以前は、家族の要望や趣味を尊重してきたので、全く私の個人的なもの以外は、
家電はじめ日常使うものを自分の好みだけで買う事はありませんでした。
料理の献立も、毎日希望を聞いて作っていました。
それが一変して、ほぼ全ての事を自分で選んで決める生活になりました。
それはとても自由で楽しい事ではあるのですが、
永らく料理の献立を考えて来なかったので、
献立が考えられるのか、自分のために作る気になるのかと思いました。
というのは、何年か前の個人分析で、
食べたいものを食べたい時に食べたいだけ食べてきていない。
私は「これが食べたいが無い」と分析されました。
そういえば、お金を使わない事が良い事と刷り込まれて来たので、
子どもや家族の食事は食べたいというものを私なりに一生懸命作りましたが、
その際、例えばお刺身を家族分買うとして、私だけは一番安いお刺身を買いました。
これが食べたいという物が無い上に、出来るだけお金をかけないなら、
選ぶ基準は安いものでした。
もしくは、自分の分は買いません。
故に自分の食べたいものがわからない私は、更に食べたいもがわからなくなる。
そこで、我が師から「これが食べたいというものが出て来るまで、
水以外のものを口にしないことをやってみよう」
「二~三日もすれば、浮かんでくるから」と言われました。
すぐ実行しました。
お腹が空いても水以外のものは摂らないで過ごしました。
一日、二日と経っていきますが、一向にこれが食べたいというものが出てきません。
ただただ、空腹と共に気持ちが悪くなっていきました。
三日目になるとさすがに耐えられなくなりました。。
次の分析で報告すると、「本当に食べたいものを食べて来て無いんだね」と言われました。
そして、あれから何年か経ったとはいえ、
明確にこれが食べたいというものが浮かぶだろうかと思いましたが、大丈夫でした。
料理本を買ったり、タブレットを持つようになって、
今日はこれを食べよう、これが食べたいと思うようになりました。
料理本やタブレットで検索したレシピを見ながら料理をします。
ある時、「美味しいものを食べるために生きている」という言葉を聴いて驚きました。
そんな考えは私のどこにもなかったのですから。
気付きました。
私が食べて来たのはエサだった。
という事は、私は家畜同然だったという事。
ああ、やっとまともになって、人間らしい食事が出来るようになったのだなと感じます。
時間はかかりましたが、書き換えられて本当に良かったです。
ラカン精神科学研究所 セラピスト 登張豊実
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