が出来る様になった。Tちゃんの何かを学んだのか、雨が降っても関係なく練習に励むKちゃん、お母さんも濡れながら付き合う。
 Tちゃんの時はこんなに付き合わなかった。何もしてあげてないのにあんなに上手に乗れている。
申し訳なさと反省で落ち込む。
手すりにつかまりながら、何とか行ける様になったがここからが大変だった。今度はお母さんを手すり代わりにするから手を貸してくれと言いだした。手すり代わりになると言う事は、手すりと同様にしなければならない。
 手すりはある程度の長さがあるが人間はいわば永遠なので、Kちゃんが動く限りずーっと一緒に歩かなければいけないのである。その上、上手く乗れるように補助もしなければならない。
案の定「ママはなんで人の前へ前へ行こうとするの」とキレまくる。
手すりはどこへやら。お母さんの手ばかり。母は支えてあげようと思っているのに上手く行かず、Kちゃんのバランスを崩させてしまう。そうしていると今度は、「何で後ろに後ろにいるの!」と怒られる。
Kちゃんは「こけそうになったら受け止められる位置にいろ!」・・・・・・・・・口では簡単に言うが、実際はとても難しい。
 ある時「一瞬だけ乗れたんだ!」と報告に来た。お母さんは、ひょっとしたら乗れるのではと言う予感がした。
ふっとKちゃんが言ってた言葉を思い出した。「春休み中に・・・・・・」と宣言してた事を。
Kちゃんの望みを・・・叶えてやろうと本気になった。
何度も自分が転びそうになったら、つかめる位置にいてくれと頼まれる。これが非常に難しい。
前に行き過ぎてもダメ、後ろにいても遅れてダメ、近づき過ぎるとぶつかり、離れすぎると倒れる。
お母さんは、子供と「一致」しなければ乗れないんだと悟った。
 その苦労の甲斐があって、ある日Kちゃんが「乗れた!」「ヤッタァー!」と。 大喜びで「見て、見て~!」の連発!一輪車が」楽しくて楽しくてしかたがない。がまだ終わらない。
「Kちゃんが乗るとこみてーなぁ~」と得意げに言う。乗れたと思い目を逸らしたら、「ママ見てなかったやろ!」
と怒られる。次にはKちゃんが乗ってる所を後ろから「見てるよ」といってくれと言う。
 お母さんはあまりにも嬉しくて「見てるよ」と共に「すごい上手、かっこいい、乗れてる乗れてる」と言うと・・・・・
「見てるよだけでいいのに、余計な事を言われるとうるさくてこけそうになる」と怒られた。
 又ある日、Kちゃんが帰って来て嬉しい言葉を言ってくれたおばあちゃんがいたと言う。
その老婆は「ここまで乗れる様になるにはすごく大変だったろうね。上手だね。頑張ったねエ」と言って通り過ぎたらしい。この言葉が自信になった様である。
一輪車でもっと遠くまで行こうと・・・・お母さんと二人で旅気分で行った。その余裕ぶりにさらに成長を感じた。
 この手記を読みながら、胎教から育てる事の大変さ、その日々迷いながら進んできた母の苦労が走馬灯に様に蘇ってきた。
この一輪車で学んだ事の一番は、子供が目的を言葉にする。
それが出来れば母はその言葉を信じ、共に目的に向かって全面支援をする。ただ言葉で頑張れと言うだけではダメである。どうすれば出来るようになるかを考える。子供がぶつけてくる言葉を全部受け止めてやる。焦らせない、あきらめない、母の思い通りにしない、程よい距離を保ちながら子供について行く。
子供が自信を持って何事も出来るように成るのは、母親の「全面支援」である事が立証された出来事である。
Kちゃんに「よく頑張りました」と同時に、お母さんのすばらしい子育てに「ご苦労様」と言いたい。

所長  真理攫取

金谷精神療法研究所

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2009年4月30日

金谷氏今月のメッセージ (平成21年4月)

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)
〔テーマ「不登校と育てなおし」〕
 新学期が始まった。
私のクライアントの子供さんは、登校拒否ぎみで母親と共に登校している。しかし、母親にベッタリしているわけではない。
学校に行けば普通に行動している。ただ、一方的に押し付けられるとあまり進んではやらない。
でも、自分が気に入った事であるならば、一生懸命やる。
それが教師にすれば、わがままに見える。時には強引にやらせようとして泣かせてしまう。
その上、先生は母親に「これでいいのですか?私は子供さんの将来のことを考えると心配です。」と言う。
教育とは、一方的に押し付けるものであろうか?個性はどうして育てていこうとしているのか?
我々には分からない。本当に学校に大切な子供を預けて良いのか?とさえ思う。
 学校は集団生活を学ばなければいけない。学校はその訓練の場と大義名分をかかげ、その実態は皆で同じ事を同じ様に出来る事を目的としてやらせる。
やりたくないとか、出来ないとか言う個人の能力や思いは完全無視。
同じ様に出来なかったり、皆より遅くて遅れるような子は、あたかも障害者の様な扱いをされる。
先生にそれを差別じゃないのかと指摘すると「私は、全員が同じ様に出来るような指導をしているのです。」と。
其れは自分が、「すばらしい先生ですね。」と良い評価を得たいが為にやってるように思える。

 私達は、不登校児の為には母親と共に登校させるという方法をとっている。
事実この方法を行ってみて、よく分かった事は、明らかに障害者と分かる子供は別として、個々に能力もありながら、少しついていけない・性格が内気で消極的な子供を、良い方向に引き上げていく教育方法を学校は持っていないという事実である。
文科省が作ったカリキュラムに基づき、施行しているが、ほとんど現場の教師の主観で対応しているように思う。
だから、自らの私見を語ってしまうのである。
 当研究所では、不登校になれば「学校に行かない」という行動で何かを訴えているのだと受け取る。
ただ単に、学校に行けるようにするだけの目的だけでは行動しない。
学校に行けなくなった原因を、母子関係・家庭環境・親〔祖父母も含め〕のキャラクターなどを分析し、それらが何らかの影響を与えてないか?
学校に行けない。すなわち社会に出て行く事が困難であると言う視点でとらえ、その子の一生の問題と考えてそこに修正をかけるようにしていく。
単なる「行きたくない。」等と言うわがままな理由ではない。本人も分からないのである。
説明のしようがない難しいことなのである。
外部から見ると、意気地が無い・情け無い・怠け者のように見える。
周囲や教師達は、多分この様に見えてる。
だから、本人が「行く」と言うまで待ってほしいと親がお願いしても、熱血先生は朝早く突然迎えに来たりする。
そのことは先生として良い教師と思われるかもしれませんが、子供側にとって・・・親が頼んで来させたのだと思い、先生も親も信用しなくなるという事などは先生側は気付きもしない。
そして子供は、ますます引きこもってしまうという最悪の事態になってしまう。
又、教師は「君はやれば出来るのだ!」等と叱咤激励をしたつもりだろうが、子供はこう思ってしまう。「やれば出来るのに、出来ないのは、ダメな人間なんだ。」と無力感を感じて、落ち込み、何もしなくなる。
唯一自信のあるゲーム、なら出来る体験を持っているから、ゲームのみに打ち込む。
私達はいつも教師に言う。「何かしてくれとはお願いしない。お願いだからじゃまだけはしないでほしい!こちらが何をしているのか説明は都度しますから。」と。
こう言っても、一ヶ月と待たずよけいな親切をしてくれる。
本当の親切は、無理やり学校に来させようとはしないでその子のペースに合わせて、ゆっくり集団の中に入っていけるように見守り支援していく事でしょう。
何故?子供のペースに合わさなければならないのか?
不登校になってしまうのは、
まず主体性を奪われているから。
自主性を育ててもらっていないから。
そしてこれが上手く使えないから
「自我」アイデンティティーが脆弱になり、自ら動くという初歩の行動が出来なくなっているのである。
 朝起きて学校に行くという簡単な事が出来ない。これには「育てなおし」しか方法はない。
そしてそれを母親と共にやっていく事が一番なのである。しかし、これには問題がある。
ずっと母親がそばにいて行動するため、他人は甘えてる・たよりない子供・どう見ても自立させている様には見えない。
母親は信じて行動しているが、どうしても学校や周りの人たちはこの行動だけをみておかしいとか言ってくる。
子供は、どんどん元気になって行くが、積極的に学校へ行く方向にはならない。逆に「行かない」と決めても母親はそれに従ってくれるから堂々と休む。そこで母親はもっと辛い立場に立つ。
積極的には学校に行ってくれない子供を先生は障害者のように扱う。周りは共感してくれない。
孤立無援の状態でやっていかなくてはならない。
でもなんとか学校に行って欲しいという願いから頑張るのだが、周りの目に負けてしまう事もある。
 この方法は,見た目は悪いように見えるが、実は自分の思ったとおり出来て、自分の要求が自由に出せて、自由な行動が出来ることにより、主体性・自主性・自我が育って行き、いつか学校に行くと言う力も出てくると言うことなのです。
人間は、好きな事ならどんなに難しい事でもやっていく、嫌な事はどんな小さな事でもやりたくない。やる気を育てるには、どちらをすれば良いかおのずと分かる。
 文科省は、学校の授業時間を増やしたが、ますます学校が嫌になる。時間を増やすのではなく、何故授業内容を興味引く面白い内容にしようとは思わないのか。
それは、上に立ってる人達が受験地獄を味わってきて、それが当たり前だとマヒしてしまってるから。時間を増すことぐらい平気なのであろう。この付けが悪く回ってこない事を祈るだけである。

所長  真理攫取

金谷精神療法研究所

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2009年3月27日

金谷氏今月のメッセージ (平成21年3月)

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)

〔テーマ 『欲望』 〕 3/25   

人間には欲望がある。
お金が欲しい『金銭欲』。人の上に立ち、偉い人と思われたい『名誉欲』。
男が女が欲しい『性欲』。好きな食べ物を腹いっぱい食べたい『食欲』。
洋服・バッグ・靴等の物が欲しい『物欲』。などイメージ的には、あまり良いイメージではない。
こういった物を捨てて、禁欲生活をしている人をすばらしい人間だと言う・・・・何か欲望の受け取り方を間違えているのではないか?
人間が金銭欲・物欲・食欲を捨て何も求めないとしたら、世界はたちまち止まってしまう。
欲を禁じているイメージは、仏門に帰依する僧侶であろう。
しかし、浄土真宗の開祖・親鸞は、唯一・恵信尼という妻がいた。そして、肉食を認めた。
禁欲など人間の構造から見ても無理な事である。
ラカンは人間とは何か?の問いに『欲望を語る主体である』と言っている。
 人間は、生まれながらにして生きていく欲望を持っている。それを養育者ならびに養育的環境において、曲げられてしまっている。
いつしか、欲望はいけないものだ!だめなものだ!と刷り込まれていて触れてはいけない・口にしてもいけないと思い込んでいる。
私自身も精神分析を学び自ら分析を受けたことにより、欲望を語らなければ人間らしく生きていけない事に気付いたのである。
生きていく目的は、こうしたい/こうなりたい等と欲望を語りそれを自らが達成していく為に努力する。
それなのにどんどん稼ごうと強欲になり、我を忘れ人への気配り等も忘れ去り、金銭欲・物欲・名誉欲に走ってしまう。それがいけないと言っている。
自分自身は理想としている行き方がある。
『縦入乳虎隊勿践名利路』と言う言葉を残され、これを実践された良寛さんの生き方である。
「縦〔たと〕へ乳虎〔にゅうこ〕の隊〔むれ〕に入るとも、
           名利〔みょうり〕の路〔みち〕を践〔ふむ〕こと勿〔なか〕れ」
~名誉を得るくらいなら、子連れの虎のむれのなかに、身を投じて死ぬ方がよい~
名声・名誉を完全に捨てた言葉である。
良寛さんは、まさにこの言葉通りに行動した人である。
こう言う逸話がある。
ある日、良寛さんの住んでる五合庵に長岡藩主が直接訪ねて来て「寺院も建てて一生面倒を見る」と誘いに来た。しかし、良寛さんは一言も喋らず、静かに筆を取り一枚の紙に「焚くほどは、風がもて来る落ち葉かな」と書いて渡した。
人間はわざわざ求めなくとも生きて行けるだけの物は、自然に手に入るものである。何も欲張らなくても生きて行ける。
受け入れていれば何不自由ない名誉ある地位を得られ、一生安泰の人生が手に入ったであろうに、それを断り自分の思い通りの人生を選んだのである。
まだある、良寛さんが住んでいた五合庵は隙間だらけの雨梅雨がどうにか凌げるほどのボロ家だった。その状況がよく伝わってくる、こんな話もある。
ある日、五合庵に盗人が入った。しかし、見渡す限り盗る物がない。そこで仕方なく布団を一枚盗んでいった。と言う。
本当に良寛さんは何も持たず何も置いて無かった。「嚢中三升米・炉辺一束薪/のうちゅう、さんじょうの米、ろへん、いっそくのたきぎ」
~袋の中には約5kgの米、ろばたにはひとたばのたきぎがあれば生活できる。
欲張らず、生きて行ける最小限度の必需品で暮らしていたのである。

 良寛さんは、人間は欲に絡み取られ、本当の生き方を見失ってしまう事を知っていた。その過剰なまでの欲を捨て、真の欲望のまま生きていけば楽に生きて行けると、身を持って示してくれたのです。
  昨今の世の中は、たかが数万円程度のお金を盗む為に殺人まで犯す人がいる。
我々の人生を託している国会議員達も何をしているのか。金銭欲と名誉欲のかたまりを如実に現し、税金で開いている国会の審議の場で、揚げ足の取り合いをしているに過ぎないのに、真実を明らかにでもした様な錯覚をして得意げになっている議員たちよ!
国民は困っている・苦しんでいる。無欲になり国を安泰に導いてくれ!
国を豊かにすると言う欲望を持った議員さんの出現を祈りたい。

所長  真理攫取

金谷精神療法研究所

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2009年2月28日

金谷氏今月のメッセージ (平成21年2月)

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)

〔テーマ 心と身体〕   
 人は何故病気になるのだろう?
病気かもしれない。病気であると分かる前に必ず前兆がある。
頭痛・腹痛・めまい・倦怠感・発熱・下痢・嘔吐・咳などで表現する。
全て器官疾患から出てくるサインで、その症状から病気の原因を見つけ治療する。
 しかし、疑問が浮かび上がる。病は一つだけではない。皮膚・内臓・頭部などあらゆるところに病はある。
内臓だけ見ても五臓もある。肝臓・心臓・脾臓・肺臓 全部を病むと言うことはありえない。
その中のどれかを選び、その部分だけで表現する。
例えば、心臓を選んだとする。それは何をもって心臓にしたのか?
それも心臓の病といっても狭心症・心筋梗塞賞・冠状動脈硬化症・心臓弁膜症・心臓喘息・心筋炎・心内膜炎・心不全・肺性心・心臓神経症・心臓肥大などがある。
この中のどれかをどう選んだのか?
ある日突然体調を崩し病院に行ったら、貴方は「狭心症です。」と告げられる。自分では選んだ覚えも決めた覚えもない。
 では何故この病気になったのか?
医者はここが悪いと言う事は言えても、何故この病気になったのかは言ってはくれない。
言えないのである。それは解らないからである。働きすぎとかストレスが溜まった結果として病気になった。じゃ、何故心臓で狭心症なのか?答えは無い!
では病気は何を訴えようとしてるのか?これには意味があるのか。
精神分析では、これに対する答えは有る。
医学とはまったく相容れないもので、理解できない人もいるだろう。
 まず、フロイトの話からいけば、彼は、診療所で働いていた時に不思議な光景を目にした。訪れる患者の中に、明らかに苦痛を訴えながら診療に来る。
しかし検査をしてもどこも悪くない。この不思議な現象に目をつけ、友人の医師にその患者を紹介してもらい研究をした。
その結果、解った事は人間は何か大きな出来事に出会うと、まず感覚で感じ、それを言葉にして現そうとするが、これが言葉にならず表現できなかった時、その感じたものは神経を通して脳に伝達する。
しかし、そこにデーターが無いと、感じた物に一番近い身体の部分に伝える。
そこに表現されたものが病気である。昔から「病は気から」と人間は知っていたのである。
フロイトはこれを「転換ヒステリー」と言う理論を打ちたて世に出した。これは心理的なものを身体に転換し表現するという事である。
 しかし、これはオーストリアの医学界に衝撃を与えたが、誰一人理解する者はおらず、医学界の異端児として扱われ、「ヒステリー」は子宮の叫びと言い女性特有のものであり、男性にヒステリーとは・・と誰も取り合ってくれず一人医師界を去ることになった。
これは百年前の出来であるが、今、尚医学界では認めてもらえない。
脳を出発点として考え、現れた病をどうして治療するかと研究している彼らは、後手にまわっている、それ故に何も無い時にそれを治療する事は出来ない。
検査しても何も無ければ放置してしまう、と今度は本当に器官疾患となり完全に病気として表に出てくる。
 例えば分析は、胃が痛いと訴えた場合一応は病院に行って検査を受けていただく。そこで何も異常がなければ分析の分野である。
分析は、胃という臓器は素直な臓器であり、入ってきたものは自分で選択して排除する事は出来ず、なんでも一生懸命に熟す。
それが異常をきたすと言うことは「NO」といえず何でも「ハイハイ」と言って無理をしていると分析をする。結果「胃炎」と診断された。やはり「言えん」なのである。
臓器それぞれに役目があり、忠実に自らの役割をこなしている。その役割と心理的なものとが一致する事により、そのものを病んで表現し訴えるのである。
分析はそれを心の叫びと捕え、それを言語に変換する事により、表現している事がわかる。分かれば治る。我々は医者ではないので「病気を治す」とは言えない。
 我々はそれを「元に戻す」と言います。
「ガン」等も最初から有ったものはない。伝染病でもない。自ら作ったものである。自分で作ったものであるならば、自分で治す事が出来るはずである。
人間は自然治癒力が備わっている。その原因を知り素直に言葉にして表現していくならば自然に消えてもとの姿になるのである。

金谷精神療法研究所

所長  真理攫取


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2009年1月26日

金谷氏今月のメッセージ (平成21年1月)

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)

〔テーマ 言葉の力〕

人間は言葉を持っていない。理解できない状態で産み出される。
出産直後、自分の周りでは言葉が飛び交っている。「わーかわいいね」「お母さんに似てるかな」「いや、目元なんかお父さんそっくり!」等と勝手にしゃべっている。
しかし、語られている中心は赤ちゃんである自分なのに、そこには当の自分は参加していない。いや出来ない。人間は自分の事は他人が語り自分では語れないと言う証左である。
本人には、周りで語る言葉はただの「音」で、物と物がぶつかる音と同じなのである。
音と言葉が区別できなかったのが、ある時期が来ると雑音と言葉が違う事が分かってくる。繰り返し語りがかけてくる母の口から発せられるものが、規則を帯びた音である事に気付き、その規則性を模倣し、自らも発する。自分が聞こえたように「まーま」と発する。

それを聞いた母は「ママ」と言ったように聞こえしゃべったと思う。それが嬉しくて感喜の表現をする。赤ちゃんはその母の表現が何か分からないが、何か興味を示し、その表現がまた見たくて繰り返し発する。
その相互性により「言葉」を覚えていく。人間は母の模倣から認識能力の発達へ、母からだけはでなく、それ以外のものからも言葉を学ぶようになる。
そして喋れる様になれば、自らの中から湧き上がって来る思いを言葉にし始める。
しかし、そこには養育者や周りの人間に取って都合の悪い言葉だと、自分が良いと思っても却下されてしまう。その却下された意味が分からず、言葉を恐れ語る事をやめてしまう。
言葉は、他者から学ぶ事が身に付いてしまっている為、他者の語り方によってそれを学んでしまう。
例えば、両親が無口で語らなければ子供は静かで語らない子供になり、乱暴な言葉遣いをすれば、子供の言葉は汚くなる。また、間違った言葉を教えれば間違った言葉遣いになり、いい加減な言葉遣いをされれば、はっきりと明確な言葉遣いが出来なくなる。

精神分析を学び、インテグレーターになった事でよかったと思えることは、的確に、より短く人に伝える事が、出来るようになったことである。
「私は常識に捕われません」と言い切ったら
「それは貴方、いけないのではありませんか?」と必ず返ってくる。
「何故いけないのですか?」と問うと
「皆んなそうしているではありませんか」と返ってくる。
「皆んなとは、どなたの事ですか?どなたと同じ様にされているのですか?」と
問いかけた時点から「それは屁理屈でしょ」と怒る。
「へー、私が言っているのは屁理屈ですか?屁理屈とはおならの理屈と書くんですよね。」
相手は余計に意味が分からなくなり、
しかたなく「では常識とは何でしょうか?誰が作ったものですか?」と質問したら、
困惑し怒り出してその場から逃げ出してしまう。
私が言っているのが屁理屈ではなく、何処にどうしてあるのかわからない常識の方が屁のようではないのか。
我が恩師は、最初に私にこう言った。「言葉で説明出来ないものは何もありません。全て言葉で説明で来ます。」と。その通りで、20年間付き合っていますが私の質問に一度も答えてくれなかった事は無い。何時も明確な言語で納得いくように。
自らに問いかけて答えが出ないまま苦しんでいる人達が、その状態を「病」と錯覚して悩んでいる。私のクライアントとして來所される人達はこうした人達ばかりです。

言葉の持つ力で痛めつけられ、完膚なきまでに壊されてしまっている。
その言葉の持つ力を間違って使ったが故に、病んでしまっているならばその力を有効的に使えば良くなる。というのが、分析の考えである。
まさにその通りで、母親が正しい言語を使えば5歳にして的確な言語を使う。これがいつも感動する。大人が恥ずかしくなるほどである。
そこで言語表現のすばらしい例をあげてみたい。
一つは以前にここで述べたと思うが「石川遼君」である。過日スマップの番組に出演しメンバー5人の質問に17才の高校生とは思えないしっかりとしたコメントをし、スマップ全員が感心していた。
遼君の目標はタイガーウッズで、世界を相手にゴルフがしたいと言う夢をしっかり語っていた。中でも感心したのは彼は予選落ちをよくする。でもその事を聞かれた時、さぞがっかりして落ち込むのかと思いきやそうではなく、それが自分の実力だから当たりまえだと言う。

優勝は出来すぎで、それが当たり前だと思ってしまうと勘違いして傲慢になってしまうからと。すばらしい人間である。
もう一つは1月20日・アメリカの第44代大統領に就任したバラク・フセイン・オバマ氏である。黒人と言う人種の壁を乗り越えて、大統領にまで上り詰めた「アメリカンドリーム」を体現した。選挙運動では多くの名演説を繰り広げながら勝利した。その演説は故ケネディ大統領の再来かと言われたほどである。

彼は言う。「YES、We Can!」我々は出来る!
出来たらいいなあ・出来るかな?ではない。確定語「出来る」である。
言葉は人を殺してしまう事がある。しかし、言葉は人を生かし人を幸せにも出来るのである。

金谷精神療法研究所

所長  真理攫取


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